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公開日:2026.10.21

東京~神奈川を結ぶ幻のルート!「第四京浜道路」「第二横浜新道」計画はどうなった? 新たな高速ルートにかけられた夢を探る【いま気になる道路計画】

東京都内と横浜市方面をつなぐ有料道路「第三京浜道路」

東京~横浜を結ぶ高速ルート「第四京浜道路」という構想がかつて存在した。形を変えて受け継がれる道路ネットワークは、どのように移り変わってきたのだろうか。計画の背景や当初の構想、現在の道路ネットワークに至るまでの変遷を見ていこう。

東京都内と横浜市方面をつなぐ有料道路「第三京浜道路」

文=鳥羽しめじ

資料=横浜市、国土交通省

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東名・第三京浜・首都高につづく次の南北軸

東京~横浜を結ぶ幹線道路

東京~横浜を結ぶ幹線道路

東京~横浜を結ぶ幹線道路は、交通需要の大きさに対して決して多くない。有料道路は、海側から首都高速湾岸線、首都高速横羽線、第三京浜道路、東名高速道路と続く。

横羽線と第三京浜道路の間では、一般道路の国道15号(第一京浜)と国道1号(第二京浜)が南北方向の幹線道路として機能している。いずれも歴史ある幹線道路で、京浜間の物流を支えてきた。

第三京浜道路に続く、数字を冠した京浜間の道路として「第四京浜道路」があってもよさそうなものだ。実は、過去にその構想が存在していた。

「藤沢直結」の第四京浜道路構想とは

横浜市が1963年に調査検討した「横浜自動車道計画調査報告書」。東名高速と第三京浜の間に「第四京浜道路」が描かれている(緑線⑧)

横浜市が1963年に調査検討した「横浜自動車道計画調査報告書」。東名高速と第三京浜の間に「第四京浜道路」が描かれている(緑線⑧)

1968年11月、新聞紙上に「“第四京浜”が開通」という大見出しが躍った。銀座~横浜間がわずか30分で結ばれるという内容だ。

引用符付きの表現であるとおり、これはあくまで比喩的な表現だ。その正体は首都高速神奈川1号横羽線(K1)で、このとき最後の未完成区間だった「羽田~浅田」が開通。内陸部を抜ける第三京浜道路とは異なり、第一・第二京浜沿線の臨海都市圏を信号なしで結ぶ、待望の高速道路となった。

この横羽線とは別に、行政上の正式な「第四京浜」構想が存在したことが、1963年に明らかになっている。横浜市の「横浜自動車道計画調査報告書」に記されたものだ。

1964年の東京オリンピックを見据え、東京で首都高速の整備計画が進められるなか、横浜市でも横羽線や横浜線をはじめとする市内の高速道路網を整備する機運が高まっていた。

構想された路線は全8路線、計11工区に及んだ。「都心環状線」として国道1号の保土ヶ谷~高島町にあたる区間が計画されたほか、環状3号線と横浜北線を組み合わせたような「郊外環状線」も描かれていた。

そのなかで「第四京浜線」として挙げられたのは、第三京浜道路の西側、東名高速道路との間を抜ける南北軸だ。北山田町を起点とし、中山駅前で郊外環状線に合流。二俣川を経て、緑園都市付近で再び分岐して独立し、中田を通って戸塚区俣野町へ抜けるルートで、総延長は14.7kmとされていた。

当時計画中だった港北ニュータウンを貫くほか、現在も交通空白地帯となっている緑区・旭区・泉区などの内陸部を広域的な道路ネットワークにつなぐ大動脈となる構想だった。東京都や神奈川県と連携すれば、二子玉川~藤沢~寒川~東名方面を結ぶ「東名バイパス」としての役割も期待された。

しかし、この調査報告書をもとに整理された計画は、1965年に正式方針となった「横浜の都市づくり―市民がつくる横浜の未来―」の「都市高速道路網建設計画」から姿を消した。わずか2年間だけ検討の俎上に載った構想だったのだ。

その後、港北ニュータウンの整備が進み、第四京浜線の代わるように都市計画道路「中山北山田線」の整備が進められている。2014年には「川和町~恩田川」が4車線で完成したものの、全線の整備には至っていない。

蘇った「第四京浜」の夢、今も生き残る「東名新ルート」

建設省が1970年代初頭に検討していたネットワーク構想(日本道路協会『道路』1971年10月号より)

建設省が1970年代初頭に検討していたネットワーク構想(日本道路協会『道路』1971年10月号より)

1970年代に入り、第四京浜構想は再び持ち上がる。1968年に東名高速が開通し、翌1969年に全線開通すると、「東名は近いうちにパンクするだろう」という懸念が浮上した。そのバイパスとして「2つの系統」が検討され、そのひとつとして挙がったのが、「東京~厚木」を結ぶという大まかな構想だった。

当時の建設省関東地方建設局も、横浜市の第四京浜道路構想を意識していた。「最近の神奈川県の中央部および西部の急激な開発を反映して、その必要性が表面化してきた」と説明しており、いわば第四京浜構想の後継にあたる路線だった。

ルートは、田園調布付近で外環道から分岐し、第三京浜道路と交差して西側へ向かう。最終的には、平塚IC付近で小田原厚木道路に接続する計画だった。港北ニュータウンへのアクセスを担うとともに、東名高速道路と第三京浜道路・横浜新道の間に広がる交通空白地帯を補う役割が期待されていた。

しかし、その後の国の整備方針には採用されず、「幻の路線」となった。

さて、先述した「2つの系統」のもうひとつも見逃せない。こちらは「第三京浜道路+第二横浜新道+新湘南バイパス+西湘バイパス」を組み合わせ、東名高速を補完する構想だった。

特に興味深いのが「第二横浜新道」だ。羽沢付近から南西へ分岐し、藤沢IC付近で新湘南バイパスに直結するという、約20kmのルートが構想されていた。こちらも整備計画には採用されず、幻の路線として姿を消している。

ところが、複数の路線をつなげて東名高速を補完するという考え方自体は、「新東名の東京延伸」という形で現在にも通じている。

また、第二横浜新道に代わる構想として、現在は「横浜環状道路」が存在する。北側は「横浜北線」と「横浜北西線」が開通済みで、南側では圏央道の一部を構成する「横浜環状南線」の整備が進められている。その間に残る「港北ニュータウン~戸塚」の区間こそ、第二横浜新道の構想を受け継ぐ存在といえるだろう。

これらを組み合わせれば、「第三京浜道路+横浜環状道路+新東名高速の泉~海老名」というネットワークが形づくられ、文字どおりの「東名第2ルート」が実現することになる。東名高速道路を補完するという構想は、今も将来の道路ネットワークのあり方につながっている。

とはいえ、新東名高速や圏央道、外環道の整備も完了していない現状では、このネットワーク全体の具体化に向けた動きは見えてこない。実現には、まだ長い年月がかかりそうだ。

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