新宿~東京を地下で直結! 新たな首都高「都心新宿線」とは。 大深度地下で「乗用車専用」になる!? 巨大構想の実態【いま気になる道路計画】
新宿副都心と東京駅を地下トンネルで直結する首都高「都心新宿線」の構想がある。どのような計画なのか、その概要や整備効果、そして実現に向けた課題や背景事情を見ていこう。
この記事をシェア
「都心新宿線」は新宿と東京を直結する「地下高速」
「都心新宿線」の構想ルート。甲州街道と内堀通りをトレースし、多摩新宿線と都心臨海線(いずれも構想線)に直通する。
東京都心の二大拠点である新宿駅エリアと東京駅エリア。しかし、両エリアを直接結ぶ高速道路は存在しない。
中央自動車道・中央環状線方面からは「首都高速4号新宿線」が都心へ延びているものの、東京駅方面へ向かうには「都心環状線」を経由して、神田方面を大きく回り込む必要がある。
高速バスも四ツ谷や日比谷を経由して一般道を走るのが一般的だが、信号や交通量の影響を受けやすく、所要時間が30分を超えることも珍しくない。
さらに4号新宿線は、新宿駅やバスタ新宿から離れた初台付近が実質的な都心側の出入口となっている。この区間は一般道の渋滞も多く、高速バス利用者なら「目的地は近いのになかなか着かない」と感じた経験があるだろう。
こうした課題を解決するため、新宿~東京を短絡する新たな高速道路「都心新宿線」の構想がある。昭和期から引き継がれながらも実現していない“都市伝説”のような首都高だ。その詳細を見ていこう。
「東京都総合実施計画 マイタウン東京’91」に記載された「都心新宿線」のルート。
「都心新宿線」は、国の道路整備の基本方針を示す「新広域道路交通計画」(2021年策定)にも構想路線として位置付けられており、現在も計画そのものは生き続けている。
延長は約8km。かつては「弾丸道路」とも呼ばれ、多摩方面や晴海・湾岸線方面への直通も視野に入れた構想となっている。
ルートはおおむね甲州街道や内堀通りの地下を通り、新宿駅東口や新宿御苑付近を経由して、最終的には旧都庁があった有楽町エリアへ至る計画だ。地上の道路は大きく折れ曲がる区間も多いが、地下トンネルはできる限り直線的な線形とすることで、都心部を効率的に結ぶことが想定されている。
「新しい道路の形」を提示した斬新な道路計画
1991年の「地下都市計画策定調査報告書」での有楽町地区の地下開発計画。左下を抜ける青い点線が「都心新宿線」のルートだと思われる。
新宿~東京間はノンストップで結ばれ、新宿側・東京側にそれぞれ3か所の出入口が設けられる計画だ。開通すれば両エリアは10分以内で結ばれ、交通量は1日あたり約5万5000台が見込まれていた。
構造は直径約13mのシールドトンネル2本で、上り線・下り線それぞれ2車線を確保する。設計速度は60km/hとされている。
この計画の最大の特徴は、トラックなどが通行できない「乗用車専用道路」として構想されている点だ。もともと利用交通の中心が乗用車と想定されていたことに加え、大型車を排除することでトンネル断面を小さくでき、建設コストの抑制につながると考えられていた。
乗用車専用の都市高速道路は国内に前例がなく、大深度地下トンネルの導入とあわせて、日本の道路整備における先進的な試みといえるだろう。
実際、大深度地下トンネルは東京外かく環状道路(関越道~東名高速)で実現したものの、乗用車専用道路については現在も実現していない。都心新宿線は、そうした先進的な発想を盛り込んだ計画として、今なお構想段階にとどまっている。
計画が実現しなかった理由、そして受け継がれる夢
2021年の新広域道路交通計画にも記載されている都心新宿線
都心新宿線構想の発端は、1985年に決定した東京都庁の新宿移転にある。従来の都心である東京・銀座エリアと、新たな都心となる新宿副都心を結ぶ大動脈として、1986年の「首都圏整備計画」にその名が盛り込まれた。
1988年には新規調査路線に指定され、国による本格的な調査がスタート。当時は1993年までに都市計画手続きを進める方針だった。
しかし最大の課題は、やはり莫大な建設費だった。当時の試算では事業費は約5000億円に達するとされ、1日5万5000台の交通需要を見込んでも、費用対効果の面で厳しいとの指摘があった。
加えて、大深度地下トンネルを採用する場合でも地上との接続施設や換気塔の設置が不可欠となる。都心部で複数の用地を確保する必要があり、バブル期の地価高騰は大きな障壁となった。
それでも計画は1995年の「第11次道路整備五カ年計画」にも記載されていた。しかしその後、景気が急激に悪化し、副都心構想を推進してきた鈴木俊一都知事の退任と、反鈴木都政を掲げた青島幸男都知事の就任によって、都心新宿線は事実上の凍結状態となった。
そして、1999年に策定された「第五次首都圏基本計画」では、都心新宿線の記載そのものが姿を消す。その後は国会や都議会でも具体化に向けた議論はほとんど行われず、現在に至っている。
当時の都議会では、「一時は霞が関の弾丸道路、地下を掘るという話もあったんだね。バブルのときは景気のいい話があったんですよ」といった発言も見られ、都心新宿線は次第に“バブル時代のあだ花”として語られるようになっていった。
道路の設計指針である道路構造令に規定された、乗用車専用の「小型道路」。
一方で、もうひとつの大きな課題だった乗用車専用道路については、その後も制度整備が進められている。
従来の道路法では、道路は「一般交通の用に供する道」とされており、貨物車と乗用車のような車種別で通行を制限する考え方が想定されていなかった。また道路交通法にも対応する区分や標識が存在せず、制度面での課題が指摘されていた。
しかし2002年には「乗用車専用道路に関する技術基準案」が策定され、2003年の道路構造令改定では、高さ2.5m以下・長さ6m以下の小型乗用車などを対象とする「小型道路」の設計基準が導入された。都心新宿線を念頭に置いたともいわれる制度整備は、現在も残されている。
国の「新広域道路交通計画」には今なお構想路線として位置付けられている都心新宿線。法整備や社会情勢の変化を追い風に、再び具体化へ向かうのか。昭和から続く“幻の首都高”の行方に、引き続き注目したい。
記事の画像ギャラリーを見る




