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最終更新日:2024.11.25 公開日:2024.11.25

総長のビュイックで練習し、運転免許を取得!?|長山先生の「危険予知」よもやま話 第30回

JAF Mate誌の「危険予知」を監修されていた大阪大学名誉教授の長山先生からお聞きした、本誌では紹介できなかった事故事例や脱線ネタを紹介するこのコーナー。今回は禁断? の大学構内での運転レッスンから、長山先生はサーキット走行が好きな反面、レース観戦にはまったく興味がなかったという話まで。失礼ながらかなり笑えます。

話=長山泰久(大阪大学名誉教授)

総長のビュイックで練習し、運転免許を取得!?

編集部:今回は友人とバイクでツーリングしている状況でしたが、長山先生は自動二輪の免許はお持ちですか?

山道をツーリング中で、友人のバイクに続いてミニバンを追い越そうとしています。

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ミニバンを追い越したところ、駐車場からクルマが出てきて衝突しそうになりました。

長山先生:私は昭和33年(1958年)、26歳のときに免許を取得していましたので、大型二輪の免許が自動的に付与されていました。

編集部:以前は普通免許を取得すれば、大型二輪免許が付いてきたそうですね。私の頃は50ccの原付以外、自動二輪の免許は普通免許とは別に取得する必要があり、排気量が400ccを超える大型二輪免許は「限定解除」という難しい試験を、運転免許試験場で受けて合格しないと取得できませんでした。今では教習所でも大型二輪免許は取れますけど、あの頃は超難関の試験をクリアしなくてはならなくて、大型二輪免許を持っている人は特別な存在でしたね。

長山先生:そのようですね。難しい実技試験を受けずにオマケで付いてくるようなものだったので、羨ましいと思われたかもしれません。実は、さらに半年早かったら、更新時に大型免許2種まで自動的に取れました。

編集部:それはすごいですね。免許の投げ売りみたいじゃないですか? 日本のモータリゼーションの発展期だったのか、事故防止より職業ドライバーを増やすことのほうが優先されていたのですかね?

長山先生:多少それはあったのかもしれませんが、交通事故も問題になり始めていて過渡期だったのかもしれませんね。それから2種免許は別途取得しなくてはいけなくなりましたから。

編集部:でも、26歳での運転免許取得は、周囲と比べて少し遅かったのではないですか?

長山先生:おっしゃるとおりで、当時のクルマ好きの若者なら、免許が取れる年齢になったらすぐに取りに行っていましたから。26歳は遅いほうですね。私のクルマへの志向性はそれほど強いものではなかったのでしょう。そんな私が免許を取ろうと思ったのは、大阪大学文学部心理学教室に総長用のビュイックが払い下げになって、それを校庭などで乗り回して練習し、飛び込みで運転免許を取ることにしたからです。

編集部:外国車で練習し、一発免許で取得したのですか!? なんとも贅沢で大胆な感じですね。でも、その頃のアメ車は左ハンドルのオートマですよね? 試験場のクルマは右ハンドルのマニュアル車だったはずで、たいへんだったのではないですか?

長山先生:試験を行ったクルマはフォードだったと思います。左ハンドルか日本用に右ハンドルにしたものか記憶に残っていませんが。私が練習していた中古のビュイックと違って良く整備されているクルマで、エンジン音がとても小さかったです。そのため、実技試験の際にエンジンがかかっていないかと思ってキーを回し、ガガガと音をさせてしまったため、実技試験が不合格になったように記憶しています。

編集部:フォードですか? ビュイックと同じアメ車ですね。その頃は、まだ国産車は少なかったのですかね? でも、エンジンがかかった状態でセルを回すのは機械的に良くないようですけど、それをしたために不合格になるとは、厳しいですね。免許が取れてからは運転する機会はけっこうあったのですか?

長山先生:免許を取った2年後には助手となり、ドイツに留学(出張)した際にはドイツ国内の一般道路に加え、アウトバーンまで運転することができました。それが貴重な体験となり、帰国後、交通心理学を専攻するようになったのです。二輪車に関することでしたら、二輪車の事故事例を分析し、運転者教育への提言をした論文が国際交通安全学会論文賞を受賞しました(『二輪車の事故事例分析とそれに基づいた運転者教育の提言』(IATSS review Vol.9,No.2 1983年)。

編集部:国際交通安全学会はホンダがやっているものですよね。

長山先生:そうです。昭和45年(1970年)にスイスのチューリッヒで第1回国際ドライバー行動研究会議に参加した際、ホンダの安全運転普及本部が各国の研究者を招待してパーティを開催し、そこでみなさまと知り合うことができました。私がドイツ語系の学者といろいろと情報を交換していたことから、帰国後形成されることになった「国際交通安全学会」の発足時のメンバーに加えていただき、それが論文を書くきっかけになりました。

編集部:国際交通安全学会が発足したのは、50年近く前(2017年取材時)になるのですね。

長山先生:設立は1974年なので、正確には45年前くらいでしょうか。1970年代はモータリゼーションが急速に広がり、交通事故や排ガスなどの問題が出てきた時代です。そのため、私のような研究者に二輪車のことをよく知ってもらおうと、サーキット走行なども体験させてくれました。

編集部:ホンダなので鈴鹿サーキットですか!?

初めて乗ったバイクは1300cc!? しかも鈴鹿サーキット?

長山先生:そうです。二輪車競技の実態を知ってほしいと、鈴鹿サーキットのフルコースでナナハン(公称排気量750ccの大型自動二輪車)を運転する機会が与えられました。

編集部:ナナハンとは懐かしい響きですね。でも、その時代のバイクでは最大の排気量ですよね。広いサーキットなら相当スピードを出すことができたのではないですか?

長山先生:いえいえ。大型二輪の免許は持っていたものの、それまで二輪を運転したことがなかったので、とてもそんな余裕はありませんでした。しかも、ゴーグルもなかったので、涙が出てきて速度は80㎞/h程度しか出せませんでした。

編集部:ゴーグルがなくて涙が出るとは、シールド(風防)がないヘルメットを被っていたのですね。

長山先生:そうです。ジェットタイプのヘルメットで、シールドは付いておらず、とてもスピードを出して楽しむようなことはできませんでしたね。それとは逆に快適性を経験できたのは、日本に逆輸入されたホンダの1300ccバイクに乗ったときです。サーキットのコースではなく、サーキットにある交通教育センターという施設内のコースでしたが、操縦性が高く、とても乗りやすかったです。しかも、冷暖房が付いているのに驚かされたものでした。

編集部:バイクで冷暖房ですか!? クルマと違ってバイクは体がむき出しなので、冷暖房の効果はあるのですか? エンジンを抱えているような感じなので、まだ暖房ならわかりますけど、冷房は想像できませんね。ハンドルや燃料タンク辺りに冷気の拭き出し口でもあるのでしょうか?

長山先生:どのようになっていたかは分かりませんが、どこからか風が吹き付けてくるのを記憶しています。

編集部:そうですか。さすが1300ccの逆輸入車ですね。

長山先生:また、大学のゼミで学生を連れて鈴鹿にあるホンダの工場見学、交通教育センターでの教育の実態を学んだあと、せっかくクルマで来ていることもあって、鈴鹿サーキットの国際レーシングコースをフルコースで体験させてくれる機会もあり、学生たちは大喜びでコースでの運転を体験したものです。

編集部:それは嬉しいですよね。サーキット走行なんて滅多に経験できませんから。嬉々としていつまでも走り続けてしまいそうですね。

長山先生:学生の多くはそう思ったかもしれませんが、鈴鹿のコースは第2コーナーが難関だそうで、「2回目は変に自信を持って事故を起こしやすいから1回だけです」と学生の体験走行は1回で打ち切られました。でも、私だけは2回走ることが許されました。つまり、二輪で1周、四輪で2周と、合わせて3回サーキットを周回する機会を得ることができました。

編集部:実は、私も安全運転講習会で鈴鹿サーキットのフルコースをクルマで走ったことがあります。先導車に続いて2周しましたが、たしかに1コーナーから2コーナーは複合コーナーで、途中からカーブがきつくなり速度調整が難しかった記憶があります。でも、バイクも合わせて3周も走れるなんて、羨ましいですね。

長山先生:そうですね。鈴鹿以外にも富士スピードウェイを走行する機会もありましたけど、本格的なサーキットを走れるのは貴重な経験でした。国際交通安全学会のホンダの関係者の方々は、私に二輪車に対する興味を高める機会として、さらに貴重な経験もさせてくれました。世界的に有名な「マン島TTレース」を視察するように計らってくれたのです。

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