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道路・交通最終更新日:2022.05.27 公開日:2022.05.27

【再掲記事】震災で衰退した陸前高田の漁業を元気づけたい!/岩手県陸前高田市(2)|東日本大震災、震災後の記事を振り返る

東日本大震災から11年。次の大震災に備えて、この経験をしっかり覚えておくために、「くるくら」では震災3年後の被災地の状況を伝えた記事を再掲することにしました。11回目は「祭りでできた人の絆が、震災後の復興を後押し/岩手県陸前高田市(2)」です。

文=松井竜太/撮影=安田菜津紀

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本記事は2014年2月に「メイトパーク」(「くるくら」の元サイト)に掲載した内容の再掲です。現状を伝える記事ではありませんのでご注意ください。


震災で衰退した陸前高田の漁業を元気づけたい!/岩手県陸前高田市(2)|特集:「被災地は今。」(JAF Mate誌 2014年3月号掲載)_01

米崎町 牡蠣養殖業者・佐々木 学さん

 1月3日、陸前高田市の広田湾で牡蠣の養殖をしている佐々木学さん(30歳)に同行し、今年の初水揚げを取材した。朝5時、満天の星のもと、佐々木さん親子が乗る小型の漁船が脇ノ沢漁港を出港した。

湾内には牡蠣を養殖する筏(いかだ)が多数ある。2年前に種付けし、選別してから育てた牡蠣を引き上げるのである。牡蠣の出荷は震災から1年後には始まっていたが、震災前のわずか1割程度。震災で破壊された滅菌施設が昨年の11月にやっと完成し、生食用の牡蠣の出荷ができるようになった。

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日の出前の脇ノ沢漁港。広田湾には牡蠣の養殖筏(いかだ)が並ぶ。 (撮影=安田菜津紀)

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滑りやすい筏の上に乗り、カゴに入った牡蠣を引き上げる佐々木さん。

震災で衰退した陸前高田の漁業を元気づけたい!/岩手県陸前高田市(2)|特集:「被災地は今。」(JAF Mate誌 2014年3月号掲載)_04

牡蠣の入ったカゴを釣り上げて船に引き寄せる、佐々木さん親子。

漁業体験ツアーで外から人を募集

 震災で打撃を受けた牡蠣の水揚げ量も、ようやく来冬から震災前のレベルに戻る予定だという。でも、佐々木さんにとっては、それでも復興と言えないようだ。

「次のシーズンで震災前の100%まで戻る予定ですけど、水揚げが戻っても、復興とは言えないんじゃないかと思います。震災前から高齢化が進み、漁業が衰退していましたが、震災の影響でさらに悪くなりました。次の世代が育つような浜じゃないし、人口も減っているし」

 地元の人間だけで漁業を盛り上げていくのは限界があるので、佐々木さんは「外からどんどん人を入れたい」と、他県から漁業に関心を持ってくれる人を募り始めた。漁業の楽しさ、やりがいを知ってもらうため、「漁業体験ツアー」を企画。すでに他県から60人ほど参加者が集まったそうだ。

「参加者の中から、ひとりでも漁業に興味を持って、陸前高田に来てくれる人が出てくれればいいのですが…」

 漁師の仕事は決して楽なものではないので、漁師を志す人を集めることは簡単なことではないが、そう話す表情は明るく、その目は陸前高田の漁業を元気づけたいと願う、頼もしいものだった。

震災で衰退した陸前高田の漁業を元気づけたい!/岩手県陸前高田市(2)|特集:「被災地は今。」(JAF Mate誌 2014年3月号掲載)_05

日が昇り始めた頃に港に戻り、船から岸壁に牡蠣を降ろす。

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作業場での殻剥き作業。春は海や山から栄養がもたらされ、牡蠣が最も美味しく なる季節。

震災で衰退した陸前高田の漁業を元気づけたい!/岩手県陸前高田市(2)|特集:「被災地は今。」(JAF Mate誌 2014年3月号掲載)_07

脇ノ沢漁港の防潮堤の一部は震災で倒れたままで、いまだ修復されていなかった。

 震災後、津波に対する恐怖や被害の大きさから、佐々木さんも漁業を続けることに迷いがあったそうだが、漁業の楽しさ、やりがいのほうが勝ったと言う。

「漁は自分で考えて判断したことが試せて、やってて楽しいですね。思いどおりに行かないこともありますけど、誰にも頼らず、自分でやるしかない点もやりがいになりますし」

そう話すだけあって、佐々木さんは自分が育てた牡蠣に自信があり、「どこの牡蠣にも負けない」と言う。

また、若いこともあり、SNSなどを積極的に活用することも検討していると言う。

「フェイスブックなどを利用して、いろいろな所に米崎の牡蠣を発信したいです。外部に開かれた浜にするため、新しい独自産業のモデルにもなりたいですね」と夢は広がる。

また、行政といっしょに被災地観光ツアーの人を受け入れて、漁業体験をしてもらうことも計画中だと言う。

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