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最終更新日:2024.12.20 公開日:2024.12.20

クルマ旅だから出会える、ドキュメンタリーのような風景──イタリア・トスカーナ州シエナ県サンジミニャーノをドライブする。【特集|クルマで旅しよう!】

イタリア在住の人気コラムニスト・大矢アキオ ロレンツォが、トスカーナ屈指の観光地、サンジャミーノのドライブスポットをご紹介。名所は世界遺産の旧市街だけにあらず。中世の農村の暮らし、幻のスパイス、そして自家製オリーブオイルを巡る、クルマの旅に出かけた。

文と写真=大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)

写真=大矢麻里(Mari OYA)

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サンジミニャーノ。貴族が競って塔を建てた中世都市の面影が残る。

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“中世の葬儀”に参列する

サンジミニャーノは、トスカーナ州の州都フィレンツェ市街から南に約57キロメートル、フィレンツェ・アメリゴ・ヴェスプッチ空港からは約67キロメートルの町である。町の解説に入る前に、自動車で向かう定番ルートで通過する町、ポッジボンシに寄り道してみよう。

かつてポッジボンシは、豊富な森林資源をもとに家具製造の地として知られていた。その技術を活かし、1970年代からはキャンピングカーの生産に力を入れるようになった。今日、イタリア製キャンパーの実に80%が一帯で造られている。

そのポッジボンシに「考古学公園」と名付けられた屋外施設がある。着工は2014年という比較的新しい施設だ。2026年の全17棟完成に向けて今も計画は進行中である。そう書くと建売住宅の広告のようであるが、実際は中世前期である9世紀~10世紀半ばの村を、実際に発掘が行われた場所に1/1スケールで再現しようというものである。現在までに完成しているのは、荘園領主の住居、脱穀場と鶏小屋を備えた農家、鍛冶屋、パン焼き窯、そして干し草置き場2つだ。

ポッジボンシの考古学公園は、常時無料で入場可能。年2回、後述する「中世前期の葬儀」が行われる。

住居内部は、資材から工法に至るまで学術的な考証に基づいて再現されている。

取材に訪れた11月1日は、「諸聖人の祝日」と名づけられたイタリアの祝日。多くの人たちが先祖の霊を祀ったお墓参りをする日である。その日、考古学公園では「前期中世の葬儀」が毎年行われている。

それは演劇形式で始まった。ときはザクセン戦争を起こしたことで知られるカール大帝の時代。数日の行方不明ののち、使用人ウルソの弟アヌーロが遺体で発見される。平和な村は一転して悲しみに包まれるが、亡骸にオリーブの枝を次々と置いてゆくなど、しきたりにしたがって葬儀を進める。そうした様子を、筆者を含め来場者は、あたかも参列者のように、演者の脇で流れを見守った。

式は平穏に終わるかと思いきや、村民の対立あり、先にこの世を去った先祖たちの語りあり……とストーリーは1時間以上にわたり続いた。迫真の演技はプロの俳優ではなかった。シエナ大学で考古学の教鞭をとるマルコ・ヴァレンティ教授と、彼のラボに所属する若き研究者たちであった。「村人の衣装も考証に基づいたものです」と、みずからも出演したヴァレンティ教授は説明する。

毎年春と11月1日に行われる「中世前期の葬儀」のワンシーン。教授と研究者たちによる、リアリティ溢れる演技が繰り広げられる。

前期中世の葬儀が行われる日は限られているが、施設は常に無料で見学可能だ。さらに日曜・祝日のいずれも午後は、再現された住居の内部を、こちらも無料で見ることができる。

同じ中世でも、後期におけるイタリア都市の様子は、各地に残る歴史的旧市街から想像が容易だ。しかしそれ以前の村を、それも原寸大で体験できる場所は珍しい。「中世前期に関するものでは、イタリアで唯一の屋外ミュージアムです」とヴァレンティ教授は胸を張る。

シエナ大学のマルコ・ヴァレンティ教授。「一般住民は土地を離れず農業に専念、狩猟は領主、と役割が分かれていました」

3世紀の時を超えて蘇ったサフラン

今回の最終目的地であるサンジミニャーノの旧市街は、ユネスコの世界遺産にも指定されていることから、すでに多くのメディアで詳しく紹介されている。したがって、ここでは基本的なことのみを記そう。

サンジミニャーノ一帯は、ボッカッチョの『デカメロン』にも登場する白ワイン「ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ」の産地である。

海抜は 334 メートル。中世には英国カンタベリーからローマに至る巡礼路フランチジェーナ街道の恩恵で発展。1199 年、前回記したヴォルテッラの司教から解放されて自由都市となると、目覚ましい成長を遂げた。町を象徴する塔は、当時の富裕家庭が財力を誇るために競って建てたものである。今日その数は14本だが、最盛期には72本が存在した。

最も高いグロッサの塔(54メートル)から町を見渡す。

しかし1348年のペストによる人口減少は、地域経済に深刻な打撃を与えた。1353年にはフィレンツェ共和国への服従を宣言したものの、さらに数世紀にわたりサンジミニャーノは衰退した。多くの塔はその間に、崩壊するか取り壊された。しかし19世紀末から徐々にその景観が再評価され、今日ではトスカーナ屈指の観光地となっている。

13世紀初頭の建立とされるサンフランチェスコ教会のファサード。といっても現在、内部はワインショップになっている。

いくつもの細い小道は、メインストリートであるサンマッテオ通りとサンジョヴァンニ通りに続く。

2つのメインストリートが交わるチステルナ広場。中世に町は巡礼路フランチージェナ街道と、ピサに至る交易路ピサーナ街道双方のおかげで大きく発展した。

塔を高層ビルに見立てて「中世のマンハッタン」と呼ぶ人もいる。

サンジミニャーノの名産は? と聞けば、多くの人が「ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ」と答えるはずだ。ヴェルナッチャという品種のブドウを用いた白ワインで、イタリア産ワインで最上の格付けであるDOCGに認定されている。だが実はもうひとつ、古くて新しい名物がある。サフランだ。

旧市街から自動車で南に約4キロメートル、「カーザノーヴァ・ペッシッレ」は、サフランの栽培を手がけているアグリトゥリズモ(農園民宿)である。主人のロベルト・ファンチュッリーニさんによると、8〜9月に球根を植え、秋雨が降ったあと10月に花を収穫する。ただし夕方にはしぼんでしまうため、早朝に雌しべを取る。1輪の花から採れる雌しべは僅か3本だ。その後40℃のオーブンで8時間熱すると、重量は70%も減る。「1kgを集めるのには、25万本の花が必要です」と語る。手のかかる作業である。

サフラン栽培農家のロベルトさん(右)と娘のロベルタさん(左)。収穫したサフランの花から雌しべを引き抜く。

ロベルトさんは続ける。「中世にサフランは染料や生薬、そしてスパイスとして、サンジミニャーノを支える重要な交易品でした。しかし17世紀になると、地域の農家は、より収益性が高いワイン用ブドウなどに作物を切り替えてしまったのです」。しかしロベルトさんは複数の大学の協力を得ながら地元サフランの再興を模索。1999年に本格生産をスタートし、2005年にはサフランとして初めて欧州連合が定める品質表示DOPの取得に成功した。3世紀以上の時を経て、現代によみがえった中世のスパイスである。

摘んだ直後の雌しべ。加工した品は、水に浸して色素を溶け出させてから、ラヴィオリ、リゾット、肉料理そして菓子の香りづけや着色に用いる。

オリーブオイル誕生の瞬間に立ち会う

秋といえば、オリーブの収穫時期である。他のトスカーナ地域と同様、サンジミニャーノ周辺の道でも、緑や紫の実をつけた木が迎えてくれる。オリーブ畑の面積はサンジミニャーノ地域だけで800ヘクタール、半径20キロメートルに範囲を拡大すると1万ヘクタールにおよぶ。そうしたオリーブの里に「フラントイオ・ディ・サンジミニャーノ」はある。エクストラヴァージン・オリーブオイル、石鹸、コスメといったさまざまなものを扱う直売所の傍らで、製造工程の見学ツアーやテイスティング(いずれも要予約)も行っている。

オリーブオイルの直売所「フラントイオ・ディ・サンジミニャーノ」。看板にpesa e scarico olive(オリーブの計量・荷下ろし)という文字が記されている理由は?

迎えてくれたフラントイオ・ディ・サンジミニャーノのサビーナさん。

内部にはウェルカムセンターがある。秋にはオリーブオイルの製造工程を見ながら、オーディオガイド(英・伊)による解説を聞くことができる。

北ドイツ・ハンブルクから1400キロメートル以上をドライブしてきたカップル。出来たての新作エクストラヴァージン・オリーブオイルを抱えきれないほど購入していた。

この施設、もうひとつ大きな役割がある。それは施設名にもあるfrantoio、すなわち搾油場だ。外部の人々が自分の畑で収穫したオリーブの実を運び込んでくると、それを絞って自家製オリーブオイルにしてあげる仕事だ。筆者の何人かの知人もそうだが、オリーブ畑をもつ人は毎秋、搾油場に電話をかけて順番の予約をする。

その日来ていたナターレ・ガンバッシさんは金物店の経営者だ。オリーブ約200本が生える畑を祖父から引き継いだ。「一番大変なのは、冬から春にかけての剪定ですね。木の正しい成育と、良い実づくりは、その作業にかかっているといっても過言ではありません」と彼は語る。「ただし、良い剪定の方法を教えてくれるエクスパートが徐々に姿を消しているのは困ったことです」とも明かす。

ガンバッシさんは続ける。「もうひとつ大変なのは実の収穫です。今日では機械のおかげで僅かに楽になったとはいえ、やはり簡単ではありません」。そういえば、かつて筆者も知人の畑で収穫を手伝ったことがある。多くのオリーブ畑は陽が当たる傾斜地にあるため、身体の平衡を保ちながら作業を続けていると、一日が終わる頃には足がガクガクになった。

外部の人から運ばれてきたオリーブが山積みされている。秋、フラントイオ・ディ・サンジミニャーノの搾油場は24時間稼働で、1日80トン分のオイルを生産するという。

いっぽう、オリーブオイル作りで最も感動的なときは?

「搾油口から適切な色と濃さのオイルが流れて出るのを見るときと、指でそれを味わうときです。いずれも何げない動作ですが、1年間続けてきた労力と努力に思いを馳せ、大きな満足感に包まれるのです」

そう語ったあと、ナターレさんはランドローバー・ディフェンダーの荷台にオイルを詰めたステンレス容器を載せて帰って行った。

4つの工程を経て、美しい緑色のオリーブオイルが搾油口から流れ出す。

金物店のナターレ・ガンバッシさん。「今年は生育状況が今ひとつでしたが、190リットルもできました」

次に搾油の順番を待っていたのは、23キロメートル南の村からやってきたステファノさんだった。1938年生まれの86歳。少し前には大病をし、高度治療を受けるため遠くミラノに入院した。それでも325本あるオリーブの木を守り続けた。

「始まりますよ」と声をかけてくれたスタッフと共に入った搾油場内は、擦りつぶしたオリーブの香りに包まれていた。破砕、撹拌、実との分離、そして低温による縦型遠心分離の4工程を経たオリーブオイルが搾油口から流れ出てきた。緑色であるものの、液体のゆらぎと鮮やかさによって、まるで炎のように見える。その瞬間、ステファノさんの顔に穏やかな笑みが浮かんだ。誰のものでもない、自分の家族と、ごく親しい人だけで分かち合うオリーブオイルである。

中世の農村の暮らし、幻のスパイス、そして自家製オリーブオイルを作る人々の喜び。辿り着きにくい場所に行くほどドキュメンタリー映画のような瞬間に出会うことができる。それこそクルマでめぐるトスカーナの楽しみなのである。

ステファノさんは、流れ出るオリーブを静かに見守っていた。

INFORMATION
おすすめルート:フィレンツェ・アメリゴ・ヴェスプッチ空港から高速道路A1号線Firenze impruneta インターチェンジ下車。自動車専用道路フィレンツェ-シエナ線に入り、Poggibonsi Nord インターチェンジ下車。そこからサンジミニャーノへは県道SP1号線で約15分。

Parco Archeologico di Poggibonsi(ポッジボンシ考古学公園)
住所:Fortezza Medicea, Poggibonsi (SI)
https://www.archeodromopoggibonsi.it/

Casanova di Pescille(カーザノーヴァ・ディ・ペッシッレ)
サフラン栽培農家&アグリトゥズモ(2025年春まで改装のため休業中)
住所:Loc. Pescille, 53037 San Gimignano(Siena)
https://www.casanovadipescille.com/

Frantoio di San Gimignano(フラントイオ・ディ・サンジミニャーノ)
オリーブオイル搾油場&直売所
住所:Loc. Casa Alla Terra 39, San Gimignano(Siena)
https://frantoiodisangimignano.it/

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