いすゞ・ジェミニ
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。いすゞとGMの共同事業から生まれた”双子座(ジェミニ)”。
イラスト=waruta
さまざまな国のさまざまなメーカーが、基本的に同じプラットフォーム(車台)とボディを使ってクルマをつくる。GMの「ワールドカー構想」から生まれたのが、1974年登場のいすゞジェミニである。71年にGMグループの傘下に入ったいすゞが、ベレットの後継モデルをつくるにあたって、いまでいうグローバルスタンダードなクルマづくりに”乗った”ともいえる。
日本ではジェミニだったが、ドイツではオペル・カデット、アメリカではシボレー、イギリスではヴォクスホールが生産し、シェベットとして販売した。ブラジルや韓国でも、それぞれの名前で売られた。そのころ、ジェミニオーナーがそれらの国へ行くと、見慣れたマイカーだがメーカーも車名も違う! というクルマに出会えたわけである。
デザインは、当時、GMヨーロッパの成長株だったオペルが担当した。控えめな”小顔”の丸目2灯で、フロントマスクもリアエンドも内側に傾いて(逆スラント)いる。デザインには、その後、オペルのチーフデザイナーになる児玉英雄が参画していた。
オリジナルジェミニの全長は、4135mm。いまのVWゴルフより13cm短い。1570mmの全幅は、5ナンバー枠を13cmも残していた。コンパクトなセダン/クーペボディには、クリーンでプレーンなヨーロッパ車のテイストが感じられた。
登場時のジェミニは1.6ℓだったが、その後、エンジンのラインナップを増やしてゆく。後期には高性能モデルやディーゼルも加わり、85年、いすゞ独自開発の”FFジェミニ”にバトンタッチするまでのロングセラーになった。
77年に出た1.8ℓエンジンのセダンLSを、筆者はかつて所有していた。まだ独身だったが、いま思い起こすと、上品なファミリーカーといった性格の使いやすい4ドアセダンだった。ステアリングはノンパワーだが、操舵力は重すぎず、運転すると、ひとくちに”素直”なクルマだった。
そうしたキャラクターが少し物足りなかったのか、ひとりスポーティ化構想に走った。ショックアブソーバーをKONIに換えたくらいまではよかったが、キャブレターをウェーバーに換えてからはタイヘンだった。ゴボゴボという豪快な吸気音はうれしかったが、音を出すのにパワーが使われていたのか、大してパワフルにはならず、燃費だけが悪くなった。
シリーズ後半生、初代ジェミニを最も有名にしたのは、79年末に追加された高性能モデル、
スラントノーズになったフロントマスクは、「GMワールドカーのサブコンパクト版」だったオリジナルジェミニとはだいぶ印象が変わったが、この大きな顔が80年代の初代ジェミニの顔になった。グローバルスタンダードな製品も、最後は”
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)