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最終更新日:2019.08.22 公開日:2019.08.22

いすゞ 117クーペの3期にわたる変遷

いすゞがかつて生産していた乗用車「117クーペ」。フラッグシップモデルとして開発され、1968年7月から81年4月までの約12年間で、8万6192台が生産された。その美しいボディを前後左右からチェックするのと同時に、2回のマイナーチェンジにより変化したフロントマスクの比較も行ってみた。

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 「117クーペ」は当初、1966年のジュネーブショーでコンセプトモデル「ギア/いすゞ117スポルト」としてお披露目された。”ギア”とあるように、イタリアのカロッツェリア・ギア社がスタイリングを手がけた。その時期のチーフデザイナーだったのが、かの巨匠ジョルジェット・ジウジアーロであり、「117クーペ」もまた彼のデザインした1台である。

 また「117」とは開発コードだが、実は1967年から82年まで生産された4ドアセダン「フローリアン」の開発コードである。「フローリアン」のフロアユニットにジウジアーロデザインのボディを架装することにした「フローリアンクーペ」とでもいうべき1台だったことから、「117クーペ」とされたのだ。

 そして「117クーペ」で特筆すべきは、誕生までが難産であったこと。「ギア/いすゞ117スポルト」のデザインがあまりにも洗練されていて美しかったことから、当時のいすゞのプレス技術では量産化が難しかったのである。しかし、いすゞはフラッグシップモデルを欲していたことから、何としてでも製品化を試みるのであった。まず、量産化のための一部デザイン修正をジウジアーロに依頼。そして驚くべき決断だったのが、機械によるプレス加工をせず、ハンドメイドでボディを生産することにしたこと。イタリアから超一流の職人を指導者として招聘してまで、それを実現したのであった。まさに「117クーペ」の初期モデルは、工業製品というよりは、工芸品ともいうべきクルマだったのである。

 このような経緯から、ハンドメイドで生産された1968年から1973年2月までの初期モデルにはプレミアがついており、現在では高値で取り引きされているのだ。

「117クーペ」PA90型1971年式。「117クーペ」は当初、排気量1584ccの直列4気筒水冷エンジン「G161型」を搭載したPA90型からスタート。1817ccのエンジンを搭載したPA95型、1949ccのPA96型が後に追加された。また「117クーペ」は、国産車として初めて燃料噴射装置に電子制御を導入したことでも知られている(車両型式がPA95E型というように車両型式の最後にEがつく)。MEGA WEBにて撮影。

PA95型の1971年式。「ノスタルジック2DAYS」のオートショップタキーズにて撮影。約500万円の値がつけられていた。

2回のマイナーチェンジで「117クーペ」には3種類の顔がある

 「117クーペ」は2回のマイナーチェンジを受けたことから、生産時期により、初期型、中期型、後期型の3種類がある。中期は1973年3月から77年10月までのモデルを指し、この時からボディも機械によるプレス加工となった。それとフロント部分の丸目4灯のヘッドランプにちなんで、通称「量産丸目」と呼ばれている。そしてさらなる生産性のアップなどを試み、内装なども変更した1977年11月からが後期モデルとされ、この時はヘッドランプが角目4灯になったことから、「量産角目」と呼ばれた。通称からわかるように、フロント部分が最もわかりやすい差異となっている。

初期型(画像はPA90型1971年式)のフロント部分。通称、ハンドメイド・モデルと呼ばれる初期型は、ヘッドランプが丸目4灯で、左右の2灯の間をラインが結んでおり、その上に獅子のエンブレムがある。MEGA WEBにて撮影。

完全な量産に移行した中期モデル(画像はPA95型の1975年式)のフロント部分。丸目4灯は同じだが、ランプの間にあったラインがなくなり、エンブレムの下側のデザインも変更された。「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2018」にて撮影。

後期型(画像はPA96型の1979年式)のフロントマスク。角目4灯になり、グリルも網ではなく、横桟型となり、グレード名が入っているなど、細かく変更されている。「JCCA ニューイヤーズミーティング Final(2019)」にて撮影。

1973年3月からはプレス加工となった中期モデル

 既述の通り、1973年3月のマイナーチェンジにより、ボディの生産はハンドメイドから機械によるプレス加工に移行。このマイナーチェンジで排気量1584ccのPA90型はなくなり、1817ccのエンジンを搭載したPA95型に統一された。

PA95型の1973年式。グレード名は「XE」。XEは当初最上級グレードだったが、後期にはさまざまな限定モデルが登場した。「オートジャンボリー2019」にて撮影。

PA95型の1975年式を真正面から。グレード名は「XT」。「117クーペ」は最も新しい年式であっても40年近く経つが、今もって人気が高い。旧車イベントによっては、何台もの「117クーペ」が参加することもある。「JCCA ニューイヤーズミーティングFinal(2019)」にて撮影。

PA95型の1975年式。グレード名「XC」を真後ろから。曲線が芸術的で実に優雅なスタイリングだ。「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2018」にて撮影。

PA95型の1976年式を真横から。グレード名は「XC」。真横から見ると、フロントとリアの「117クーペ」らしい美しいラインがよくわかる。「JCCA ニューイヤーズミーティングFinal(2019)」にて撮影。

PA95型の1977年式を後方から。グレード名は「XE」。後ろからのデザインがとても美しく、「117クーペ」の評価されるポイントのひとつ。「ノスタルジック2DAYS 2019」の、いすゞ車一筋の旧車レストアショップ「ISUZU SPORTS」ブースにて撮影した。

1977年11月の最後のマイナーチェンジで後期モデルが登場

 後期モデルの特徴は既述した通りに角目4灯。また、新しいグレードも追加されていった。そして1978年12月には1949ccのエンジン「G200型」を搭載したPA96型が登場。後継モデル「ピアッツァ」が1981年5月に登場するまでフラッグシップの役割を全うした。

PA96型の1979年式。グレード名は「XC」。「JCCA ニューイヤーズミーティングFinal(2019)」にて撮影。

PA96型の1979年式。グレード名は新たに追加された「XCJ」。若者向けの設定だった。「オートジャンボリー2019」にて撮影。

PA96型の1979年式。グレード名は「XG」。ジウジアーロのデザインは時代を超越しており、現代のクルマとしても十分に通じるたたずまいである。


「117クーペ」の後継モデルの「ピアッツァ」。今となっては別のクルマにしか見えないが、2代目「117クーペ」であったとしても、それほど違和感がなかったかも知れない。「オートジャンボリー2019」にて撮影。

 「117クーペ」は1981年4月、12年という長い期間ではあったが1代限りで生産を終了することとなった。後継モデルの「ピアッツァ」のスタイリングを手がけたのもジウジアーロであることから、実は「ピアッツァ」は2代目「117クーペ」を想定してデザインされたという説もある。しかし、結果としていすゞは別のクルマとして発売することを決定し、惜しまれつつも「117クーペ」は過去の車種となったのである。「ピアッツァ」ではなく「117クーペ」の2代目としていたら、歴史はどうなっていたのだろうか? などと考えてしまいたくなるほど、「117クーペ」には魅力がある。「117クーペ」は、いすゞが乗用車の生産から撤退してしまったことが、つくづく悔やまれるクルマなのだ。

【PA90型スペック】
全長×全幅×全高:4280×1600×1320mm
ホイールベース:2500mm
トレッド:前1325/後1310mm
車重:1050kg
乗車定員:4名(4座型クーペ)
エンジン:水冷直列4気筒DOHCエンジン「G161型」
排気量:1584cc
最高出力:120ps/6400rpm
最大トルク:14.5kg・m/5000rpm
最高速度:時速190~200km
サスペンション:前・独立懸架式ダブルウィッシュボーン/コイル、後・固定トルクロッド/リーフ
ブレーキ:前ディスク/後ドラム
価格:172万円

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