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クルマ最終更新日:2019.03.08 公開日:2019.03.08

完成の域に達した軽自動車に今求めること【魂の技術屋、立花啓毅のウィークリーコラム11】

「今の軽自動車は確かに良くできている。だが未成熟でもある」。かつてマツダに在籍し、ユーノス ロードスターやRX-7などを手掛けてきた技術者の立花啓毅氏はいう。今の軽自動車のいったい何が未成熟だと言うのだろうか。

立花啓毅

写真はイメージです

かつてマツダに在籍し、ユーノス ロードスターやRX-7などを手掛けてきた技術者の立花啓毅氏はいう。「今の軽自動車は理性で選べば、文句のつけようもなく良くできている。だが、それだけでは人生経験を長く積んだ大人が乗りたくなるような魅力とはならない」。どういう魅力が今の軽自動車に必要だと言うのだろうか。

 最近、仲間うちで良く出る話が「軽で充分だよね。最近は良くできているし、今さらクルマで格好つけることもないし……」である。本当にそうだ。普段使いには小さい「軽」が何かと便利で燃費も良く、社会性も高いと思う。

 だが一方で、そう思っても全員が軽に食指を伸ばすわけではない。それは、今の軽があまりに子どもじみて見えるからだ。顔つきが”いかつく”なっていたり、いたずらに”おちゃめに”見せていたりすることもあるが、そうした「ギミック」を含めて、クルマが持っている空気感が子どもっぽい。これではいい大人が乗るわけにはいかないと考える人もいるだろう。

今の軽自動車の何が問題なのか

 社会が成熟しているにもかかわらず、日本の軽は未成熟のままに見える。そこで、ある自動車メーカーに「大人の軽」を作ろうと話を持ち込んだ。「大人の軽」とは、媚びやへつらいがなく、使い手が作り手の哲学に共感できるクルマだ。クルマに哲学があると、ユーザーへの媚びが消えて自然に大人っぽい空気感を持つようになる。哲学は突き詰めていくとブレなくなる。モノとしてブレていないことは、審美眼を持ったユーザーがその商品を選ぶときの安心感や共感となる。だから、開発者自身の哲学を具現化していく作業をないがしろにしては、いいクルマはできないと私は考えている。

 ところがメーカーの商品企画部の方々は、我々大人が乗れる車がないという言葉の意味が分からないようだった。もちろん、未成熟という意味も、また何を問題視しているかも分からない。

 そこで、全長は「軽」より35センチも短く、全幅は7センチも狭い「オースティン・ミニ」を引き合いに出した。

「軽よりはるかに小さいにも関わらず、独自の存在感があるではないか。ミニが軽よりこんなにも小さいとは、誰も思わないだろう。しかも大人4人がきちんと納まる。これは別にミニに限った話ではなく、フィアット500やムルティプラなども同じで、小さくても夢がある。いずれも作り手の哲学に共感するクルマばかりだ。小さいことは良いことで、大きく見せようなんていう魂胆がないからクルマが大らかなのだ。軽が未成熟に見えるのは、小さいからではなく、あれもこれもと詰め込んで小手先のギミックに頼りすぎた結果、作り手の哲学がまったく感じられないクルマになってしまっているからだ」と檄を飛ばした。

価値観は経験の中から形成されていく

 ところが商品企画の方々は、今の軽を子どもじみているとは全く思っていないようで、話は最後まで噛み合わなかった。

 会議が終わって、つくづく思ったのは、多くの日本人はリアルな本物を触れず、アニメやゲームという仮想の社会で育った結果、発想までもがリアルから乖離してしまったのではなかろうかということだ。

 それならばと今度は、個性的なクルマを集めて試乗会を開いたり、大人が集まる麻布十番のレストランで食事をしたりもした。食事をしながら、「ここで遊んでいる大人が乗れる軽を考えよう!」と持ちかけたが、最後まで理解できないようだった。せめて話だけでも通じ合えればコトは前に進みそうだと思っていたのだが。同じ日本語を話していても、想い描いている世界観が違うのかもしれない。そう感じた出来事だった。

立花 啓毅 (たちばな ひろたか):1942生まれ。商品開発コンサルタント、自動車ジャーナリスト。ブリヂストン350GTR(1967)などのスポーツバイク、マツダ ユーノスロードスター(1989)、RX-7(1985)などの開発に深く携わってきた職人的技術屋。乗り継いだ2輪、4輪は100台を数え、現在は50年代、60年代のGPマシンと同機種を数台所有し、クラシックレースに参戦中。著書に『なぜ、日本車は愛されないのか』(ネコ・パブリッシング)、『愛されるクルマの条件』(二玄社)などがある。

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