やっぱり「ミゼット」? それとも…!? アンケート『好きな、もしくは乗ってみたいオート三輪は?』の結果は?【クルマ好き4択】
メイトパークの公式Twitterで実施中のアンケート企画「クルマ好き4択」。今回は懐かしのオート三輪を題材に選んでみました。好きなオート三輪、もしくは乗ってみたいオート三輪を選んでもらった結果はどうだったでしょう?
日本のモータリゼーションの進展を語る上で、絶対に外せないのがオート三輪。1930年代に誕生し、戦後、人々の足が二輪車から四輪車へと移行していく中で、つなぎ役として大活躍。1960年代には大ヒットも記録し、現在ではその年代を象徴するアイコンのひとつとなっています。今回はダイハツの「ミゼット」と「三輪トラック」、マツダ「K360」、三菱「レオ」の4車種を対象に、2月13日にアンケートを実施しました。
出題者の事前の結果予想は、ダイハツの軽オート三輪「ミゼット」。もはやオート三輪の代名詞的存在ともいえる知名度を持っていることが理由です。それでは、結果を見てみましょう。
【クルマ好き4択】
本日は、往年の「オート三輪」が題材です!次の4車種のうち、どれが好きですか? またはどれに乗ってみたいですか?#オート三輪 #ダイハツ #ミゼット #三輪トラック #三菱 #レオ #マツダ #K360
パークブログ
— JAFメイトパーク公式ツイッターアカウント (@JAF_MW) 2019年2月13日
今回の投票総数は51票。皆さん、ありがとうございましたm(__)m。1位はやはり「ミゼット」! 59%というダントツの得票でした。今見てもかわいいデザインですので、乗ってみたい方も多いのではないでしょうか? 序盤から票を伸ばしていき、独走状態でゴールしました。
1位は、6割弱の得票を集めたオート三輪の代名詞的存在・ダイハツ「ミゼット」
1949年7月に軽自動車規格が制定され、1954年の法改正で排気量の上限が360ccまで引き上げられますと、ダイハツ、マツダ、スバル、三菱などの各社が三輪および四輪の軽自動車の開発に乗り出します。そして ダイハツが軽オート三輪「ミゼット」(※1)を世に送り出したのは、創立50周年となる1957年のことでした。
この高度経済成長が始まり出した時期、中小企業や個人事業主、個人商店などによる小口の輸送需要が高まってきていました。そのため、積載量がクルマに近いにもかかわらず、取り回しがスクーター並みによく、経済的で税金面で有利な上に、燃費も良く、スクーター免許ともいわれた軽自動車免許で運転できた軽オート三輪は軒並みヒットし、中でも大手のダイハツが手がけた「ミゼット」は大ヒットとなりました。軽オート三輪のヒットの仕方は急激で、1958年の全メーカー合計の生産台数は約1万4000台でしたが、それが1959年には約8万3000台と一気に増え、さらに1960年になると約19万台にもなったのです。その中心にいたのが「ミゼット」であり、1960年代を象徴する車種となっていったのです。
2位は、戦後間もないマツダを支えた軽オート三輪「K360」
マツダは、1931年に三輪トラック「マツダ号DA型」でクルマメーカーとしての歴史をスタートさせます。その時の社名は東洋工業株式会社でした(創業当時は東洋コルク工業株式会社)。そして戦後も、ダイハツと並ぶオート三輪のメーカーとして、1、2位を争ったのです。
軽自動車規格が1954年に法改正されて排気量の上限が360ccになりますと、マツダもまた軽オート三輪の開発に乗り出します。そしてダイハツ「ミゼット」の発売から2年後の1959年に発売したのが「K360」でした。「ミゼット」と大きく違う点は、4ストロークエンジンを搭載したことでした。軽オート三輪ブームによって「K360」もヒット。発売から3年弱で12万台強が生産されたといわれています。「K360」は改良され続け、最終的に1969年まで生産されました。
今回は「ミゼット」に大きく水をあけられてしまいましたが、24%を獲得して2位となりました。
3位は、約3年の間に約2万8000台が生産された三菱「レオ」
三菱のクルマ製造の歴史は、1917年まで遡ります。当時はまだ三菱自動車は存在せず、三菱造船の神戸造船所において、日本初の量産乗用車とされる「三菱A型」の試作車が開発され、1921年までに22台が製造されました。そんな三菱も戦後になりますと、オート三輪を手がけるようになります。1946年に0.4トン積みの三輪トラックの試作車「みずしまXTM1号」からスタートしました。そして1954年の軽自動車規格の法改正後は、軽オート三輪の開発を初め、1959年に市場に投入したのが「レオ」だったのです。
「レオ」の特徴は、軽オート三輪では初となる密閉式の金属製完全キャビン(2人乗り)を採用したこと。それにより発売して程なく月産1000台を超えるヒットに。しかし三菱は程なくして軽自動車(四輪)へと舵を切り、1961年に軽ライトバン「三菱360」を発売します。そのため「レオ」は約3年の生産期間で終了します。それでもトータルで約2万8000台が生産されました。三菱製オート三輪は1946年から1962年までの期間で累計約9万台が生産されたという記録が残されており、「レオ」は30%強を占めることを考えますと、当時の人気がうかがえます。
今回はダイハツの「三輪トラック」と接戦となり、わずか1%の差でしたが、9%で3位となりました^^。
4位は、ダイハツの主力として生産された「三輪トラック」
当初、発動機製造株式会社という社名だったダイハツはエンジンメーカーとしてスタートしました。しかし、国内の自動車メーカーになかなかエンジンを購入してもらえなかったそうで(当時は、信頼性の面でイメージ的に海外製エンジンの方が上だったため、難しかったようです)、ボディも自ら製造することにして、自動車メーカーにスイッチしたのです。そして1930年に誕生したのが、同社のオート三輪第1号「HA型ダイハツ号」でした。戦後は、自動車メーカーとして早い段階の1949年に工場の稼働を再開。「ダイハツSE型」を標準タイプとする三輪トラックシリーズを生産し、マツダと共にオート三輪のトップメーカーとして君臨するようになるのです。
三輪トラックはさまざまな改良を重ねられ、1956年には丸ハンドルのオールスチール製のキャビンを採用したモデルの製造がスタート。画像は現存しているダイハツの三輪トラック中で最も台数が多いといわれる「ダイハツCM8型」で、1967年に登場しました。三輪トラックは1972年に丸ハンドルが製造中止となったこと、そして大型化が進んだ結果、安定性の面などから四輪トラックに取って代わられたことなどがあって、1970年代前半に急速に姿を消していきました。
今回は得票が伸びず、わずか1%「レオ」におよばずに8%で4位となりました。
【21日〆切のアンケート!】ちょっと通好みの、70年代ブーム時のイタリアン・スーパーカー、どれが好き?
2月18日スタートのアンケートは、「ちょっと通好みの、70年代ブーム時のイタリアン・スーパーカー、どれが好き?」です。ランチア「ストラトス」は、WRC世界ラリー選手権で勝利することだけを考えて開発された、”一般人でも購入可能なラリーカー”ともいうべきスーパーカー(※2)。そしてハンドリングマシンとして知られるフェラーリ「ディーノ246」は、フェラーリの創始者エンツォの夭折した長男アルフレードの愛称を冠したというエピソードが有名です(※3)。デ・トマソ「パンテーラ」は、イタリア製のボディにアメリカンV8エンジンを搭載した、他のイタリア車とは雰囲気の異なるワイルドなイメージが特徴。マセラティ「メラク」は、1年早く発表された「ボーラ」の弟分的存在。ボディをほぼ流用し、エンジンは同じミッドシップに搭載していますが「ボーラ」より2気筒少ないV6エンジンです。デザインは、巨匠ジョルジェット・ジウジアーロでした。さて、この4車種のどれがが好きですか? 奮って、投票して下さいね^^!
【クルマ好き4択・アンケート】
本日は、「70年代ブーム時のイタリアン・スーパーカー、どれが好き?」です。
「カウンタック」や「512BB」だけじゃないですよね^^!#ランチア・ストラトス #フェラーリ・ディーノ246 #デ・トマソ・パンテーラ #マセラティ・メラク— JAFメイトパーク公式ツイッターアカウント (@JAF_MW) 2019年2月18日
【クルマ好き4択】過去の記事
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●「Z360」や「ビート」など! 2月4日・旧車アンケート結果「復活してほしいホンダの軽自動車は?」
●アンケート「復活してほしい三菱車は?」「トヨタの往年の”1600GT”どれが好き?」の結果は?