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ライフスタイル最終更新日:2016.06.13 公開日:2016.06.13

皆の衆11(7月号) 土佐・北川村の物語

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イラスト=渡辺コージ

 全国各地「ニッポンの皆の衆」の物語。第11回は、土佐の高知の、ある村のお話である。

 国をあげての「観光立国」の掛け声も勇ましく、日本への観光客数は年間2000万人に迫る勢い。いまや日本各地どこへ行っても、外国人観光客の姿を見かけるほどになっている。

 政府は訪日観光客数の目標を4000万人(2020年)にまで増やすことを発表。浅草、渋谷、京都、大阪などの有名観光地だけではなく、国内外からの「景気のいい」お客さんを呼び寄せるために、全国約1700の地方自治体同士が、仁義なき誘致合戦を繰り広げる、そんな「観光地大競争時代」に突入しそうな情勢である。

→次ページ:「美しき自然の村に乗り込んだ男」

●美しき自然の村に乗り込んだ男

 今回の物語の舞台は、高知県東部の山あいの村、人口約1400人の北川村である。

 北川村はゆずの名産地。かつては県内一の生産量を誇 っていた。いまでもその恵みは村の隅々にまで感じられ、経済的にも気風的にも豊かでのんびりとした雰囲気に包まれている。

 北川村の主な観光資源は、「北川村モネの庭・マルモ ッタン」(フランスの画家・モネの絵画を模した景観が楽しめる西洋式庭園)と幕末の志士・中岡慎太郎の館。人気の「北川村温泉」は、残念ながら、ただいまリニューアル準備中である。

 ここ北川村中心部には一軒も居酒屋がない。村役場の周辺に「なんでも揃う」酒屋さんが一軒あり、昼食どきにはお弁当も買える。鉄道の駅もなく、仕事関係の宴席には、村に隣接した海沿いの奈半利町にまで足を伸ばすことになる。

 たしかに、都会的文明生活の面ではやや劣るけど、北川村は美しい自然でいっぱいだ。ふと、耳を澄ますと聞こえる川のせせらぎや鳥の声。かわいい幼稚園児の遊び声。そんなのどかな村に、最近になって、単身乗り込んできたのが、北川村副村長・鈴木康正さんである。

 鈴木さんは前職である高知県観光振興部から、新村長のもと、請われるかたちで北川村にやってきた。

 東京で知己を得ていたわたしは、彼が北川村に赴任したと聞いて、図々しくもさっそく会いに来た。鈴木氏との再会のご挨拶を済ますと、慣れない土地での新生活の労も見せずに、北川村の魅力を喜々として語り始めた。

 どうやら、(以前おうかがいしていた)広島球場まで足を運んでまでする熱狂的な「カープの応援」はしばらくの間封印らしいが、ひとつここで、鈴木さんにお聞きした北川村の物語をひもといてみる。

 それは、先に紹介した「北川村モネの庭・マルモッタン」誕生の物語である。

→次ページ:「北川村にモネの庭ができたほんとうの理由」

●北川村にモネの庭ができたほんとうの理由

 話は1990年代後半に遡る。

 この頃、過疎化が進行していた北川村の労働人口のほとんどは農業に携わっていた。前述のように、ゆずは全国屈指の生産量を誇り、その「品質」や「香り」が高い評価を得ていた。そこで村は、ゆずを軸とした産業振興と高知県東部の観光・文化の拠点づくりを模索した。

 村は、北川村の「香り」と「自然と光」に注目。協議を重ね、ワインの国・フランス文化の「香り」と「自然と光」を自在に描き出す「印象派」の画家たちへとその連想の幅を広げた。

 ルノワール、ピサロ、セザンヌ、ゴッホなど、印象派といわれる画家たちは日本人にも非常になじみが深い。この「芸術」と北川村の豊かな「自然と光」を組み合わせ、まったく新しい何かを生み出す。そう考えるのは、僭越にすぎないのか。村はそう考えた。

 印象派の代表格、クロード・モネは、日本人にもっとも好まれている画家のひとりである。しかも、彼は浮世絵に影響をうけ、自らの絵のために日本風の庭園をつくるほどの親日派である。

 村ではさらなる議論が繰り返された。そして、その想いは、単なる「夢想」から具体的な計画へと変わり、「正面から門をたたく」べく、担当者をフランスへと派遣した。1996年秋のことだった。

 苦労が報われ、フランスの関係者の協力が得られることとなり、村一丸となって「モネの庭」を作り上げることを決意した。

 庭園整備上のアドバイスや実際のモネの庭に植栽されている植物を寄贈してもらうなど、フランス側の惜しみない協力にも支えられ、「北川村西洋式庭園」も少しずつ現実的な姿が見えてきた。

 そして最後に、公開へ向けての監修作業のため、フランス側の要人が来村し、自ら道具を手に取り、「モネの庭」の演出(見せ方)の最終チェックがなされ、2000年2月、ついに「北川村 モネの庭」は開園した。

 フランスのモネ財団へこのような「モネの庭」をつくりたいという支援・協力の要請はいくつもあった。

 理事長であるジェラルド・ヴァン=デル=ケンプ氏は、以下のように語り、正式に北川村に協力することを決定した。

 「支援や協力について、大きなところと結びつけば多くの資金が財団の収入となるだろう。しかし、財団としての収入は見込めないが、モネの庭があるジヴェルニー村は、小さな村である。そのジヴェルニーと同じような日本の小さな北川村ががんばっているということは大切にしなければならない」。

 斬新な発想力と運を呼び込む誠実さ。北川村の完全勝利であった。

→次ページ:「『ちょっとだけ遠い』土佐の村がパワーアップ」

●「ちょっとだけ遠い」土佐の村がパワーアップ

 今回の北川村取材の約一ヶ月後、少し残念なニュースが飛び込んできた。「北川村 モネの庭」に併設されたレストランが火災にあい、しばらくの休業を余儀なくされるとのことだった。

 「モネの庭」運営会社の経営も担っている鈴木氏に問い合わせると、さいわい庭園には被害はなく、二日間の臨時休業のみで再開することができたそうだ。( 2016年5月22日より営業再開)

 もうひとつの北川村の宝である中岡慎太郎もまた、律儀で誠実の人に思える。

 盟友・坂本龍馬ほどのドラマ性は持ち合わせていないけれど、豪胆な発想力と生一本で忍耐強い交渉への力で、倒幕に多大なる功績を残した。主役は龍馬に譲っても、慎太郎の残した革命志士としての足跡はけっして消えるものではない。

 その土地の歴史と未来を彩るニッポンの皆の衆。今回ご登場願ったのは、北川村副村長の鈴木康正さん。

 好きな広島カープの応援にはなかなか行けそうになく、赤ちょうちんがないんじゃ、たまのやけ酒もままならない(想像)。だが、時折垣間見せる発想力と誠実さで、「ちょっとだけ遠い」土佐の村で、新たにパワーアップした観光地の魅力を生み出してもらいたい。

 「モネの庭」は季節によってさまざまな表情を見せる。また行きたい。いま素直にそう思っている。

→次ページ:「土佐国・北川村の皆の衆的見どころ」

●土佐国・北川村の「皆の衆的」見どころ

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高知駅前に設置された武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎のモニュメント。幕末の志士だけじゃない。現代の志士もまだまだ土佐にはいるぞ。
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高知市内からクルマで約90分。けっしてアクセスがいいとは言えないが、わざわざ足を運ぶだけの意味がある。
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西洋式庭園である「モネの庭」は、その景観の印象だけでなく、日本庭園とはまた違った「演出」「メインテナンス法」などが施されている。
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奈半利町から高知の東沿岸部・東洋町に抜ける山間の街道が野根山街道である。古くは参勤交代にも使用された険しい山道だが、現在はハイキングが楽しめる街ののどかな観光資源。
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北川村にある中岡慎太郎館。派手さはないが、丁寧な展示と落ち着いた佇まいに好感が持てる。
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北川村の南部の海は有名な室戸岬である。とんびの飛来が似合う圧倒的に日本的な海辺である。

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