2016年06月13日 12:40 掲載

ニッポンの皆の衆 あるゆずの村。土佐・北川村の物語
文=中丸謙一朗


●北川村にモネの庭ができたほんとうの理由

 話は1990年代後半に遡る。

 この頃、過疎化が進行していた北川村の労働人口のほとんどは農業に携わっていた。前述のように、ゆずは全国屈指の生産量を誇り、その「品質」や「香り」が高い評価を得ていた。そこで村は、ゆずを軸とした産業振興と高知県東部の観光・文化の拠点づくりを模索した。

 村は、北川村の「香り」と「自然と光」に注目。協議を重ね、ワインの国・フランス文化の「香り」と「自然と光」を自在に描き出す「印象派」の画家たちへとその連想の幅を広げた。

 ルノワール、ピサロ、セザンヌ、ゴッホなど、印象派といわれる画家たちは日本人にも非常になじみが深い。この「芸術」と北川村の豊かな「自然と光」を組み合わせ、まったく新しい何かを生み出す。そう考えるのは、僭越にすぎないのか。村はそう考えた。

 印象派の代表格、クロード・モネは、日本人にもっとも好まれている画家のひとりである。しかも、彼は浮世絵に影響をうけ、自らの絵のために日本風の庭園をつくるほどの親日派である。

 村ではさらなる議論が繰り返された。そして、その想いは、単なる「夢想」から具体的な計画へと変わり、「正面から門をたたく」べく、担当者をフランスへと派遣した。1996年秋のことだった。

 苦労が報われ、フランスの関係者の協力が得られることとなり、村一丸となって「モネの庭」を作り上げることを決意した。

 庭園整備上のアドバイスや実際のモネの庭に植栽されている植物を寄贈してもらうなど、フランス側の惜しみない協力にも支えられ、「北川村西洋式庭園」も少しずつ現実的な姿が見えてきた。

 そして最後に、公開へ向けての監修作業のため、フランス側の要人が来村し、自ら道具を手に取り、「モネの庭」の演出(見せ方)の最終チェックがなされ、2000年2月、ついに「北川村 モネの庭」は開園した。

 フランスのモネ財団へこのような「モネの庭」をつくりたいという支援・協力の要請はいくつもあった。

 理事長であるジェラルド・ヴァン=デル=ケンプ氏は、以下のように語り、正式に北川村に協力することを決定した。

 「支援や協力について、大きなところと結びつけば多くの資金が財団の収入となるだろう。しかし、財団としての収入は見込めないが、モネの庭があるジヴェルニー村は、小さな村である。そのジヴェルニーと同じような日本の小さな北川村ががんばっているということは大切にしなければならない」。

 斬新な発想力と運を呼び込む誠実さ。北川村の完全勝利であった。

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