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最終更新日:2022.01.31 公開日:2022.01.31

ロータリーサウンドのRX-7と小さな大物食いシャレード。トヨタ博物館「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! WRC」より

愛知県長久手市のトヨタ博物館で、2022年4月17日まで、企画展「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! - WRC 日本車挑戦の軌跡」が開催されている。同企画展から、独特なロータリーサウンドとともに激走したマツダ・RX-7と、小さな大物食いの異名をとったダイハツ・シャレードを紹介。

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ロータリーエンジンのサバンナRX-7WRCに参戦

グループ2でクラス優勝したサバンナRX-7 写真=小林祐史

グループ2でクラス優勝したサバンナRX-7 写真=小林祐史

 愛知県長久手市にあるトヨタ博物館は、20211030日から2022417日まで、企画展「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! – WRC 日本車挑戦の軌跡」を開催している。同展は、公道で競技が行われるFIA世界ラリー選手権(WRC)で活躍した、日本のラリーカーを展示するものだ。同展で展示中のマツダ車、ダイハツ車を紹介する。

 1970年後半からマツダはWRCへの挑戦を開始した。そのきっかけはヨーロッパ各国のインポーター(輸入代理店)からの要請からだった。当時のWRCのチャンピオンシップを争う車は、改造範囲の広いグループ4というクラスだった。当時のWRCへすでに参戦していた他の日本車メーカーたちは、海外メーカーとチャンピオンを争うためグループ4へ参戦していた。ところがマツダは、改造範囲が狭いグループ2へ参戦。車両はサバンナRX-7を用いた。

 サバンナRX-7のグループ2マシンは1982年までWRCにスポット参戦を続けた。そして1983年からWRCの車両規定が、グループ4より改造範囲が広いグループBへ変更されると同時にマツダ ラリーチーム ヨーロッパが設立された。

 翌84年からマツダ ラリーチーム ヨーロッパは、サバンナRX-7をグループB仕様に仕立てて参戦。このグループB仕様は、エンジンを2ローターの12Aから3ローターの13Bに変更したモンスターマシンだった。

 このサバンナRX-7と同時期にマツダのインポーターたちは、改造範囲の狭いグループA仕様のファミリアでWRCに参戦していた。サバンナRX-7WRC参戦は1985年が最後となったが、インポーターたちはマツダの支援を受けながら1990年代までファミリアによる参戦を続けた。

RX-7+日本人コンビでモンテカルロ優勝

 トヨタ博物館に展示されたマツダ サバンナRX-7は、1979年のWRC開幕戦であるモンテカルロラリーに参戦したマシンで、グループ2クラス4部門で優勝している。クラリオンや小学館などといった日本企業がスポンサーとなり、ドライバーは中川一、コドライバーは森川修の日本人コンビがドライブした。

 モンテカルロラリーから帰国したマシンは、いったん行方不明となった。しかし2004年にマツダR&Dセンター横浜にあることをドライバーの中川が知り、25年ぶりの対面となった。そして同年の全日本ラリー選手権の最終戦ラリーハイランドマスターズのスペシャルステージで、当時の日本人コンビニよるデモランが披露された。

マツダ サバンナRX-7
1979年モンテカルロラリー グループ2クラス4優勝車 諸元
全長:4285mm
全幅:1675mm
全高:1260mm
ホイールベース:2420mm
車両重量:1005kg
エンジン:12B (2ローター) 1146cc
最高出力:221W(300ps)/-rpm
最大トルク:-Nm(-kg-m)/-rpm
ドライバー/コドライバー:中川一/森川修


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1982年サファリラリー出場の
ダイハツ シャレードを紹介

異名は「小さな大物食い」。シャレードの大活躍

1982年サファリラリーでクラス優勝を果たしたダイハツの初代シャレード

1982年サファリラリーでクラス優勝を果たしたダイハツの初代シャレード 写真=小林祐史

 ダイハツが初めてWRCに参戦したのは1979年のモンテカルロラリーだった。マツダと同様にインポーターや海外ディーラーからの要請で、ダイハツはWRCへ参戦した。車両は1977年に発売されたコンパクトカーである初代シャレードだった。

 その後、ケニアのディーラーから1982年サファリラリー参戦の要請がダイハツに届き、ここでも初代シャレードを送り込むことになる。当時のWRCの車両規定からシャレードは、排気量1300cc未満のグループ2に参戦。

 1970年から90年代前半のサファリラリーは走行距離が約5000kmもあり、かつ道路は未舗装で、岩がごろごろと転がるガレ場から、タイヤが半分くらい沈むような泥沼というような車が前進することを阻むような悪路ばかり。そのようなことからサファリラリーは「クルマ壊しのラリー」とも呼ばれており、初参戦する車がクラス優勝することは難しかった。

 しかしシャレードは軽量なボディと屈強な足回りでサファリラリーを走破し、クラス優勝を果たした。それも参戦した3台が全車とも完走。加えて3台で交換したショックアブソーバーが、たったの3本だった。軽量なボディでショックアブソーバーに負担をかけなかったことが、トラブルと無縁でいられた要因だった。ショックアブソーバーは日本のKYB(カヤバ)製で走破性も高く、シャレードの速さを支えた。これらにより、サファリラリーで経験を積んできた排気量が1000ccも違うグループBラリーカーのライバルたちと堂々と渡り合い、クラス優勝だけでなく総合でも17位に食い込んでいる。

 このサファリラリー初参戦での成績からシャレードは、ジャーナリストたちから「リトル ジャイアント キリング・カー(小さな大物食い)」という異名を付けられた。

 シャレードのサファリラリー参戦は、その後1993年までの12年間継続された。特に最後となった1993年は、総合でトヨタ セリカGT-FOUR ST185が総合1-4位を独占したが、5-7位にシャレードが続き、「リトル ジャイアント キリング・カー」という異名をさらに印象付けている。

ダイハツ シャレード
1982年サファリラリー クラス4優勝車 諸元
全長:3460mm
全幅:1510mm
全高:-mm
ホイールベース:2300mm
車両重量:-kg
エンジン:型 (4OHC) 993cc
最高出力:40W(55ps)/5500rpm
最大トルク:-Nm(-kg-m)/-rpm
ドライバー/コドライバー:S.シャー /M.シン


RX-7、シャレードの詳細な写真は
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