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クルマ2021.10.27

『サーキットの狼』の原点を探る。漫画家・池沢早人師の仕事術とカーライフ<中編>

1970年代に週刊少年ジャンプに連載され、スーパーカーブームの火付け役となった大ヒット漫画『サーキットの狼』。その作者である池沢早人師先生に、いまだから明かせる漫画制作秘話から、ご自身のカーライフについて話を伺った。今回はその中編をお届けする。

文=伊達軍曹

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『サーキットの狼』に秘められた真の目的

 運転免許すら持っていなかった若き日の池沢早人師(『サーキットの狼』連載時の筆名は池沢さとし)は初代日産 フェアレディZに衝撃を受け、そして地元の地味な商店街をたまたま走っていたトヨタ 2000GTとロータス ヨーロッパの神々しい姿に魂を揺さぶられた。

 そして自身もトヨタ2000GTおよびロータス ヨーロッパを購入し、主にロータス ヨーロッパでのスポーツドライビングにのめり込んでいった。

 そうなると当然、「大好きなスポーツカーを題材とした漫画を描きたい!」という気持ちが盛り上がってくる。

「すぐさま構想を練りましたね。僕がぜひ描きたいと思ったのは、当時『日本でもっともF1に近い男』と言われながら、1974年6月の富士スピードウェイでレース中に亡くなった風戸 裕。彼がもしもあのままF1に進み、夢を実現させていたら……という世界線を、ぜひ漫画で描きたいと思ったんです」

 レーシングドライバー風戸 裕をモチーフにしたからこそ、『サーキットの狼』は「公道の狼」ではなく「サーキットの狼」というタイトルになった。そして主人公の名は「風吹裕矢」になった。

1974年、富士スピードウェイを舞台に開催された「富士グランチャンピオンレース(通称グラチャン)」。ホームストレートのスターティンググリッドに、マシーンが整然と並ぶ。<写真提供:富士スピードウェイ>

1974年、富士スピードウェイを舞台に開催された「富士グランチャンピオンレース(通称グラチャン)」。ホームストレートのスターティンググリッドにマシーンが整然と並ぶ。写真奥2列目、ゼッケン88番が風戸 裕のマシーン。<写真提供:富士スピードウェイ>

ゼッケン88番、シェブロンB26・BMWをドライブする風戸 裕。<写真提供:富士スピードウェイ>

集団を率いてトップを快走するのは、『サーキットの狼』の主人公、風吹裕矢のモデルとなったレーシングドライバー風戸 裕。<写真提供:富士スピードウェイ>

「まぁ風吹裕矢の命名由来についてはWikipediaにも書かれてるそうですが、実は僕が『風吹ジュンさんのファンだったから』という理由もあるんですよね(笑)」

 それは知らなかったが(笑)、新作「(仮題)サーキットの狼」の原案は当時、富士山の5合目にあったレストランで考えられた。「日本一の山に登って考えれば、いろいろな願いも叶うのでは?」と考えた末の行動だった。

 だが願いは叶わなかった。

「子どもが読むマンガ誌で、そんなマニアックな外国の車を題材にした作品なんて人気が出るわけない――というのが編集部の見解でしたね」

 しかし――結果論ではあるが――編集部の見解は間違っていた。

 一度はボツになりかけた「(仮題)サーキットの狼」は、池沢の熱意により、結局は1974年12月に週刊少年ジャンプ誌上で連載を開始。

 そしてその後は日本全国に異様とも言えるほどのスーパーカーブームを巻き起こし、本稿の前編にて記したとおり、累計1800万部以上の単行本を発行するモンスター級の作品になっていく。だが、実は連載開始早々に「打ち切り」となっていた可能性もあった。

 つまり「その後、日本にスーパーカーブームは起こらなかった」という世界線が発生した可能性もあったのだ。

「連載開始から3話目の読者アンケートでいきなり3位になって、その後も7位とか8位ぐらいで推移はしてたんです。でも……具体的な名前とかは出せないさまざまな『編集部内の事情』により、サーキットの狼は連載打ち切り――ってことが決まっちゃったんです。で、金曜日にそのことを知り、失意の週末を送っていたのですが……開けて月曜日の夜、読者アンケートの速報が出たんです」

 前週の読者アンケート結果は、速報値ではあるものの「1位」だった。そしてそのまま、連載打ち切りの話は撤回された。

 速報値で1位となった回の題材は、後の『サーキットの狼』の人気を決定づけ、日本のスーパーカーブームおよび自動車文化史の方向性も決定づけた「公道グランプリ」だ。

「あそこで1位になることができたおかげで、あの作品のもともとの目的であった『もしも風戸 裕があのままF1に進み、彼の夢を実現させていたら……』という世界を、最後まで描ききることができました。もちろん僕はストリートを市販車で走ることも大好きですから、公道グランプリなどもノリノリで描いてましたよ。でも”そもそもの目的”を完遂できたことは、本当に幸せだったと思っています」

富士のホームストレートを駆け抜けるゼッケン88番の風戸 裕。このレースの終了後に、シェブロンワークスドライバーとしてヨーロッパF2出場が予定されていた。<写真提供:富士スピードウェイ>

富士のホームストレートを駆け抜けるゼッケン88番の風戸 裕。彼は1974年6月のレース後、シェブロンワークスドライバーとしてヨーロッパF2の出場を予定していた。<写真提供:富士スピードウェイ>

 こうして生きながらえた『サーキットの狼』という漫画作品が1979年まで連載され、さまざまな人間や業界にリアルタイムで影響を与えただけでなく、2021年の今もなお、自動車を愛する者たちの心に深く突き刺さっていることは、これ以上ご説明するまでもないだろう。

 次回「後編」では時計の針を一気に進め、「現在の池沢早人師のカーライフとその考え方」をご紹介する。

後編はこちら
(文中敬称略)

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