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最終更新日:2023.06.14 公開日:2021.04.22

『イタリア発 大矢アキオの今日もクルマでアンディアーモ!』第14回 イタリアの歴史遺産が買える!? 道路会社が100の物件を一挙放出

いまイタリアで建築遺産が大量に売りに出されているらしい。「カーザ・カントニエラ」って一体なに? イタリア在住のコラムニスト、大矢アキオがヨーロッパのクルマ事情についてアレコレ語る人気連載コラムの第14回は、イタリアの道路会社が売却する100の物件について。

文と写真・大矢アキオ(Akio Lorenzo OYA)

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イタリアの道路管理会社「アナス」がかつて管理要員を駐在させていたカーザ・カントニエラの一例。

道路管理事務所を売却する理由

イタリアの道路管理会社「アナス(以下ANAS)」は2021年3月19日、国内100か所ある管理施設の売却を発表した。対象の建物は、国道沿いなどにある道路管理事務所で、「カーザ・カントニエラ」と呼ばれているもの。官報を通じて公告した。

その前段階としてANASは2020年秋、管理事務所の再利用に関するアイディアを公募。結果として、100以上にのぼる有望な応募が寄せられた。具体的には、宿泊施設、ケータリング拠点、バール(イタリア式喫茶店)、休憩所、情報・学習センター、電気自動車の充電ステーションなどが提案された。

応募者の内訳は、企業41%、個人31%、機関・行政・市民保護団体15%、協会・協同組合8%、農業施設が5%だった。今回の入札は、そうした結果を受けて実施されることになった。

売却予定施設の所在地で最も多い州は、イタリアで2番目に大きい島であるサルデーニャ州の30施設。次いでミラノを州都とするロンバルディア州の12施設、中部アブルッツォ州の10施設で、以下は中部トスカーナ州など各州が続く。

応札希望者は、2021年6月15日までに、ANASの専用ウェブサイトを通じて申請を行う。

売却計画はANASも参画している政府の資産活用プロジェクト「イタリア 国の価値」の一環として行われる。ANASのマッシモ・シモニーニ社長は「弊社が所有する不動産の再活用、入手のしやすさ、機能性、有効性を強調する」と計画を説明している。しかし、2019年にANASは7100万ユーロ(約91億円)もの赤字を計上しているため、経営改善計画の一環とみるほうが正しい。

ANASとは、国家国道公社を意味するイタリア語の略称だった。

カーザ・カントニエラの外壁は、「ロッソ・ポンペイ」といわれる赤色で統一されている。

コモにて。後述するパオロ&ダニエラ夫妻が落札・購入した元カーザ・カントニエラ。

道路公団職員は”駐在さん”だった

同時にシモニーニ社長は、売却計画について「1世紀にわたって我が国の歴史と進化を見守ってきたこの建築遺産に、新たな次元を与える」とも強調する。

これを読んだ皆さんは、「”建築遺産”とは大げさな」と印象を抱くことだろう。しかし、今回売却されるカーザ・カントニエラは、たしかにイタリア近現代史の一部なのである。

ANASによると、カーザ・カントニエラの歴史は、イタリア国家統一以前の1830年に遡る。当時トリノを首都としていたサルデーニャ王国は、道路の3~4kmごとに「カントニエレ」と呼ばれる管理者を配備した。

そのカントニエレたちが拠点としたのが、カーザ・カントニエラであった。多くが事務所と住宅を兼ねていた。日本の警察でいうところの駐在所に近いものと考えればよい。

いっぽうANASの前身は1928年、ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権下で設立されたAASS(Azienda Autonoma Statale della Strada:国家道路公社)である。任務は、劣悪を極めた未舗装道路の補修および管理、併せて近代的道路の建設であった。この新組織のもと、カーザ・カントニエラもAASSの管轄となった。

そしてファシスト政権崩壊後の1946年には、AASSとほぼ同様の意味の略語であるANAS(Azienda Nazionale Autonoma delle Strade Statali 国家国道公社)と改称されている。

ちなみにANAS といえば、筆者が25年前イタリアに来た頃の個人的思い出がある。当時のアパートにはラジオしかなかった。まだイタリア語が拙いままスピーカーから流れる音声を懸命に聴いていたら、ある番組の最後に毎回「アナス」「アナス」と連呼していて、不思議な単語だなと思った。やがてそれはANAS提供の交通情報であることに気づくと同時に、しばらくしてANASとは何かを知った。

2002年には、公団公社の民営化ブームにのるかたちで、ANASは株式会社化された。2018年からは筆頭株主がイタリア経済・財務省からイタリア国鉄に変わり、イタリア国鉄グループを構成する一企業となって現在に至っている。「鉄道」が「道路」を傘下に収めるという面白い構図である。

現在ANASは、総延長3万kmの国道および一部の高速道路を運営・管理している。従業員数は約6000人で、管理下にあるイタリア国内のトンネル数1952本は、全ヨーロッパのトンネル数の半数にあたる。

カーザ・カントニエラのほか、道路管理用の資材を保管するANASの小屋も同色に塗られている。

ANASの施設は、イタリアの一般道における一風景である。

入札しても「歴史遺産」ゆえの条件がある?

ところで今回、カーザ・カントニエラが売却に至った理由は何か。筆者がイタリアの過去25年の道路事情の変化を観察したうえで考察すると、以下の3つが挙げられる。

・道路補修の体制が高度化する中、小さな拠点を数kmおきに維持するより、多くの管理用車両や機材を配備できる大きなセンターのほうが高効率となった。ちなみに1982年にはANASの組織改編に伴い、旧来の管轄区域の区分が撤廃されている。
・未舗装路が減り、舗装技術が向上した結果、補修の頻度が少なくなった。
・通信設備と移動手段の充実により、人海戦術といえる多数のカーザ・カントニエラを配備せずとも出動や対応が容易になった。

こうしたことから、カーザ・カントニエラやそれに付随する管理小屋は、役目を終えたのではないだろうか。

ANASによるとカーザ・カントニエラは現在1244か所を数える。そのうち実際に稼働しているのは半分だけだ。今回入札が行われるのはその一部ということになり、今後も同様の売却が続けられると思われる。

ただしカーザ・カントニエラの入札には、歴史的建築物扱いであることを象徴するような諸条件が提示されている。

・改造はオリジナル状態の保存に加えて、景観にうまく統合すること
・環境と歴史的建築物に適合した材料を使用すること。場所の景観特性と一致した色を使用すること
・外壁の塗料はカラーコードに沿って「ロッソ・ポンペイ(ポンペイの赤)」にすること
・国道であることの表示、起点からの距離表示、ANASの紋章を維持する

といったものだ。

カーザ・カントニエラの外壁には、国道の番号や起点からの距離が掲げられている。

カーザ・カントニエラを示す石板。

 実は以前から、ANASはこうした入札を実施していた。一例はイタリア北部コモのパオロ&ダニエラ夫妻の物件である。パオロさんは現役引退後の2011年、長きにわたり放置されていた元カーザ・カントニエラを「子どもたちの住居に」と落札した。そして3階建ての建物を約1年かけて瀟洒な邸宅に蘇らせた。すべての窓には防音工事を施した。

ところが子どもたちは2人とも国外に在住してしまった。そこでB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト)に急遽変更。世界各国からコモにやってくるゲストたちと交流を楽しむことにしたという。

コモの元カーザ・カントニエラを購入し、現在はB&Bを経営するパオロ&ダニエラ夫妻。

夫妻の元カーザ・カントニエラは、いわゆる懸け造りである。

夫妻は、ANASが示した売却条件に沿って、内外装を修復した。

 最後に筆者に話を戻せば、全国各地のカーザ・カントニエラや管理小屋に惹かれ、見つけるたび撮影してきた。もし落札すれば、毎日が管理事務所長の感覚を味わえるわけだ。往年のカーザ・カントニエラには、道路管理や交通管制だけでなく、警察に準じた権限も与えられていたから、”村の駐在さん”気分にもなれそうだ。

本当に住めるか?

古いイタリア人から聞いた話によると1950年代、イタリアで売春防止法が成立したのを知らず、もはや一般市民が住んでいる元・娼館を訪ねてしまった紳士が少なからずいたらしい。

いっぽうカーザ・カントニエラは、一般ドライバーが訪問する施設ではなかったから、購入してもいきなりドアを叩かれる恐れもないだろう。逆に、「どうせANASの施設だから空き家だろ」などと落書きしようとする不届き者が来たら、いきなり「コラ〜ッ!」と顔を出して驚かせてやりたい。

ただし、ひとつ懸念点がある。古い空き家を購入したことがあるイタリア人に聞けば、「最初の仕事はヘビの追い出しだった」と証言する。爬虫類がひどく苦手な筆者は、カーザ・カントニエラも同様であるかと想像すると、それだけで入札を尻込みしてしまうのである。

元道路管理事務所長の駐在所は、瀟洒な宿泊施設に生まれ変わった。

筆者が住むシエナにあるANASの資材小屋。外壁の落書き以上に、窓から覗いている人形が不気味だ。

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