1970年代後編:初代「カローラ レビン」やケンメリ「スカイライン」など!【トヨタ博物館 クラシックカー・フェス 2018】(6)
ヘリテージを尊び、人とクルマの未来を見据え、日本の自動車文化を育んでいくことを目的としたクラシックカーと旧車の祭典「トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑 2018」。未掲載の画像の中から最後にお届けするのは、1970年代のクルマたちの後編だ。
今回は、1970年代のクルマたち後編ということで、トヨタ「カリーナ」&「カローラ レビン」&「スプリンター リフトバック」、日産「スカイライン2000GT」、ホンダ「Z360」、いすゞ「117クーペ」の6車種をお届けする。クルマの年代は発売年ではなく、年式で整理した。
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走行動画:トヨタ「カリーナ」~トヨタ「スプリンター リフトバック」
「セリカ」の兄弟車として誕生したスポーツセダン「カリーナ」
1970年12月に発売されたトヨタのスポーツセダン「カリーナ」。初代「TA10型」はスペシャリティカー「セリカ」(※1)と機構の多くを共有する兄弟車だった。発売当初は1400、1400デラックス、1600デラックス、1600スーパーデラックス、1600STの5グレードをラインナップ。上の画像の1400デラックスは価格に対して装備の充実した”お買い得”なグレードだったという。
そのスタイリングの特徴は、フロントマスクについては、丸形4灯式ヘッドランプをグリルの内と外に分けているところ。そしてリアに関しては、4ドアセダンながら2ドアクーペ風のセミファストバックスタイルと、縦長のコンビネーションランプが採用されている点だった。
「カリーナ」はその後、1800ccと2000ccのエンジンが追加されていくが、その開発においてこんなエピソードがある。1970年代、当時の排気ガス規制をクリアーするため、「カリーナ」用にホンダが開発した「CVCC(Compound Vortex Controlled Combustion:複合渦流調速燃焼方式)」技術の供与を受けたのだ(※2)。1975年2月に、同技術による新型2000ccエンジンを開発して「カリーナ」に搭載、「昭和50(1975)年排気ガス規制」に適合を果たした。現在では、エンジン開発のためにライバル企業の技術供与を受けるということはまずない話である。しかし、それをしなければならなかったところに、当時の排気ガス規制の厳しさがうかがえるのである。
トヨタの2代目「カローラ クーペ」に追加設定された初代「レビン」
「カローラ レビン」はその名の通りに「カローラ」の中の1車種だが、その誕生までは複雑な経緯がある。「カローラ」(※3)は1966年11月に発売され、トヨタ車の中で最も成功した車種ともいわれている。そこからいくつもの車種が派生したことも特徴のひとつで、そのひとつが、1968年5月に誕生した「カローラ スプリンター」だ。ファストバックスタイルのクーペボディを採用したスポーツタイプだった。
「カローラ スプリンター」はトヨタオート店用の車種だったことから、1970年5月に2代目となった際に「カローラ」の名が外されて「スプリンター クーペ」となる。一方、トヨタカローラ店用としてボディを共用する姉妹車の「カローラ クーペ」が新たに設定された。
その最上位グレードとして追加されたのが、初代「カローラ レビン」だった。「レビン」とは英語で”稲妻”を意味する。「カローラ レビン」は走りを追求したグレードであったことから、排気量1600ccのDOHCエンジン「2T-G型」が搭載された。2T-Gを載せたことで0→400m(ゼロヨン)は16.3秒と、1クラス上のスポーツカーの性能を実現。最高速も時速190kmをマークしたのである。
「カローラ レビン」の名は、1983年5月に登場した4代目(初代「カローラ」から数えると5代目)の「AE86型」から(※4・5)グレード名ではなく車名となる。そして1995年5月登場の7代目(通算で8代目)が2000年7月に生産終了。その名は歴史のものとなった。
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続いてはC110型「スカイライン2000GT」や「117クーペ」など!
4代目はケンとメリーの日産「スカイライン2000GT」
1966年8月に日産とプリンスが合併した2年後に、日産から初めて「スカイライン」(C10型・通算3代目)が登場する。そして1969年2月に、初代「スカイラインGT-R」が誕生した。4ドアセダンの「PGC10型」に続いた2ドアハードトップの「KPGC10型」(※6)と合わせて、初代「GT-R」はツーリングカーレースにおいて、3年ほどの間に49連勝を含む52勝を達成。その圧倒的な速さから、プリンス時代から続く「スカイライン」人気にますます拍車がかかっていった。そうした追い風を受け、1972年9月にフルモデルチェンジして登場したのが、4代目「C110型」だ。
4代目はレースでの「スカイライン」人気に加え、ロマンティックなストーリーのCMが若者から年配者まで幅広い世代に人気を獲得。2人組フォーク・ユニットのバズが歌ったCMソング「ケンとメリー~愛と嵐のように~」が大ヒットを記録するなど、社会現象ともいうべき状況に至った。4代目の愛称は「ケンメリ」だが、その由来はCMにあるのである。レースにおける活躍とこのCM効果によって4代目の累計販売台数は「スカイライン」史上最高となり、66万台(資料によっては64万台)を記録することとなった。
C110型の中にも2代目「GT-R」(※7)が設定されたが、搭載エンジンの「S20型」が1970年代当時の厳しい排気ガス規制に適合できず、わずか197台で生産を終了。レース活動も行われなかった。そのため「幻のGT-R」といわれ、現在、旧車市場では大変な高値がついている。
ホンダの軽乗用車第1号「N360」のスポーツモデル「Z360」
ホンダは1963年8月に軽トラック「T360」(※8)で4輪市場に参入。そして軽4輪乗用車の第1号となったのが「N360」(※9)で、1967年3月のことだった。「N360」は大ヒットとなり、1970年9月に累計100万台を達成。翌10月に登場したのが、「N360」をベースとしたスポーツタイプの「Z360」だった。「Z360」のリアウインドーが潜水用ゴーグルのような形状をしていたことから、「水中メガネ」の愛称で呼ばれて親しまれた。
「Z360」については、別記事『あだ名は「水中メガネ」! ホンダ「Z360」、実は今年で生誕50周年。でも、まだまだ元気に走ってます』で詳しく取り上げたので、ぜひご覧いただきたい。
デザインド・バイ・ジウジアーロ! いすゞ「117クーペ」
今でこそ国内の大型自動車メーカーとして知られたいすゞだが、かつては乗用車も生産していた。そんないすゞがマイカー時代が来ることを予見し、1968年に発表したのが「117クーペ」だ(※9)。当時イタリアのカロッツェリアであるギア社に所属していた、インダストリアル・デザイナーの巨匠のジョルジェット・ジウジアーロにデザインを依頼。時代を超えた欧州風のエレガントさをまとって「117クーペ」は誕生した。
「117クーペ」はフルモデルチェンジすることはなかったが、1968年7月から1981年4月までの約12年に及ぶ生産期間は大きく3期に分けられており、初期型のPA90型は、ジウジアーロのデザインを再現するために職人がハンドメイドでボディを製作したことから、特に人気が高いとされる。上の画像は1975年式のPA95型で、中期モデル。この時期には量産体制に入っており、愛称は「量産丸目」といわれている。
詳しくは、別記事『往年のいすゞの名車たち!「ベレット」、「117クーペ」、「ジェミニ」、「ピアッツァ」を集めてみた』をご覧いただきたい。
「カローラ」系列のスポーティ・ワゴン「スプリンター リフトバック」
「カローラ レビン」の項でも触れたが、「カローラ」シリーズの特徴は系列が多岐にわたることだ。「カローラ」のスポーツタイプとして1968年5月に誕生した「カローラ スプリンター」は、2代目になると「スプリンター クーペ」と車名を変更したことはすでに説明したとおり。「スプリンター クーペ」からはいくつかの車種が派生しており、1974年4月に登場した3代目から派生したのが「スプリンター リフトバック」だった(1976年1月に発売)。
「スプリンター リフトバック」は、3代目「スプリンター クーペ」の2ドアクーペボディのルーフラインを延長し、リアに大きなハッチバックを設けたスタイルを採用。スポーティな要素を持ったワゴンという設定だった。「スプリンター リフトバック」はその後、3回のモデルチェンジを行い、4代目(初代「カローラ スプリンター」からは6代目)となる「スプリンター シエロ」が1991年に生産終了し、歴史の仲間入りをした。
「スプリンター リフトバック」と似たような外見をした車種として、1982年8月に「スプリンター カリブ」が誕生する。こちらはパートタイム4WDのレジャー向け5ドアワゴン(ステーションワゴン)、という位置付けだった。