歴代のセリカ「リフトバック」に「XX」、WRC参戦ラリーカー
トヨタ初の"スペシャルティカー(スペシャリティカーとも)"として人気を博した「セリカ」を取り上げる。
初代「セリカ 1600GT」(1972年式)。この時代、高性能なDOHCエンジンを搭載したクルマは少なく、また高価だった。それを「セリカ 1600GT」は、名機と呼ばれた水冷直列4気筒DOHCエンジン「2T-G」を搭載し、車両価格も手の届くものとしたことから、とても人気を博したという。2T-Gエンジンは最高出力115ps(84.6kW)を絞り出した。なおトヨタでは、DOHCと書いて「ツインカム」とルビをふるなど、ツインカムという呼び方を好んで使っていた。2017 トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑にて撮影。
当コーナーでは、イベントや展示施設などで撮り下ろした往年の名車たちを紹介している。今回紹介するのは、トヨタ初の”スペシャルティカー(スペシャリティカーとも)”として人気を博した「セリカ」だ。
「セリカ」は”未来からやってきた車”のキャッチフレーズで1970(昭和45)年12月1日に初代が発売。1999(平成11)年9月20日発売の7代目まで続いた(7代目の生産終了は2006(平成18)年4月)。車名の由来は、スペイン語で「天の」「天空の」「神の」「天国のような」という意味。販売チャネルはカローラ店だった。
なおスペシャルティカーとは、プラットフォームこそファミリーカーと共用しているが、スポーティーに仕上げた”スペシャルな”クルマをいう。初代セリカの場合はファミリーセダンの「カリーナ」のプラットフォームを使用していた。
初期のセリカのタイプは大別して3種類
「セリカ」はサブネームおよびボディの形状で大別すると3種類があった。無印、「リフトバック(LB)」、「XX(ダブルエックス)」である。また4代目からは受注生産方式のオープントップにできる「コンバーチブル」も登場する。
「無印セリカ」はセダンベースの2ドアクーペで、初代は1970年12月1日に登場。そして2代目が1977(昭和52)年8月22日に、そして最後の3代目が1981(昭和56)年7月2日に販売された(販売終了は1985(昭和60)年8月)。4代目以降はすべてリフトバックとなり、「セリカ」の名を引き継いでいくことになる。
初代は、エンジンやトランスミッション、内外装をオーナーが自分の好みに応じて選んで組み合わせられる”フルチョイス・システム”を採用したことも大きな話題となった。
初代「セリカ 1600GTV」(1973年式)。「1600GT」のスポーツ仕様。通常の「1600GT」よりも全高が10mm低く、トレッドが前後共20mmずつ広げられており、より低重心になっている。またカタログ上で”超扁平・高速ラジアル”と銘打たれた「185/70HR13」タイヤが履かされていた。お台場旧車天国2017で撮影したもので、ショップが販売も兼ねて展示していた1台。ちなみに初代セリカの価格は、当時60万円弱から100万円ほどだったそうである。
初代「セリカ 1600ST」。初代にはET、LT、ST、GTの4グレードがあり、STはGTに次ぐグレード。最高出力100ps(73.5kW)の水冷直列4気筒OHVエンジン「2T」をツインキャブレター仕様にして5psアップした「2T-B」が搭載されていた。1600とはエンジンの排気量を示し、正確には1588cc。そのほかにも最高出力86ps(63.3kW)の1407ccのエンジン「T」も用意されていた。お台場旧車天国2017にて撮影。
3代目の「1600GT-RALLY」
次は3代目「セリカ」のグレードのひとつである「1600GT-RALLY」だ。なお、後ほど紹介するラリーカー「セリカ ツインカムターボ TA64」は、この「1600GT-RALLY」ではなく、3代目の最上級グレード「GT」の特別版「GT-TS」がベースとなっている。
1981(昭和56)年7月2日に販売を開始した3代目「セリカ」の外見的な特徴は、ウェッジシェイプ型のボディを採用し、セミリトラクタブル方式「ライズアップ」ヘッドライトを採用したこと。これは一般的なリトラクタブル方式と異なり、消灯した際にレンズ表面がボディ表面の一部になる仕組みだった。
しかし当時の資料によると、ライズアップヘッドライトによるフェイスはあまりにも個性的すぎて不人気だったそうで、1983年8月のマイナーチェンジの際には一般的なリトラクタブル方式に変更された。
また3代目のエンジンには特筆すべきふたつの特徴があった。ひとつ目は、1982年10月に日本初のツインカムターボである「3T-GTEU」が追加されたこと。ただし、1気筒あたり2バルブのツインカムという、今では珍しい仕様だった。もうひとつは、13年間使用された名機「2T-G」シリーズに変わって、マイナーチェンジ時にこちらもまた名機と呼ばれる「4A-GE」系が採用されたことだ。
3代目「セリカ 1600GT-RALLY」(1984年式)。「1600GT-RALLY」は、「1600GT」と比べてサイズなどは同一で、車重が5kg軽いほか、独自の5速ミッションを装備し、タイヤは「185/70SR14スチールラジアル」を履いている点など一部が異なる。2017 トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑で撮影したこの車両は、リトラクタブル式のヘッドライトであることからも、マイナーチェンジ後の年式であることがわかる。マイナーチェンジでは、フェンダーミラーからドアミラーになったことも大きな変更点。
「セリカ」の本流となる「リフトバック」!
初代「セリカ リフトバック 1600GT」(1973年式)。大型のフロント(チン)・スポイラーが装着されているが、当時のカタログには見受けられないことから、アフターパーツと思われる。ボディも昭和の雰囲気で再塗装されている。「リフトバック」には大きなテールゲートがあることから、リアシートを倒すとカーゴスペースにはサーフボードやキャンプ用具なども搭載可能だ。お台場旧車天国2017で撮影。
「セリカ」では、ファストバックスタイルの3ドア(ハッチバック)・2+2クーペのことを「リフトバック」といった。定義として曖昧な部分もあるのだが、ファストバックとは、一般的にはトランクがない2BOX構造で、リアウィンドウ(テールゲート)のラインがセダンよりも斜めに寝かされており、テール後端まで長く伸びているデザインを採用したクルマのカテゴリーのことだ。
初代「リフトバック」は、初代「無印セリカ」の発売開始から2年以上が経った1973(昭和48)年4月6日に追加された。「リフトバック」の登場により、「セリカ」は2タイプ7種のボディ、2タイプ15種の内装、9種のエンジン、6種のトランスミッションとなり、よりオーナーの好みに合わせられるようになった。
「リフトバック」の2代目、3代目は「無印セリカ」と同時に販売され、1985(昭和60)年8月20日から販売を開始した4代目からはこの「リフトバック」が「セリカ」の本流となる。ただし、4代目からは車名には「リフトバック」とは入っていない。
5代目は1989(平成元)年9月6日に、6代目は1993(平成5)年10月8日に、そして最後の7代目が1999(平成11)年9月20日に発売された。
初代「セリカ リフトバック 1600GT」(1974年式)。MEGA WEBにて撮影。初代は、1971(昭和46)年の第18回東京モーターショーに参考出展された「SV-1」を市販化したものだ。アウトドアライフ志向が高まってきていたことから、それも踏まえて多用途に使えるスポーティ車として開発された。
初代「リフトバック」の「2000GT」
初代「リフトバック」には、より排気量の大きなエンジンを搭載したグレードも用意されていた。145ps(106.6kW)を叩き出す1968ccの水冷直列4気筒DOHCエンジン「18R-G」を搭載した「2000GT」である。
初代「セリカ リフトバック 2000GT」(1976年式)。フロントグリルの中央には「GT」のエンブレム。「リフトバック」は無印「セリカ」と比べるとサイズが若干異なり、「1600GT」と比較すると全長は50mm長く、全幅も20mmある。一方で全高は30mm低い。2017 トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑にて撮影。
初代「セリカ リフトバック 2000GT」(1977年式)。「セリカ」は無印も「リフトバック」も1977年8月22日にモデルチェンジして2代目が登場することから、この1977年式は初代「セリカ」の中でも最後の年式となる。お台場旧車天国2017にて撮影。
「XX」は「セリカ」の中でも少し変わった車種
2代目「XX 2000G」(1985年式)。ショップがお台場旧車天国2017で、展示を兼ねて店頭販売していた1台。スペックシートには「GT」とあるが、エンジンの排気量が1980cc、エンジン名が「1G」とある上に、フロントグリルに「GT」のエンブレムもなく、正確には「2000G」と思われる。2代目「XX」の「GT」グレードは、2759ccの「5MG-GU」エンジンを搭載した「2800GT」のみ。ちなみに「リフトバック」のテールゲートをオープンすると、このようになる。
「セリカ」の名前がつけられながらも、少し変わった位置づけなのが「XX」だ。1970年代前半に初代S30型フェアレディーZ(日産)が北米市場で大ヒットしたことから、それに対抗するために開発されたグランドツアラー(GTカー)である。
「リフトバック」のホイールベースを延長し、水冷直列6気筒OHCエンジンを搭載した。今回掲載した2代目には最高出力125ps(92.0kW)の1988cc「1G-EU」と、排気量をアップした170ps(125kW)の2759cc「5M-GU」の2種類が採用された。
「XX」の初代は、無印と「リフトバック」の2代目が発売された翌年の1978(昭和53)年4月13日に登場。北米市場では「スープラ」の車名で発売された。そして2代目は、1981(昭和56)年7月2日に無印および「リフトバック」の3代目と共に発売。「XX」としてはそれで終了となるが、3代目は国内でも「スープラ」と車名を変え、グランドツアラーの系譜は引き継がれていく。
2代目「XX」(年式未確認)。フロントグリルにGTのエンブレムがあることから、グレードは「2800GT」。「2800GT」の全長は4660mm、ホイールベースは2615mm。ベースの2代目「リフトバック」は、最も全長があるグレードで4330mm。ホイールベースは2500mm。全体的な雰囲気が、通称「70スープラ」と呼ばれる初代「スープラ」に通じるものがある。お台場旧車天国2017にて撮影。
1983年登場の「セリカ ツインカムターボ TA64」
「セリカ」のラリーマシンのトップを飾るのは、1981(昭和56)年7月に発売を開始した3代目「セリカ」ベースの「セリカ ツインカムターボ TA64」。
WRCのグループBカテゴリーへの参戦資格を得るために販売されたホモロゲーションモデルとして、1982(昭和57)年10月に200台限定で発売された「GT」グレードの特別仕様「GT-TS」がベースとなっている。ちなみにホモロゲーションモデルとは、市販車として生産すべき台数がレギュレーションとして設定されており、それをクリアしないとWRCには参戦できないというものだ(F1のように、市販されていないスペシャルなマシンでは参戦できない)。
「セリカ ツインカムターボ TA64」。84年のサファリラリーで初優勝を遂げ、その後3連勝を達成するなど、主に耐久ラリーで活躍した。エンジンは2090ccの「4T-GTE改」を搭載し、最高出力は326ps(240kW)。サスペンションは前がストラット式、後ろが4リンク・リジット式。画像は1985年の21号車。ユハ・カンクネン/フレッド・ギャラハー組のマシンで、サファリラリー優勝時のもの。MEGA WEBにて撮影。
トヨタ初のフルタイム4WDラリーカー「GT-FOUR ST165」
4代目「セリカ」は1985(昭和60)年8月20日に発売された。3代目までのFRからエンジンを横置きにしたFFとなり、プラットフォームはFFのファミリーカー「コロナ」/「カリーナ」と共用された。ボディは流れるような面=”流面形”をテーマとしたデザインで、空気抵抗係数(cd値)0.31を達成している。
そんな4代目「セリカ」発売から1年以上後の1986(昭和61)年10月1日に追加されたのが、「GT-FOUR」だ。正式なグレード名は、「2000 ツインカム16 ターボ GT-FOUR」。「GT-FOUR」はトヨタ初のフルタイム4WDで、185psを絞り出す直列4気筒16バルブDOHCターボ「3S-GTE」を搭載した。この「GT-FOUR」をひっさげて、トヨタは同年からWRCへの本格参戦を開始することになる。
「セリカ GT-FOUR ST165」。1987年からスタートしたWRCのグループAカテゴリーに参戦するために開発された、同社初のフルタイム4WDラリーカー。エンジンは水冷直列4気筒DOHC「3S-GTE改」を搭載し、1988ccで295ps(216kW)を発生させた。サスペンションは前後共ストラット式。画像は1990年の3号車。ビヨン・ワルデガルド/フレッド・ギャラハー組のマシンで、サファリラリーの優勝車。1990年には、カルロス・サインツが同マシンでWRCにおいて日本車初のドライバーズ王者となった。MEGA WEBにて撮影。
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5代目&6代目の「GT-FOUR」ラリーカー!
5代目「セリカ GT-FOUR ST185」
さらに外見の曲面の割合が増えた5代目「セリカ」(1989(平成元)年9月6日発売)。引き続き5代目にも「GT-FOUR」グレードは設定され、同時に発売された。5代目をベースとしたラリーカー「セリカ GT-FOUR ST185」は、日本車としてWRCで最も活躍し、日本車の黄金期を到来させた1台である。
5代目「リフトバック」の機構面の特徴は、トヨタ初の4輪操舵システム「デュアルモード4WS」を搭載したこと。またエンジンに関してはすべて1998ccに統一された。「GT-FOUR」に搭載された「3S-GTE」は225psまで出力をアップされている。
WRC参戦資格を得るためのホモロゲーションモデル「GT-FOUR RC」は1992(平成4)年に5000台が販売された。”RC”とはラリー・コンペティションの意味。
「セリカ GT-FOUR ST185」。画像は1993年のWRC参戦6号車。ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト組がドライブしたマシンで、オーストラリアラリーの優勝車。エンジンは「ST165」と同じ「3S-GTE改」だが、299ps(220kW)にパワーアップしている。「ST165」の後継車として1992年に実戦投入。同年、カルロス・サインツが2度目のドライバーズ王者となり、1993年、1994年には2年連続ダブルタイトルを獲得した。MEGA WEBにて撮影。
「セリカ GT-FOUR ST185」。1995年、第43回サファリラリーに出場した藤本吉郎選手の搭乗した3号車。藤本選手はこのマシンでサファリラリーを制し、日本人初にして現在まで唯一のウィナーとなっている。「セリカ」はサファリラリーを得意としており、この年で「GT-FOUR」として4連勝、「セリカ」としても通算8勝目をとなった。動物との接触を考慮したバンパーガードや、水深のある水辺を通過するためのシュノーケルなど、サファリラリー独特の仕様となっている。MEGA WEBにて撮影。
6代目「セリカ GT-FOUR ST205」
1993年10月8日発売された、6代目「セリカ」。スポーツ性を高めることを目的に、剛性を向上させて軽量化した新設計の共用プラットフォームを採用した(「カリーナED」/「コロナ エクシブ」と共用)。また、全幅が1750mmに拡大したことで3ナンバーとなった。
その最上級グレードである「GT-FOUR 2000 ツインカム16 ターボ」には、新開発の「スーパーストラットサスペンション」がフロントに搭載された。しかし、このサスペンションはラリーでは効果を発揮できず、「ST185」の後継車として1994年シーズンからWRCに投入されるも、セッティングの難しさから先代ほど活躍できなかった。
1994年のダブルタイトルを受けて、1995年シーズンにはチャンピオンナンバーでWRCに挑んだ「セリカ GT-FOUR ST205」。画像は、1995年のディディエ・オリオール/デニス・ジロウデ組の1号車のレプリカ。コルシカラリー優勝時のマシンを再現している。なお「ST205」もまたエンジンに「3S-GTE改」を搭載するが、若干デチューンされ、295ps(217kW)となっている。MEGA WEBにて撮影。
2017年12月22日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)