ホンダ・T360
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。スポーツカー譲りの強心臓を搭載「ホンダ・T360」。
イラスト=waruta
ホンダT360は、1962年の東京モーターショー(当時は全日本自動車ショー)に登場した軽トラックである。同時にショーでお披露目されたオープンカー、スポーツ360 と基本的に同じエンジンを搭載するこの”軽トラ”は、翌63年8月に発売された。スポーツ360もエンジンを拡大したS500として同じ年に市販化された。それまでのホンダはオートバイしかつくっていなかった。いわばホンダの4輪車元年に誕生したのがT360である。
60年代の軽自動車といえば、エンジンは2ストロークの空冷2気筒が主流だった。そんな時代に、T360の354ccエンジンは、オールアルミ製の水冷4気筒DOHC 4キャブレターという濃厚なスペックを誇った。
栄えある四輪ホンダ車第一号としてつくられた4気筒DOHCの軽トラ。自分のなかでも謎だった超レアなホンダ車に触れることができたのは、90年代に入ってからだった。大阪のオーナーが所有する66年型のステアリングを握らせてもらう機会を得たのだ。しかもそのオーナーは、60年代にホンダディーラーでメカニックをやっていたというT360の生き字引のような人だった。
FRP製の短いノーズを持つため、一見、フロントエンジンに見えるが、エンジンはシートの下にあり、プロペラシャフトで後輪を駆動する。
コラム4段変速のシフトレバーは、通常とは逆に、ステアリングコラムの右側から出ていた。変速パターンも変則的で、普通のコラム4段に慣れていると、4-3-2-1の順でシフトしてしまう。シフトレバーに追いやられて、ウインカーレバーは左側に付く。
この時代のベストセラー軽自動車、スバル360は空冷2ストローク2気筒で18馬力だったが、T360の4気筒ツインカムは8500回転で30馬力を発生した。当時の4ストロークエンジンとしては、おそろしく高回転型だ。慣れない操作で何か起きたら大変なので、オーナーに添乗してもらい、試乗に出る。
空荷だとローギアは低すぎるため、発進はセカンドでと教わる。予想していたとおり、エンジンはよく回る。といっても、タコメーターはないので、どこまで回していいのか、どこまで回るのか、最初はわからずおそるおそるアクセルを踏んでいたら、「もっと回さなきゃダメ」と助手席から声がかかった。ふつう古いクルマのオーナーなら、「そんなに回しちゃダメ」と言うだろう。そこがT360の真骨頂といえた。
ただ、回すとお尻の下のエンジンが大騒ぎして、狭い車内に充満した。元気に走り抜けるところを外で聞くと、エンジン音は125ccくらいの4ストのオートバイを思わせた。
現役当時、T360はホンダがつくった「スポーティな軽トラ」として、カーマニアの注目を集めるような存在だったのだろうか。オーナーによると、そんなことはなかったそうだ。「ウチの父ちゃんのトラックはよく走る」くらいの評判はあったにせよ、商店や農家で普通の軽トラとして使われていたという。
やたら高回転がきく働き者の小さなトラック。T360は本田宗一郎そのもののようなクルマだったのだ。
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)