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ライフスタイル最終更新日:2017.03.10 公開日:2017.03.10

そーいえば、そうだった。

 JAF Mate読者から寄稿を募り、このたび8作品を大公開。この企画では、記事を多く読んでもらうほど、投稿者様への謝礼もUPします! 集計期間は5/10正午まで。気に入った記事は、ぜひお友達にも紹介してファンを増やしてあげてくださいね。※PV集計は終了しました。

 それでは、ペンネーム・コズカタカズコさんの作品をどうぞ!


雪が積もった朝、
ボンネットバスと長靴の奇跡。

昭和30年代、小学生時代を雪の降る地方で過ごした。冬は今よりも寒く、雪も多く積もっていた。銭湯の帰り道にタオルを振り回していると凍って棒のようになり、玄関前に積んだ雪に登っては二階の窓から家に入っていた覚えがある。

雪が多く降った日の朝はもともと大して広くない道幅がますます狭くなる。後ろからボンネットバスが来たので軒先に寄って立っていたら、バスのタイヤが轍から滑って私の黒長グツの上を通過した。おぉっ!(と驚いている場合ではないのだが)しかし不思議と痛くないのでつま先を動かしてみると、その日は兄の大きな長グツを借りていたため先っぽは空洞状態。ために運よく難を逃れていたという次第。田舎でのちょっとした奇跡。

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すれ違いざまかけられた言葉は・・・?

夜の雪道、見知らぬ女性から
すれ違いざまかけられた言葉は・・・?

銭湯帰りだったか、しんしんと雪が降り続く夜道を一人歩いていると、うす暗い街灯の下、向こうから掻い巻きのようなものを頭からすっぽり被った女性の姿がうっすらと見えた。雪が音を吸い込むせいか、周りは長グツが雪を踏む「グッグッ」という音しかない。狭い道ですれ違おうとする直前、女性が私に「おばんです」と。周りに誰もいないので(あ、オレか)と気づきあわてて「お、おばんです」と応え、少し早足になって家に向かった。

あの頃は道で出会った人に掛ける言葉は、単なる挨拶だけでなく見知らぬ人に対する自分の「安全な人宣言」の一つだったんだろうな、きっと。

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コタツから、降る雪をじっと眺めていたあの頃。
今よりもっと静かで、物思いにふけることができた時代。

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最後の一発に仕込まれたパラシュートの行方。

温泉地で打ちあがる歓迎の狼煙。
最後の一発に仕込まれたパラシュートの行方。

小学校から家に帰ると、毎日、そう、毎日近所の空き地で遊んでいた。それもようやく歩き始めたくらいの子から高校生までが一緒に。ボール投げ、紙飛行機、追いかけっこ、かくれんぼ、ゴムとび、自転車乗り、と、男女年齢によって種目は違えど数十人が暗くなるまでその一帯を走り回っていた。小さい子が転んで泣けば兄貴分が起こして土を払い、姉御肌が傷を水で洗って唾をつけ「大丈夫!」と言えば、泣きベソをかきながらも即、戦列復帰を果たすのだ。

旅館が立ち並ぶ温泉地だったこともあり、市街地との間を私鉄電車が往復していた。週末に百人以上の団体客が駅に着くと歓迎の狼煙がボンボンッとあがり、その最後の一発からは決まって小さなパラシュートが降りてくるのが楽しみだった。狼煙があがり始めると全員ボールやバットなどの遊び道具を投げ捨てて「山の方だ!」「川の向こうかも!」と一斉に走り始め、木の枝に引っかかった50㎝くらいのパラシュートをつかみ取ったヤツはみんなの称賛を浴びた。

単線電車の運転手か車掌に憧れを抱いた頃。

単線で唯一すれ違うことができる駅があり、大きな輪っか(タブレットというらしい)を手渡しながら車掌さんが「〇〇よ~し」などと声を出す姿に誰もが憧れ、絶対に自分も運転手か車掌になろうと思っていた。

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いくつになっても「ちゃん」付けで呼び合っていた頃。
小さいけど単純なエネルギーでいっぱいだった時代。

そーいえば、そうだった。

投稿者:ペンネーム・コズカタカズコ(岩手県)

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