私の車の変遷
JAF Mate読者から寄稿を募り、このたび8作品を大公開。この企画では、記事を多く読んでもらうほど、投稿者様への謝礼もUPします! 集計期間は5/10正午まで。気に入った記事は、ぜひお友達にも紹介してファンを増やしてあげてくださいね。※PV集計は終了しました。
それでは、ペンネーム・横山春樹さんの作品をどうぞ!
1962年から現在まで乗り継いだ11台の車の思い出を綴ってみました。
懐かしい写真とともにぜひご覧ください。
1962年 日野 コンテッサ
1962年、私が大学生の時に日野コンテッサを親に買ってもらったのですが、これが私の所有する最初の車になりました。当時はフランスのルノーを国産化した車(日野 ルノー PA62型)を買うつもりでいたのですが、従兄が「性能が今一つらしい」というので、コンテッサを選んだのですが、コンテッサも似たり寄ったりで、箱根の山道をやっと走るような状態。燃費も悪く結局は1年位で売却してしまいました。
●日野 初代コンテッサ900
●大学の友人と日光にドライブに行った時、まさかのオーバーヒートに遭遇。これはその時の記念(?)写真。
1964年 日産 ブルーバード
1964年にオリンピックが東京で開催された時、私は選手を送迎するアルバイトをしていました。その時の車が日産のブルーバードだったのですが、今でもアクセルの感触は覚えています。この当時は日産のブルーバードとトヨタのカローラが圧倒的に人気があり、この2車はその後長い間性能、デザイン面でライバルであったことはご存知のとおり。
●日産 2代目ブルーバード 410型系 ※イメージ
1965年 トヨタ パブリカ
1965年に就職してからトヨタのパブリカを購入。当時、パブリカは「国民車」と呼ばれ人気がありました。800ccで2気筒だったので、エンジンをかけるとボデイが揺れる、そんなコンパクトな車でした。それにしても当時のタイヤはよくパンクしたもので、ジャッキを使ってしょっちゅうタイヤ交換をしたものです。またエンジンオイルの消費が激しく、頻繁にオイルを補充していた記憶があります。ボデイはブリキみたいな造りでしたが、よく走る車で70,000km以上走りました。会社の同僚とドライブに行った時に走行距離が70,000kmになり、車を止めて車体にコーラをかけて祝ったのも、とてもいい思い出です。
●トヨタ 初代パプリカ
●小さくても70,000kmを超える距離を走ってくれました。
1970年 ホンダ N360
パブリカの後はホンダのN360を購入。元赤坂の勤務先の近くの自転車屋から購入しました。1970年代はまだ駐車の規制が緩く、四谷の迎賓館の前や元赤坂の会社の近くに駐車できたので、気軽に車で通勤をしていたのですが、勤務先からすぐのところにある修理工場の前に駐車していたら、タイヤを4本とも外されていたことが! 一時はどうなることかと思いましたが、購入元だった自転車屋の主人がタイヤを戻してくれました。
●ホンダN360(※イメージ)
N360は空冷4気筒でエンジンは354CC。価格は30万円位でした。ボデイは小さく車体のカラーが赤だったので近所の子からは郵便車と言われていました。
1973年 ホンダ 1300クーペ
1973年に結婚し、ホンダの1300クーペを購入。この車、デザインは斬新でしたが、今から思うと足回りが弱い感じがありました。妻はペーパードライバ-でしたが、この車が気に入ったのか結婚してからは運転を再開。最初の頃は運転が未熟でヒヤヒヤしたものです。
●斬新なフォルムデザインは今でも評価が高いホンダ 1300クーペ
1975年 ホンダ シビック
気づくと私はすっかりホンダ派に。次に購入したシビックは、小回りが利き運転しやすいとすっかり妻のお気に入りの一台になりました。また、75年は長男が2歳の頃でしたが、長男は車が好きで渋滞で車が停まると「ウー」とうなって怒っていました(笑)。そんな長男も成人しスバルレガシー、フォルクスワーゲンと乗り継いで現在はアウディに乗っています。
●ホンダ 初代シビック
1978年 ホンダ アコード
●長男と長女とも車に乗るのが好きで、休日はよく車で出かけました。
1984年頃 ホンダ プレリュード
引き続きホンダ車であるプレリュードを購入。プレリュードは当時の人気車種で、屋根が開閉式だったので娘がよく得意げに屋根から顔を出していました。車2台で千葉の義母の家まで行った時も、子供たちはみんなプレリュードに乗りたがりました。当時としては斬新なデザインで女性にも人気があったのではないでしょうか。シビック、アコードに続きホンダの車を乗り継いだのですが、当時は比較的に景気が良くサラリーマンでも3年置きぐらいに車を変えていた時代でした。
●ホンダ 2代目プレリュード ※イメージ
この頃は先代の愛犬ベルとともによく千葉の義母の家に行きました。ベルは神経質な犬で車に酔い、よく吐いていましたがそのうち車に慣れたようで千葉の水郷地帯や横浜の中華街などに一緒に行きました。
●シェットランドシープドッグのベル。とても表情の豊かな愛らしい犬でした。
1992年頃 ホンダ ドマーニ
92年頃にはホンダのドマーニを購入。この車はイギリスの技術陣も参加し、スタイル、機能性ともイギリス人好みの車でした。地味な車でしたが使い勝手の良い車でした。
●ホンダ 初代ドマーニ ※イメージ
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1995年~現在。ある日突然、ホンダからBMWへ!
1995年~現在 ホンダからBMW、再びホンダへ
1995年のある日のこと。ずっとホンダの車を乗り継いでいた我が家にBMWのセールスマンが来て、自分でも不思議なのですが、なんとなく3シリーズを購入してしまいました。国産車の倍近い車でしたので、あの時は会社の専務から「部長が僻んでるよ」と言われました。BMWは剛性もよくブレーキの性能が良い車でした。一度妻がトラックにぶつけられたが、怪我はしませんでした。私も大雨の中で走行中に高速道路の壁に衝突しそうになりましたが、ブレーキが見事に効き事故を免れています。
●95年に購入したBMW 3シリーズ
2005年に初代のBMWが古くなったので日本車に変えるつもりでした。しかし息子が半分負担するというので2台目のBMW 3シリーズを購入しました。こうして2台続けて約20年ほどBMWを乗りましたが、故障も少なくハンドリングの良さや重厚なドアなど大いに満足し、安全性能も高い車でした。BMWに乗っているとまるで高級スーツを着ているようで、運転していても車と一体化したような感覚が味わえる車でした。2台目の3シリーズも故障が少なく10年乗りましたが、さすがに維持費がかかるようになり、燃費も6kmくらいなので買い換えました。
2015年6月。ふたたびホンダの車が気になりFITを試乗。その日のうちにあっけなく購入しました。我ながら「もっとゆっくり考えたら?」と思いましたが、私も妻もあまりこだわりを持たない性格のようで、その日のうちに契約してしまいました。BMWと比較してボデイの剛性には不安がありますが、車体が一回り小さく車庫の出入りがずいぶんと楽になりました。この車は塗装がグラスコートなので汚れが目立たないのもポイントです。またドライブレコーダーとリアワイドカメラも付いていて、特にリアワイドカメラは安全面でも重宝しています。
●ホンダ FIT ※イメージ
そんなわけで、現在のFITには大体満足していますが、エンジンの音が静かなのは物足りない思いです。BMWには籠った様な独特なエンジン音があります。今まで11台の車に乗りましたが、自分も75歳になりFITが最後の車になるかと思っています。ちなみに今年2月18日にJAFの新しい会員証が届いたのですが、今年で入会30年目になるので、Thirty Years Memberのステッカーを貰い車に貼っています。
(編集部注)記事内で”※イメージ”と記載している写真は、投稿者様が実際に所有していた車両とは異なります。
投稿者:ペンネーム・横山春樹さん(東京都)