2021年12月25日 06:00 掲載

交通安全・防災 ここの歩行者は“横断不感症”!?|
長山先生の「危険予知」よもやま話 第6回


話・長山泰久(大阪大学名誉教授)

せからしい日本?と、落ち着きのドイツ

長山先生:おっしゃるとおり、今回のような道路への飛び出しは、歩行者側の過失が大きい事例と言えるでしょう。では、歩行者に求められることは何でしょうか? 急いで走ったりしないで済むように早めに家を出ることでしょうか?

編集部:それが理想ですけど、なかなか難しいですよね。電車が遅れることもありますし。

長山先生:そうですね。そこで大切なのは、急いでいても不法な、そして危険な行動を取らない、抑制的な行動ができることです。

編集部:そんな聖人君子のような人は先生か警察官くらいかと。いや、先生でも、プライベートで急いでいるときは横断歩道以外でも渡りそうですよね。

長山先生:それはさておき、人の行動はその人の性格や考え方、行動規範によって変わってくるので、日頃から落ち着いた気分でいられる人や、自分が今「急いでいる」「焦っている」ことに気づいて、これではいけないと自分を抑制してコントロールできる人は、急いでいても危険な行動は取りません。

編集部:その辺りは人の性格に大きく依存しそうですね。先生のように思慮深くゆったりとした考え方や行動が取れる人はいいですけど、長年バタバタと慌てて過ごして来た自分なんか、おいそれと変わることはできません。

長山先生:今はゆったり落ち着いて見えるかもしれませんが、昔は私も大阪人特有のせっかちなところがあったんですよ。昔、ドイツに留学していたとき、宿舎近くのコンビニのような店で買ったものを愛用の風呂敷で包んでいたところ、近くにいたお年寄りから「ゆっくりせよ(langsam )!」と叱られたくらいです。私の包み方が「せからしい(大阪弁で気忙しいこと)」と見えたのでしょう。

編集部:他人に叱られるなんて、相当急いでいる感じに見えたのですかね? でも、自分が買ったものを急いで包んでいるだけで怒られるのも、ちょっと理不尽ですね。

長山先生:叱られてからそのことが気になって、街や公園でドイツ人の行動を観察していると、子供がちょこちょこと走ったりすると、「langsam!」と注意する場面をしばしば見ることがあり、子供を躾ける際にそのような叱り方をすることが多いようでした。小さな子を持つ若い夫婦の家に夕食を招待される機会があったので、そのことを確かめてみたところ、その夫婦は「私たちは必ずしも"langsam"というよりも、"ruhing(落ち着いて)"と言って育てます」ということでした。

編集部:「落ち着いて」ですか? あまり日本の子育てでは使われない言葉ですね。

長山先生:たしかに私の場合もそうでしたが、日本では「早く起きなさい」「早くご飯を食べて、出かけなさいよ」と、"早く早く"と急かしていることが多いのではないでしょうか。学校でも、先生たちが早く早くと、早くすることに価値を置いて急かしているような気がします。このような違いは歩き方にも見て取れます。以前に比べて少なくなった気もしますが、日本では街中や横断歩道を小走りで走る「せからしい人」をよく見かけますが、ドイツでは小走りで走る人はなく、歩幅を広く大股で歩く人が多いものです。

編集部:足の長さも関係ありそうですが、たしかに日本人のほうがちょこまかと気忙しく行動しそうですね。

長山先生:私はこの"落ち着いて行動せよ"という考え方には強く感銘を受けました。一見、「急がないで」と意味は同じように感じますが、「急がないで」というのは、表面の行動の次元に対しての教えなのに対して、「落ち着いて」は、心の在り方に対しての働きかけであり、社会の中での振る舞い方の基本を奥深い次元で教えているのです。だから、子供に対する教え方だけにとどまらず、運転者に対しても「落ち着いて運転しよう」という心の落ち着きを求めることができ、それが安全運転につながる重要な意味をもたらすのです。

編集部:たしかに「急がないで」だけですと、単にゆっくり走り、漫然運転をしてしまう危険性がありますが、「落ち着いて運転しよう」と言われれば、冷静に周囲を確認して運転する必要性を感じ、おのずと急がず、ゆっくり走るようになりそうですね。

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