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最終更新日:2017.03.24 公開日:2017.03.24

夢の超音速旅客機「コンコルド」の資料も多数! 所沢航空発祥記念館で特別展4/9まで

 現在、所沢航空発祥記念館(埼玉県所沢市:JAF会員優待施設)で、特別展『日本-仏蘭西・百年飛行の旅』が開催中だ。エールフランス航空も協力し、かつて「世界最速の旅客機」と謳われた「コンコルド」の関連資料やグッズなど約40点が2017年4月9日まで展示されている。

「怪鳥」、「美しい貴婦人」の異名にふさわしいコンコルドの美しい姿。(c) Air France

超音速で飛行した史上唯一の旅客機

 航空機ファンでなくても「コンコルド」の名前は聞き覚えがあるだろう。高度1万8000メートルを音速の約2倍、時速2200kmで飛行した超音速旅客機だ。

 音速とは物質・媒質中を伝わる音の速さのことで、一般的には大気中を音が伝わる速さのことを指すのはご存じの通り。

 大気中の音速は、国際的に定められている「標準大気(気温15度、1気圧=1013hPa)」中で伝わる音の速さのことで、秒速約340m=時速約1225km=マッハ1だ(標準大気なのは、大気圧や温度などが変わると音の速さも変化するため)。

 コンコルドは英仏共同開発で実現し、エールフランスとブリティッシュ・エアウェイズによって1976年に就航した。一般的なジェット旅客機が7時間以上かかるパリ~ニューヨーク間を3時間55分で結んだほか、世界一周旅行などにも利用され、世界中を超音速で飛び回った。日本にも長崎旅博覧会(1990年)やフランス大統領来日の際の専用機として5回ほど来日している。

 鋭くとがった機首から長い細身のボディ。その両脇には流れるような曲線を描くデルタ翼が備えられ、機体後方の鳥の尾羽を思わせる長く伸びた垂直尾翼。その独創的なデザインから「怪鳥」や「美しい貴婦人」などの異名をとった。徹底的な空気抵抗低減を実現するための機能美が、当時の人々の心を鷲づかみにしたのである。

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コンコルドとはどのような旅客機だったのか?

世界最速の旅客機コンコルドとは

 超音速を可能にしたのが、ロールス・ロイスおよびスネクマが共同開発した「オリンパス593」ターボジェットエンジンだ。それ4機搭載し、旅客機としてはアフターバーナーを唯一使用でき、音速の2倍の速度を実現した。

 また、超音速飛行時に安定した操舵を可能にするため、新技術も盛り込まれた。旅客機としては初めて「フライ・バイ・ワイヤ(電気式操舵システム)」を採用したのと同時に、超音速への切り替わり時に変化する操舵特性に対応するためのシステムなども搭載した。

 これらを、特別な訓練を受けた機長(全12人)、副操縦士(全11人)、航空機関士(全13人)が操縦したのである。

 なお、一般的なジェット旅客機は燃費などの理由から亜音速といわれる、マッハ1にわずかに届かない0.8~0.9位で飛行する。

 マッハを超えるのと超えないのとでは、機体にかかる負荷も大きく異なり、マッハを超えるとそれだけ機体の制御も難しくなる。そのため、コンコルドは超音速飛行のための操縦システムと、専門の訓練を受けた操縦士を必要としたのである。

コンコルドのコックピット。フライ・バイ・ワイヤ方式の操縦システムを旅客機としては世界で初めて搭載した。

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コンコルドは機内もスペシャルだった!

一流デザイナーが手がけた機内

 機内に関しては、すこぶる快適に過ごせるように設計されていた。ただし細身の機体のため、シートの大きさは実は一般的なエコノミークラスと同じくらいである。しかし、用意された92席はオールファーストクラス待遇で、選び抜かれた客室乗務員によるコンコルド専用の機内サービスを受けられたという。

 機内のデザインは有名な一流デザイナーが手がけた。76年の就航当初は、インダストリアルデザイナーのさきがけといわれる大御所レイモンド・ローウィ。その後2000年に機内の全面リニューアルに伴い、アンドレ・プットマンという女性デザイナーが担当し、やや無骨な工業デザインから女性らしい柔らかな色をあしらったエレガントなインテリアデザインへと変更された。

柔らかなベージュとグレーを基調とし、幾何学模様のカーペットなどで洗練されたエレガントなインテリア。(c) Air France

客室乗務員の制服も特別デザイン

ジャン・パトゥによる初代制服。(c) Air France

 客室乗務員の制服はコンコルド用に特別なデザインとされ、左の画像の制服は初代のもので、ジャン・パトゥがデザインを担当した。2000年の客室インテリアのリニューアル時に制服も変更され、2代目はニナ・リッチのものになった。

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30年に満たない期間で引退に

引退の理由は整備コストの増加と世界経済の変化

 しかしコンコルドは2003年に、多くの人に惜しまれながらもその運航を終了した。整備コストの増加や世界経済の変化が大きな要因とされる。

 人類の技術革新のひとつであり、その象徴だったコンコルド。その空を飛ぶ姿がもう見ることができないことに、非常に残念な思いを抱いている人も多い。

 なお、一般人には馴染みの薄いはずのコンコルドがこうまで有名になった理由は、航空会社の宣伝露出が多かったことや、独特で流麗な機体デザインの影響も大きいだろう。

 だがそれ以上に、最先端の技術を結集してマッハ2を誇る超音速輸送を実現した事実そのものがその背景にあるのではないかと思われる。ただし、その超音速も引退に至った理由のひとつとされる。

「ソニックブーム」が超音速飛行の問題点

飛行するコンコルド。残念ながら、現在は超音速旅客機の具体的な就航予定はない。ただし日本のJAXAを初め、各国でソニック・ブームを低減させる技術や、マッハ2をさらに超えるような速度で一時的に宇宙空間も飛行するような「スペースプレーン」などの研究は行われており、将来的にはまた超音速旅客機が登場する可能性はある。

 超音速飛行の大きな問題点は、マッハ1を超えると発生する「ソニックブーム」と呼ばれる衝撃波にある。

 マッハ1を超えなければ、航空機が発生させる騒音は順に届くが、超えた瞬間に、以前に発生した騒音に後から発生した音が追いつき、重なり合って一気に届くため、破壊力を伴う衝撃波となってしまうのである。

 なおソニックブームというと轟音のイメージがあるが、これは発生させた瞬間の音というよりも、地表に届くまでの途中で衝撃波の速度が減衰した時や、地上の広範囲に到達して地面や建物などで反射することで発生する。

 一般的なジェット旅客機が1万~1万2000m程度の高度を飛行するのに対し、コンコルドははるかに高い1万8000mほどを飛行する。しかし、それでもソニックブームは地上にまであまり破壊力を減衰しないまま届き、なんと家屋の窓ガラスを割ってしまうなどの被害を出したこともある。

 そのため、コンコルドは外洋に出るまでは超音速飛行を行ってはならない取り決めとなり、せっかくのマッハ2も大西洋上空でしか出せなかった。しかも、約6670kmという航続距離の関係から太平洋を無給油で通過する空路では使えず、就航可能なラインが限られてしまい、導入する航空会社が少なかったのである。

超音速飛行は機体にかかる負担も大きい

 また、超音速飛行は機体にかかる負担も大きかった。空気との摩擦熱でコンコルドの機体表面の平均温度は91℃にもなり、特に空気をかき分ける機首部分では125℃もの高熱になった。そのため、コンコルドの窓は内側からでも手で触り続けることができないほど加熱されたという。

 さらに超音速飛行時には、金属熱膨張により20cmほど機体の全長が伸びたそうだ。こうした機体の伸縮は金属疲労を誘発し、機体の短命化につながるので、整備コストの増加につながっていったのである。

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今、コンコルドの機体は?

コンコルドの息吹に触れてみる

 現在、役目を終えたコンコルドは世界各国の博物館などで相まみえることが可能だ。スミソニアン国立航空宇宙博物館(米)、ジンスハイム自動車・技術博物館(独)、ル・ブルジェ航空宇宙博物館(仏)や、エールフランス航空本社(パリ)近くのシャルル・ド・ゴール空港敷地内などで間近に見ることができるが、残念ながら日本に実機は存在しない。

 そこでオススメなのが、冒頭で紹介したように所沢航空発祥記念館で行われている『特別展「日本 – 仏蘭西・百年飛行の旅」』だ。さすがに実機は拝めないが、全長60cm強、翼長25cmの1/100スケールモデルが展示されている。そのほか、搭乗証明書や機内グッズなど、約40点の貴重な関連資料やグッズを見られる内容となっている。4月9日までの開催だ。

 入館料は大人510円、小人(小・中学生)100円、65歳以上410円。JAF会員は通年優待割引があるのでぜひ利用してほしい。

なかなかお目にかかれないコンコルド関連の約40点の資料やグッズなどを見られる。

【主な展示物】
●搭乗証明書
●パンフレット
●メニューカード
●乗客へのギフト
●機内グッズ
●就航時の映像
●1/100スケールモデル
●ロールス・ロイス/スネクマ製エンジン「オリンパス593」ジェットエンジンのブレード
●客室内のデッサン
●食器セット
●ニナ・リッチのユニフォームを着た人形

2017年3月24日(雨輝・伊藤友春)

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