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沖縄のナンバープレートはアルファベット×数字だった!? 最新の首里城図柄入りナンバープレートまでの歴史を振り返る。

沖縄のナンバープレートの歴史を遡ってみると、日本とは異なるナンバープレートを使用していた時期があったとわかる。アルファベット×数字のシンプルなナンバープレートもそのひとつ。このナンバープレートは、いつ頃、使用していたものなのだろうか。

文=宮本 菜々(KURU KURA編集部)

資料=沖縄総合事務局

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琉球政府はアルファベット×数字のナンバープレート

(c) Nakano - stock.adobe.com

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日本の最南端に位置する沖縄県。終戦を迎えた1945年から日本に復帰する1972年までアメリカの統治下にあり、米国民政府の下部組織として琉球政府が設立されていた。この頃の沖縄では、通貨はドル、車は右側通行、ナンバープレートも日本とは異なるものを使用していたのだ。

沖縄総合事務局 運輸部の資料によると、沖縄における自動車の登録・検査制度は1947年8月15日に軍政府からGMC 2トン半トラック720台を提供されたときにはじまったという。1948年当時は警察局交通課で登録業務を行い、1952年の琉球政府発足に伴い、運輸局陸運化に登録検査業務が引き継がれたとのこと。

琉球政府時代(1963~1966年)の自家用ナンバープレート。

琉球政府時代(1963~1966年)の自家用ナンバープレートは白色×黒文字。「1B0648」、その下に「RYUKYU ISLANDS」と記されている。この「B」は自家用を意味している。

琉球政府時代(1966~1972年)の事業用ナンバープレート。

同じく琉球政府時代(1966~1972年)の事業用ナンバープレートは黒色×白文字。「Y56」、その上に「4A」と記されている。このYは「八重山」を示しているので、このナンバープレートを付けていた車両は八重山で登録されたものだとみられる。なお、「A」は事業用を意味している。

琉球政府時代の仮ナンバーのイメージ。

仮ナンバーは白色×黒文字で、三桁の番号と「RYUKYU ISLANDS」の上から赤い斜線が引かれたものだ。

日本の仮ナンバーのイメージ。

これは、デザインは日本風、仕様は琉球風となっているわけだが、仮ナンバーだけ旧来のものを引き継いだのだろうか。

琉球政府時代のナンバープレートの車種別番号など。(画像:沖縄総合事務局の資料をもとに作成)

当時の車種別番号は、1・貨物自動車、2・乗合自動車、3・10名以下の乗用車、4・小型四輪貨物車、5・小型四輪乗用車、6・三輪貨物自動車、7・三輪乗用自動車、8・特殊用途自動車、9・特殊自動車であった。さらに、その他、Aは事業用、Bは自家用、Yは八重山、Fは琉球籍以外など、アルファベットで自家・事業用の別などを表していた。

例えば、貨物自動車は「1-7802 RYUKYU ISLANDS」、路線バスは「2A0314 RYUKYU ISLANDS」など。

そして、本土に復帰する1972年、「沖(縄)ナンバー」も復活。日本仕様のナンバープレートに切り替わった。

最新のナンバープレートは「首里城図柄入り」!

首里城図柄入りナンバープレート。(画像:沖縄県)

最新の沖縄のナンバープレートは「首里城図柄入りナンバープレート」だ。2019年10月31日、沖縄の観光地として知られる「首里城」は正殿を含む建造物8棟を焼損した。首里城の復興を支援するため、2023年10月23日に交付を開始。沖縄県は「首里城復興への想いを乗せて走ろう」と呼びかけている。

「首里城図柄入りナンバープレート」は左側にシーサー、右側に大きく首里城の正殿を配置。ありし日の姿に戻ることを期待するデザインとなっている。対象となる車両は「沖縄ナンバー」の自家用登録車、事業用登録車、自家用軽自動車だ。寄付金は首里城周辺等の交通問題改善、観光振興等に係る助成事業に活用されるという。

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