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道路・交通最終更新日:2023.08.31 公開日:2023.08.31

日本の左側通行はいつから? 刀がぶつかる、イギリスにならったなど、諸説あり

日本で生まれ育ち、日本で免許を取得して、日本の道路を走り慣れていれば、道路は「左側通行」でインプットされているはずだ。しかし、世界的にみると右側通行の国の方が多い。当たり前すぎていわれるまで疑問に思わなかったかもしれない、日本の左側通行の理由について調べてみた。

文=宮本 菜々(KURU KURA編集部)

左側通行の国と右側通行の国

右側通行のアメリカ マンハッタン市街地 (c) Iman - stock.adobe.com

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世界では欧米諸国をはじめ右側通行の国が多く、日本のように左側通行の国は少ない。G20の国※のうち、右側通行は7割程、左側通行は3割程という割合になっている。

※カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、アルゼンチン、ブラジル、中国、韓国、メキシコ、ロシア、サウジアラビア、トルコは右側通行、日本、イギリス、オーストラリア、インド、インドネシア、南アフリカは左側通行(欧州連合・欧州中央銀行を除く)

G20の左側通行と右側通行(国旗の画像:(c) kashurin - stock.adobe.com)

右側通行の国は、アメリカ、フランス、イタリアなど。右側通行の国に、特に共通点はない。アメリカにならったのか、それとも西欧諸国にならったのか。隣国の韓国も右側通行だ。

左側通行の国は、旧英国領の国が目立つ(日本やタイは該当しないが)。支配国・イギリスの交通ルールにならったのではないだろうか。

右側通行に変えた国と左側通行に変えた地域

沖縄・那覇の市街地。現在は左側通行だ (c) Eric's library - stock.adobe.com

ちなみに、左側通行から右側通行に切り替えた国も多々ある。代表的なのは北欧のスウェーデン。ダゲン・H(右側通行の日)といわれる1967年9月3日。周辺諸国と足並みを揃えるため、スウェーデンは左側通行から右側通行に切り替えたという。国産車のボルボは、ヨーロッパ諸国に輸出するため、左ハンドルの車両を製造するなど、左側通行の道路を、多くの左ハンドルの車両が走行しているという特殊な状況だったそうだ。

逆に、右側通行から左側通行に切り替えた地域がある。そう、本土に復帰した沖縄だ。それまで、アメリカの支配下にあり、アメリカの交通法にならって右側通行となっていた。1978年7月30日、入念な準備のもと右側通行から左側通行に切り替えられた。直後は、交通事故が相次ぐなど、交通に混乱もみられたという。

日本は侍の国だから左側通行?

(c) Josiah.S - stock.adobe.com

日本の左側通行を規則でみていくと、まず明治初期の警視庁通達(1881年)、大正後期の道路取締令(1921年)で「車」と「人」も左側を通行するとしている。

そして1949年に、道路交通法で車両の左側通行が定めらた。さらに1960年には、同法に「車両は左側を通行すること」「人は右側を通行すること」といった内容が加えられ、現在にいたっている。しかし、なぜ明治政府は左側通行を選んだのだろうか?

警視庁広報課 交通総務課は、日本の左側通行について「昔の慣習からなど諸説ある」としている。侍と侍が道で行き違うとき、右側通行だと、左腰に差した刀の鞘と鞘がぶつかるため。はたまた、左側からの不意打ちに素早く反応するためなど、日本の左側通行の起源には様々ないわれがあるようだ。

たしかに、当時の交通の状況を「絵」で記録したともいえる東海道五十三次(歌川広重)を見ると、橋の中央を通行している絵や、道幅が狭く、右にも左にも寄れない絵など、はっきりとどちらを通行しているとは言い難いが、中には、左側を通行しているように見えるものもある。

もしかしたら、日本の道路網が飛躍的に発達した江戸時代は、道幅のある道路で人と人が行き違うときには左に寄っていたのかもしれない。

右側通行だと左腰に差している刀の鞘と鞘がぶつかる

また、明治政府が近代化を推し進める際に、当時の先進国であり支援国でもあったイギリスにならって左側通行にしたという説もある。

 

 

古都・京都の市街地も当然、左側通行だ (c) beeboys - stock.adobe.com

世界には左側通行の国も右側通行の国もある。左側通行に慣れ親しんだ日本のドライバーは、右側通行の国でハンドルを握るときに十分な注意が必要なことは、いうまでもない。

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