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最終更新日:2022.09.16 公開日:2022.09.16

ランエボは日本の宝だ! 海外で人気沸騰中「三菱ランサー・エボリューション」── WRCで活躍した日本の名車たち(第1回)

ランエボの名で親しまれ、90年代のWRCを席巻した三菱ランサー・エボリューション。当時、三菱自の技術の粋を集め開発された、第一世代にあたる市販モデル(ホモロゲーションモデル)を、モータージャーナリストの武田公実氏が解説する。

文=武田公実

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ランエボとはどういうクルマだったのか

 モータースポーツの実績が、自動車メーカーとしてのステータスはもちろん営業戦略にも直結していた時代。特に市販車ベースの競技車両で戦うことから、自社商品の性能や信頼性をアピールすることのできるラリー競技については、日本のメーカーたちも1960年代から本格的に参入し、世界のひのき舞台に活躍の場を求めていた。

 中でも日本のカーマニアにとって印象深かったのは、1980年代後半から90年代中盤に書かけて、FIA(国際自動車連盟)公認の「WRC(世界ラリー選手権)」で活躍した国産車たちであろう。

 今回は、日本では「ランエボ」、英語圏ではズバリ「イーヴォ(EVO)」などと呼ばれる名作「三菱ランサー・エボリューション」から、第一世代にあたる「CD9A」および「CE9A」系のストーリーをひも解いてみたい。

エボリューションモデルとして生まれ、
エボリューションを繰り返す

 三菱の小型車「ランサー」はその誕生の直後から、国際ラリーとは切っても切れない間柄にあった。1970年代中盤から初代ランサー1600GSRが、アフリカ大陸の「サファリ・ラリー」やオーストラリアの「サザンクロス・ラリー」において連勝記録を打ち立てたほか、1980年代には2リッターのターボチャージャー過給エンジンを搭載した「ランサーEXターボ」を擁して、WRC戦でも一定の成果を得た。

 そして1987年シーズンから、FIA世界ラリー選手権のシリーズタイトル対象となる最上級カテゴリーとして、年間5000台以上生産される乗用車をベース車両とする「グループA」が施行されると、三菱自動車は4G63型直列4気筒DOHC16バルブ2リッター+ターボチャージャーを組み合わせ、205psを発生するパワーユニットに、フルタイム4WDドライブトレーンを組み合わせた「ギャランVR-4」をグループAマシンに仕立てて、ワークス体制でWRC選手権に投入。

 1988年から1992年の5シーズンの通算6回(うち2勝は篠塚建次郎選手のドライブ)の優勝を得るなど、タイトル争いに絡むことこそなかったが、まずまずの戦績を見せている。

 とはいえギャランVR-4は全長4.5m超え、生産モデルの車両重量は1380kgに到達する大柄なセダン。グループA時代前期のWRCにおける「絶対王者」、開幕初年度の1987年~92年シーズンまでコンストラクターズ部門6連覇を果たした「ランチア・デルタHF4WD/HFインテグラーレ」の牙城を崩すには至らず、より戦闘力のあるベース車両が望まれることになった。

伝説の始まり

 こうして1992年9月に正式発表されたのが、ランサーの名を再び掲げた伝説のマスターピース、「エボI」こと初代ランサーGSR/RSエボリューションである。この時代、通算4代目となっていたランサーは、4G93型直列4気筒DOHC16バルブ+ターボチャージャー205psのエンジンを搭載する「1800GSR/RS」が最高性能バージョン。そこに、より大型の4G63を詰め込もうとしたのだが、当時の社内ではなかなか同意を得られず、当初は一部の有志社員たちの課外活動からスタートし、のちに正規のプロジェクトとして認められたというエピソードもあるという。

 結果として、もともと排気量/パワーともに大幅に勝るギャランVR-4の16バルブターボエンジンを250psにスープアップ。こちらもギャランVR-4譲りのフルタイム4WDドライブトレーンを組み合わせ、より小型、全長にして4310mmの4代目ランサーに搭載するというアイデアが結実したのが、初代CD9A系エボIだった。

 車両重量では、ロードユーズに常識的な快適装備を組み込んだ「GSRエボリューション」で1240kg。競技用ベース車両として販売された「RSエボリューション」では1170kgと、三菱技術陣のもくろみどおりの軽量化を達成した。

「三菱ランサー・エボリューション」の初代モデルは1992年9月に登場した。

最終モデルのランエボXを除き、すべての代に搭載された名エンジンが「4G63」と呼ばれるユニットだ。初代ランエボは排気量1997ccで、最高出力250ps、最大トルク308.9Nmを発生していた。

初代ランエボの室内。

 ところが、この種のホモロゲート取得用スペシャルカーでは、洋の東西を問わず良くあることながら、実は元祖ランエボの開発期間も約1年程度と、かなり急ごしらえだったと言われている。

 1993年シーズンからWRCに実戦投入されたエボIは、初戦モンテカルロ・ラリー(現ラリー・モンテカルロ)で4位入賞。エボIとしての最高位は、第13戦RACラリーと1994年第3戦サファリ・ラリーの第2位に終わった。

 しかし、この戦果とエボの潜在能力に手ごたえを感じたのか、三菱自動車はサスペンション周りを再設計するとともに、ボディ剛性アップやタイヤ/ホイールサイズの拡大を図り、さらにエンジンも260psに増強した「エボリューションII(E-CE9A)」を1994年1月に発売する。

 WRCでは、この年の第5戦となるアクロポリス・ラリーに初投入され、翌95年シーズン第2戦スウェディッシュ・ラリーまでの5戦に参戦。スウェディッシュ・ラリーでは、エボリューションとしての初優勝を飾った。

 そして1995年1月には、E-CE9Aの形式コードはそのまま「エボリューションIII」へと進化を果たす。エボIIIでは、ターボつきハイチューンでは必須となる冷却効率向上のため、フロントバンパーの開口部を大型化したほか、リヤウイングも当時の市販車では異例の大型化が図られた。またエンジンは、市販版でも270psまでスープアップされていた。

トミ・マキネンとの出会い

 1995年シーズンの第4戦ツール・ド・コルスから、1996年シーズン第9戦ラリー・カタルーニャに至る14戦に参戦したエボIIIは、通算6勝をマーク。1996年にはトミ・マキネンが、彼にとって初となるドライバー部門タイトルを得る原動力となった。さらに、グループAの下位にあたるカテゴリー「グループN」でもドライバー部門タイトルをもたらすなど、ランサー・エボリューションは名実ともにWRCのトップコンテンダーとなったのだ。

 また、そのかたわらでコミックからアニメ、実写映画としても全世界でヒットした「頭文字D」や、映画「ワイルドスピード」などにも登場し、この時代のカーマニアたちの憧れの存在へと昇華されてゆくのである。

 こののち、5代目ランサーをベースとする「エボリューションIV~VI」。6代目ランサー・セディアをベースとする「エボリューションVII~IX」、そして7代目ランサーをベースとする「エボリューションX」へと進化を繰り返してゆくが、それらにまつわるヒストリーの解説は、またの機会に譲ることにしよう。

三菱 ランサー・エボリューション6には、トミ・マキネンエディションも限定で販売された。2021年にイギリスで開催されたオークションでは日本円で約1520万円(当時)で落札され、大きな話題を集めた。

三菱 ランサーGSRエボリューション(型式:E-CD9A)
全長×全幅×全高|4310×1695×1395mm
ホイールベース|2500mm
車両重量|1240kg
乗車定員|5名
エンジン|直列4気筒DOHC16バルブ インタークーラー付きターボチャージャー
排気量|1997cc
最高出力|250ps(184kW)
最大トルク|308.9Nm
トランスミッション|5段MT
駆動方式|フルタイム4WD
LSD|ビスカス式
サスペンション(前後)|マクファーソンストラット式、マルチリンク式
ブレーキ(前後)|ベンチレーテッドディスク、ディスク
タイヤサイズ(前後)|195/55R15、195/55R15

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