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最終更新日:2019.07.19 公開日:2019.07.19

6輪F1マシン・タイレルP34が走る!SUZUKA Sound of ENGINE 2019

鈴鹿サーキットでは毎年晩秋に、モータースポーツのこれまでとこれからを扱うイベント「SUZUKA Sound of ENGINE」を開催している。今年のスペシャルゲストマシンは、あの6輪F1マシン・ティレル(タイレル)「P34」だ。

6輪F1マシン・タイレル「P34」。オーナーである元F1ドライバーのピエルルイジ・マルティニ氏が、自らステアリングを握って鈴鹿サーキットを走行する。

 「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」は、秋の深まる11月16日(土)・17日(日)に開催される。会場は鈴鹿サーキットの国際レーシングコースとパドック。チケットは9月15日(日)からの発売だ。

 毎年、なかなかお目にかかれないレーシングカーやスーパーカー、そしてスペシャルゲストなどが登場するが、今年も大物だ。元F1ドライバーで”ミスター・ミナルディ”と呼ばれたピエルルイジ・マルティニ氏と、F1史上唯一無二の6輪F1マシン・タイレル「P34」である。

 しかも「P34」は単に展示されるだけでなく、オーナーのマルティニ氏の手により鈴鹿サーキットを走行する予定。「P34」の実車は国内ではタミヤ模型が所有しており、展示も行われているが、「P34」の国内でのデモ走行というのはまず聞いたことがなく、早くもネット上では期待が高まっている。

タイレル「P34」はどんなマシンだった?

タイレル「P34」は、70年代スーパーカーブーム当時、子どもたちにとても人気を博したレーシングカーだった。本来は”ティレル”が発音として近い。タイレルとされた理由は、76年シーズンの最終戦、富士スピードウェイで開催された「F1世界選手権イン・ジャパン」において、「P34」に施された日本用スペシャルマーキングにあった。「たいれる」とひらがなで書かれており、その影響であらゆるメディアがタイレルと表記し、当時の子どもたちは皆”タイレル”「P34」と覚えてしまったのである。

 「P34」はどのような経緯で誕生したのかというと、前輪タイヤ径を小さくすることでドラッグ(空気抵抗)を下げようという狙いが根本にあった。F1のようなオープンホイールのレーシングカーは、むき出しのフロントタイヤの前面投影面積が大きく、それが大きな空気抵抗を生んでいる。つまり、タイヤ径を小さくできればそれだけ空気抵抗を減らすことができ、結果として速度も上がり、タイムの短縮を実現しやすくなるというわけである。

 ただし、タイヤ径を小くすることによるデメリットも存在する。タイヤが小さければ回転数も増えてそれだけ摩耗しやすくなるし、接地面積が小さくなるので荷重がかかり、やはり摩耗につながってしまう。つまり、それだけタイヤに負荷がかかるということだ。そこで、前輪を2倍の4輪にすることで1輪当たりの荷重のかかり方を減らし、負荷が極力増えないようにしたのである。

 このアイディアを思いついたのは、タイレルのデザイナーであるデレック・ガードナー(2011年没・享年79歳)だ。「P34」は、当時のF1マシンと比較しても大きく異なる地面を這うような”スポーツカー・ノーズ”を備えていることも特徴だった。その背後に小径の前輪タイヤを隠すように配することで、空力的に有利なデザインを現実のものとしたのである。

フロントのスポーツカー・ノーズに隠れる前輪タイヤ。低いノーズから気流が跳ね上げられ、タイヤの上部を通過するので、カウルでタイヤを覆っているのに近い空力効果を得られる。

 「P34」という車名は、ガードナーの34番目のマシンであり、当初は試作車であったことから”プロジェクト34″という意味で命名された。ただし比較テストにおいて、1976年シーズンに投入されたマシン「007」よりも速かったことから、急遽同年第4戦のスペインGPから実戦投入されることになる。

 パトリック・ドゥパイエに託された「P34」は、予選でチームメイトのジョディー・シェクター(1979年の王者)の駆る「007」よりも早いタイムで3番グリッドを獲得。決勝もアクシデントに巻き込まれるまでは3位を快走した。その後の「P34」は活躍を続け、ドライバーズ・ランキングでドゥパイエ4位(シェクターは3位)、コンストラクターズも3位となったのである。

 77年シーズンは、開幕前は優勝候補とまでいわれたパトリック・ドゥパイエ。チームを去ったシェクターに代わり、タイレルはロニー・ピーターソンを迎えて「P34」の2台体制でシーズンインするが、思わぬ誤算が。グッドイヤーのワンメイクだったところにミシュランが参戦したため、タイヤ開発競争が勃発してしまったのだ。その結果、「P34」専用の小径タイヤは特殊なため、リソースに余裕がなくなったグッドイヤーは開発を中止してしまったのである。

 結果としてフロントのグリップ不足が顕在化し、そこから「P34」の開発は迷走してしまう。最終的に最悪の結果を迎え、ガードナーはタイレルと決別することとなり、F1界からも去ってしまった。こうして、「P34」の開発は終了となった。

その後も6輪マシンは他チームが研究を続けるも最終的にレギュレーションで禁止に

 6輪マシンは、ほかにもいくつかマイナス面がある。フロントの足回りが構造的に複雑になる(=メカニカルトラブルもそれだけ生じやすくなる)、タイヤの数が増えるためにパンクしてしまう確率が増えたり、タイヤ交換に時間がかかったりするなどである。

 しかし空気抵抗を減らせることは、F1マシンのデザイナーにとってはとても大きな魅力。「P34」以降、他チームも研究を続けたようだ。マーチやフェラーリなどはテストまでこぎ着けたが、残念ながら実戦デビューまでは至っていない。

 また1982年末には、ウィリアムズが後輪を4輪化したマシン「FW08B」を開発し、テストで好成績を残す。しかしF1を統括するFIAは1983年シーズンからレギュレーションを改定し、マシンは4輪のみと限定(4輪駆動も禁止された)。これにより、6輪マシンがF1を走る機会はなくなってしまい、実戦を走った6輪マシンは「P34」が最初で最後となったのである。

スペシャルゲストのピエルルイジ・マルティニ氏とは?

 今回スペシャルゲストとして来場するピエルルイジ・マルティニ氏は、フジテレビの地上波によるF1全戦中継がスタートして日本で空前のブームが起きた時期、”陽気な”イタリアの中堅チーム「ミナルディ」のエースとして長年活躍し続けたドライバーとして知られる。

 マルティニ氏は、1984年に予選不通過ながらトールマンからスポット参戦でF1を走り、1985年に長年在籍することになるイタリア系チームのミナルディがF1に打って出た際に共に進出して本格デビュー。その後2年ほどF1参戦休止を経て、1988年の第6戦アメリカGPで同チームに復帰。そして自身初であると同時に、ミナルディにとっての初入賞となる6位を獲得した(当時は6位までが入賞圏内)。1995年の引退までに119戦に参戦し、10回の入賞と1回のファステストラップを記録している。

 またF1以外では1999年の第67回ル・マン24時間レースにおいて、同じF1経験者のヤニック・ダルマス、ヨアヒム・ヴィンケルホックと組み、チームBMWモータースポーツの一員として「V12 LMR」に乗って総合優勝を獲得している。

ピエルルイジ・マルティニ(Pier Luigi Martini)氏。1961年4月23日生まれの58歳。現役F1ドライバー時代に鈴鹿サーキットを初めて走ったのは1988年のことで、当時27歳。その時、日本には不思議な印象を受けると共に大いに感銘も受けて親日派に。それ以降、寿司や刺身を定期的に食べているほどだという。

 ミナルディというチームは決して資金が潤沢なわけではなく、予備予選が行われるほど参加チーム数が多かった80年代末から90年代初頭にかけての時代には、いつその”予備予選落ち”になるかわからないほどギリギリのチームだった。

 しかし、オーナーのジャンカルロ・ミナルディ氏を筆頭にメカニックのひとりひとりに至るまで、「俺たち、F1大好き!」とばかりに、趣味でF1に参戦しているような陽気さが人気だった。まだ巨額のスポンサーマネーが押し寄せていない、古き良き時代の雰囲気を残す希有なチームとして、世界中の多くのファンに愛されていたのである。そんなミナルディを長らく牽引し、”ミスター・ミナルディ”と呼ばれたのがマルティニ氏だったのだ。

今では世界屈指の「P34」コレクターに!

 ドライバーの引退後は、実業家・投資家として活躍し、過去に自身が乗っていたミナルディ「M189」などを入手したことをきっかけに、レーシングカーコレクターとなる。そして、マルティニ氏にとって、15歳の時にモナコGPで見て以来の憧れだったというF1マシンが「P34」で、2017年に入手。しかもさらにもう1台、「P34/2」(「P34」の2号車)も所有するに至り、今では世界屈指の「P34」コレクターと呼ばれている(6台あるのうちの2台を所有)。

 今回は自ら「P34/5」(5号車)のステアリングを握り、鈴鹿サーキットを周回。現役時代、最も攻略しがいのあるコースだったという同サーキットを久しぶりに走行する。


 これを逃したら、次にその走りを国内で見られるのは、いつになるかわからないほど貴重なタイレル「P34」。そんな類例のない6輪F1マシンと、それを走らせる”ミスター・ミナルディ”ことピエルルイジ・マルティニ氏に会えるまたとない機会である「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」。チケットの発売を首を長くして待ちたい。

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