トヨタがオリンピックにかける想いに、車好きにはぐっとくる。その理由とは?
トヨタは8月24日、同社グローバルサイトに「オートモビルカウンシル2018訪問記」を掲載した。「東京1964オリンピック・パラリンピックに登場した聖火搬送車の記憶」と題して掲載されたこの訪問記は、8月3日から5日まで千葉県・幕張メッセで開催されたオートモビルカウンシル2018での展示の模様を紹介している。
同訪問記は、「東京1964年オリンピックで聖火を運搬した車が何だったか、記憶にありますか」という問いかけで始まる。これの意味するところは何だろうか。
同展示会のトヨタブースでは、1964年の東京オリンピック・パラリンピック大会を挟んだ、高度経済成長期に活躍した同社の市販車やレーシングカーを中心に展示していた。実はこの展示に、これまでとは異なる画期的な演出があった。東京2020大会への提供を発表している燃料電池車「MIRAI」の横に、東京1964オリンピックの聖火搬送車の1台として大役を務めた日産の「セドリック・スペシャル」が展示されていたのである(写真上、関連記事はこちら)。
1964年の東京オリンピックの聖火リレーには、そのセドリックだけでなく、トヨタの「クラウンエイト」、プリンス自動車の「グロリア」、三菱自動車の「デボネア」が聖火搬送車として登場し、日本の自動車メーカー各社が聖火をつないだという歴史がある。こうした背景があるにしても、他社の代表作を自社ブースで紹介するのは珍しい。自社の車だけを横に並べても成立する企画なのに、だがトヨタはそうしなかった。64年といえば自動車産業の黎明期である。ともに、よい車作りを標榜し、ひいて豊かな車社会の創造にまい進してきた。ライバルである他メーカーへのリスペクトがあったからこそのセドリックの展示であった。メーカーの垣根を越えたこうした取り組みに、車好きでなくともぐっとくるのではなかろうか。
同訪問記によると、その来場者からは昔の憧れの車や愛車との”再開”を懐かしむ声など、当時の思い出話がたくさん聞かれたという。同社では、「64年東京オリンピックが日本の技術やインフラにとっての転機となったように、IOCワールドパートナーの2020年東京オリンピック・パラリンピックでも、自由で豊かなモビリティ社会の実現に少しでも貢献したい、そんな想いで2020東京大会へ望む」としている。50年後、今の子ども達がこのMIRAIを見て昔懐かしむ幸せな未来を、夢想せずにいられない。