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最終更新日:2021.08.13 公開日:2021.08.13

ロッシ、今季で引退。世界チャンピオンを9回獲得したMotoGPのレジェンド

バイクの世界選手権であるMotoGPで、9度の世界チャンピオンとなったバレンティーノ・ロッシが、2021年をもって引退することを8月5日に発表した。ロッシは1979年生まれ、今年42歳のイタリア人で、GOAT(Greatest of All Time)の称号を持ち「生きる伝説」とまで呼ばれている存在のライダーだ。

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バイク界のマイケル・ジョーダン

引退発表した直後のステイリアGP13位でゴールしたロッシ。 写真=ヤマハ

 バイクのロードレース世界選手権であるMotoGPで、9度の世界チャンピオンとなったバレンティーノ・ロッシが、2021年をもって引退することを85日の記者会見で発表。1979年生まれで今年42歳になったイタリア人のロッシは、1996年に17歳でロードレース世界選手権の下位カテゴリーである125ccクラスでデビューを果たし、今年までの25年に及ぶ現役生活で数々の記録を打ち立ててきたが、ついに幕を下ろすことを決断した。

 そのキャリアのなかで特に2000年代は、2001年から2005年の5連続チャンピオン、2008年から2009年に2年連続と圧倒的な強さを見せ、まさにロッシ一色の時代を築いた。その後の2010年代は、若手の台頭により10度目のチャンピオン獲得こそならなかったが、優勝や表彰台を毎年獲得し続け、最年長だけでなく「生きる伝説」としてリスペクトされる存在だった。しかし近年は優勝から遠ざかり、昨年ころから「今後」という言葉が口から出てくるようになっていた。

 ロッシの引退に際して、2020年シーズンのMotoGPチャンピオンであるジョアン・ミルは「バイク界のマイケル・ジョーダン」という賛辞を送っている。現在のMotoGPでトップ争いを繰り広げる20歳代のライダーは、ロッシが最初に125ccクラスで世界チャンピオンになったときには誕生していない、または2000年代のロッシ一色の時代を子供のころに見てバイクレーサーを夢見た、というものは少なくない。それゆえにミルのような賛辞が出てくるのだ。

<バレンティーノ・ロッシ戦績 1996年-2020年>

1996年 125ccクラス ランキング9位 優勝回数:1 メーカー:アプリリア
1997
年 125ccクラス 世界チャンピオン 優勝回数:11 メーカー:アプリリア
1998
年 250ccクラス ランキング2位 優勝回数:5 メーカー:アプリリア
1999
年 250ccクラス 世界チャンピオン 優勝回数:9 メーカー:アプリリア
2000
年 500ccクラス ランキング2位 優勝回数:2 メーカー:ホンダ
2001
年 500ccクラス 世界チャンピオン 優勝回数:11 メーカー:ホンダ
2002年 MotoGP 世界チャンピオン 優勝回数:11 メーカー:ホンダ
2003年 MotoGP 世界チャンピオン 優勝回数:9 メーカー:ホンダ
2004年 MotoGP 世界チャンピオン 優勝回数:9 メーカー:ヤマハ
2005年 MotoGP 世界チャンピオン 優勝回数:11 メーカー:ヤマハ

2006
年 MotoGP ランキング2位 優勝回数:5 メーカー:ヤマハ
2007
年 MotoGP ランキング3位 優勝回数:4 メーカー:ヤマハ
2008
年 MotoGP 世界チャンピオン 優勝回数:9 メーカー:ヤマハ
2009年 MotoGP 世界チャンピオン 優勝回数:6 メーカー:ヤマハ

2010
年 MotoGP ランキング3位 優勝回数:2 メーカー:ヤマハ
2011
年 MotoGP ランキング7位 優勝回数:0 メーカー:ドゥカティ
2012
年 MotoGP ランキング6位 優勝回数:0 メーカー:ドゥカティ
2013
年 MotoGP ランキング4位 優勝回数:1 メーカー:ヤマハ
2014
年 MotoGP ランキング2位 優勝回数:2 メーカー:ヤマハ
2015
年 MotoGP ランキング2位 優勝回数:4 メーカー:ヤマハ
2016
年 MotoGP ランキング2位 優勝回数:2 メーカー:ヤマハ
2017
年 MotoGP ランキング5位 優勝回数:1 メーカー:ヤマハ
2018
年 MotoGP ランキング3位 優勝回数:0 メーカー:ヤマハ
2019
年 MotoGP ランキング7位 優勝回数:0 メーカー:ヤマハ
2020
年 MotoGP ランキング15位 優勝回数:0 メーカー:ヤマハ

8月5日の記者会見で引退を発表した時のロッシ 写真=ヤマハ

ホンダからヤマハに移籍した最初のレースで優勝

2004年の南アフリカGPで、ウィリーしながらチェッカーフラッグを受けるロッシ 写真=小林祐史

 個人的にロッシが優勝したレースで印象に残っているのは、2004年シーズンの開幕戦である南アフリカGPだ。前年までホンダで圧倒的な強さを見せて3連覇を果たしたロッシは、「ホンダのバイクが速いからチャンピオンを獲得できる。ロッシの実力派はそれほどでもない」という心ない風評からホンダとの間に微妙な亀裂が生じ、ついにヤマハへの移籍を決断。当時のヤマハは前年のロッシ+ホンダに歯が立たず1勝もできずに終わっていた。つまり、ヤマハでも勝てれば(チャンピオンになれば)俺は本物、という野心にあふれたチャレンジを若いロッシは選んだのだ。

 これにより2003年シーズンの終わりにロッシがヤマハ移籍を発表してから、2004年シーズンが開幕するまでの間は、「ロッシなら勝てる」「ロッシでも勝てない」という論争が繰り広げられていた。論争の原因はホンダとヤマハのバイクでは、コーナリングやエンジンの出力特性に大きな違いがあるといわれており、いくらロッシでもすぐにヤマハを意のままに操ることは難しいだろう、と予想されていた。また歴史を紐解いてもホンダからヤマハに移籍して、開幕戦から優勝したライダーはごくわずかだった。

ヤマハの長所を伸ばしつつ、弱点をカバー、開幕戦を優勝

 ご存知の通り開幕戦の南アフリカGPでロッシは、予選でのポールポジションと決勝での優勝により、自らの実力が本物であることを証明した。その走りは、ホンダの弱点を突きつつ、ヤマハの長所を伸ばして弱点をカバーするという、ホンダ時代とはまったく異なる走り方をしていた。言葉にすると単純だが、それを移籍後すぐに実現した例は稀だ。それだけ南アフリカGPの勝利はホンダ勢に大きな衝撃を与え、その後のシーズンでロッシはイニシアチブを握り、前年と同様の優勝9回で4連覇を果たし、生きる伝説の序章を刻み始めた。

 ホンダからヤマハへの移籍で見せたように、ロッシは常に自分の走り方を改善し続けるタイプで、それが25年という長い現役生活を支えたものだと思う。ヤマハで4回の世界チャンピオンを獲得した後も、若手が新しい走り方で挑んでくれば、それを観察して自分の走り方を変える。バイク、タイヤの特性やメーカーが変われば適応する走り方に変えると、どん欲にあらゆるものを吸収して速くなることを最後まで探求し続けていた。

25年という長い現役生活

 ロッシの42歳で引退と振り返ると、同世代のライダーははるか昔に引退、ストーナー、ペドロサ、ロレンソといった5歳以上も年下のライバルたちも引退した後だった。ロッシの引退がこんな状況になるとは、2004年の南アフリカGPのときには想像できなかった。やっぱり25年も現役ライダーを続けた「生きる伝説」はすごい。

2008年の日本GP(ツインリンクもてぎ)で8回目の世界チャンピオンを獲得したときのチーム集合写真 写真=小林祐史


バレンティーノ・ロッシ、25年の現役生活を振り返る
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