1960年代。モータリゼーションが到来しJAFが誕生した時代
1960年代(昭和35~44年)は、日本国内の自動車保有台数が飛躍的に増加し、本格的なモータリゼーション(車社会化)が始まった時代。1962年(昭和37年)には、JAF(日本自動車連盟)が任意の自動車ユーザー団体としてスタートしている。翌年には社団法人となったJAFの、創立時のロードサービスや発足の経緯などを紹介しよう。
60年代になり、自動車保有台数が急増加
日本では、1964年の東京五輪前前後で、自動車保有台数が飛躍的に増加した。1956年から1964年は、前年比115%以上で自動車保有台数が伸びており、1964年には約593万台と、1956年比で約4倍までに増えている。日本が本格的なモータリゼーションを迎えようという時代だったのである。
このような自動車保有台数の増加にあわせ、高速道路や幹線道路の舗装などの整備も進んだ。同時に自動車に関するさまざまなサービスへの需要や要望もでてきた。そのひとつが、故障車救援などのサービスを行うロードサービスである。
1962年4月、ロードサービスなどを提供する自動車ユーザー団体を作るために、関係者が「日本自動車連盟(JAF)創立準備委員会」を結成。準備委員会は、JAFはオーナードライバーに対するサービス機関であるという基本的な位置づけを明確化し、同年10月、任意団体としてJAFがスタート。翌年2月には運輸大臣から社団法人に認可され、4月1日から正式に、ロードサービスなどの業務を開始した。この社団法人となった1963年(昭和38年)4月1日が、JAFの「創立日」である。
東京地区のロードサービスからスタート
当初のJAFのサービス内容は、故障車に対するロードサービス、旅行案内および道路情報の提供、法律・保険の相談、海外自動車団体との連絡交流、「JAFニュース」(現JAF Mate)やロードマップの出版、モータースポーツの統轄など。
最初のロードサービスは東京地区のみだったが、1963年6月に箱根地区、1964年2月には首都高速道路でも開始。その後、1964年4月には関東一円を網羅する体制を構築し、他の地方・県にも本部・支部を次々と設置し、全国体制を完成させた。
ちなみにモータースポーツ分野では、1963年5月、JAFが認可した第1回日本GPを鈴鹿サーキットで開催。日本におけるモータースポーツを統括する機関としての業務もスタートしている。
JAF創立の理由の1つがカルネ発給。ところでカルネとは?
JAFが創立された契機の1つが、1964年の東京五輪だった。事前に海外からの観光客や車両の増加が予想されたため、これらの車をスムーズに受け入れるための日本側窓口が必要とされたのである。
車両を輸出入するには、通関で自動車カルネ(車の無税通関手帳、正式名AIT/FIA Carnet de Passages en Douane)が必要となる。諸外国では、自動車カルネや国際運転免許の発給は、自動車クラブが務めていることが多い。日本では、1951年に設立されたJAA(ジャパン・オートモービル・アソシエーション)という運輸省認可の社団法人が、自動車カルネを発給・保証をする予定だったが、同団体の財政が破綻しているという問題があった。
このため、日本にも自動車クラブが必要という気運が高まり、行政当局や自動車業界主導の元でJAAとJAFの合併がまとめられた。JAF創立の背景には、そんな理由もあったのである。
当時はジェット旅客機が登場し始めたころであったが、海外旅行の交通手段では客船も一般的であり、定期航路便の本数も多かった。そのような背景から自動車カルネを取得しマイカーで海外ドライブということも特別なことではなかったのだろう。
ちなみに現在の自動車カルネの利用目的は海外ドライブ以外に、ラリーなどのモータースポーツ競技大会に参加する車の通関で活用されている。
<JAF 自動車カルネのご案内>