冒険家・三浦雄一郎、アコンカグアから勇気ある下山。90歳で再びエベレストを目指す!
南米大陸最高峰・アコンカグアの登頂とスキー滑降を目指していた冒険家の三浦雄一郎氏は1月20日(日本時間21日未明)、ドクターストップにより挑戦を断念。26日に帰国し、都内で記者会見を開いた。会見では元気な姿を見せて、今回のいきさつを報告した。
標高5500mのニド・デ・コンドレス・キャンプ付近にて。遠征隊・隊長を務める三浦雄一郎氏(左)と、息子であり副隊長の豪太氏(右)。
まだまだ行ける!
「残念なことに今回の登頂はドクターストップということで、標高6000mにあるコレラ・キャンプ地まで行って断念して帰ってきました。まだまだ行けるとは思ったのですが、次へのチャレンジを目指して、気持ちよく医師の意見を受け入れました」。三浦雄一郎氏は、記者会見の冒頭でそう述べた。
1月2日、三浦氏率いる遠征隊は、息子・豪太氏らとともにに日本を出発。10日に標高4200mのベースキャンプに入り、5800m地点までヘリコプターで移動。18日に6000mのキャンプ地プレサ・コレラに到着し、21日の登頂に備えていた。(関連記事:「86歳の冒険家・三浦雄一郎、
南米最高峰・アコンカグアの頂を目指す!」)
ところが、ここで天候が悪化。2日間の滞在を強いられることに。標高6000mのキャンプ地での生活は、三浦氏本人の気持ちとは裏腹に86歳の肉体を襲い始め、高血圧に加え、持病の不整脈も出はじめた。
「昨日のお父さん、夜中にトイレに行った時の息遣い聞いた?」今回の遠征に帯同した唯一のチームドクターである大城和恵医師は、豪太氏にそう訪ねた。
登頂率わずかに30%のアコンカグア。死因で最も多いのは突然死なのだという。近年ヒマラヤでも60、70代が亡くなっており、やはり多くは突然死。しかしその原因は解明されていないそうだ。
心肺停止の可能性
大城医師は、日本人初の国際山岳医であり、今回の遠征に帯同した唯一のチームドクターだ。2013年に当時80歳の史上最高齢でエレベスト登頂を果たした時も三浦隊に同行しており、言わば彼の肉体を最も知る人物である。
「あの調子では、いつ心肺停止になってもおかしくない」というのが、大城医師からの回答だった。標高6000mの滞在で、身体を起こすだけでまるでマラソンを全力で走ったような父の息遣いは聞いていて心配していた。しかし、それが心肺停止の可能性があるほどまでとは思っていなかった、と豪太氏は、このときのやり取りをFacebook上で生々しく綴っている。
もっとも、遠征隊が本人に登山中止を伝えるまでにどれだけの葛藤があったのかは、想像に難くない。
大城医師が「今の雄一郎先生の状態は、今この標高にいるだけで私と豪太くんで十分看ることができません。ましてやここから標高が上がると、低酸素の危険度がさらに増します。私はここでドクターストップといたします」と話す一方で、「大丈夫、大丈夫、問題ない。ともかくもう1日ここにいてから決めよう」と、三浦氏もなかなか引き下がらない。
三浦氏が下山を決断するまでに、5分、10分、20分と何も誰も話さないまま重い空気が流れていった。
現地1月21日、三浦豪太氏をはじめ他遠征メンバーが、南米最高峰アコンカグア(6961m)の登頂に成功した。
生物学的に86歳の限界
三浦氏は記者会見の場で、”下山する決め手となった言葉”というわけではないけれども、と前置きした上で「大城先生の進言と、豪太の”一緒に降りよう”という説得、そして”次があるんだ!”という気持ちの切り替えで考えを改めることができた」とその時のことを振り返っている。
現地から日本へ登山中止を伝える衛星電話で、大城医師は「よくここまでこの肉体と年齢で頑張ったと思います。ただこの標高はもう生物学的に86歳の限界です。生きて帰るために、今日ここから下りる判断をしました。ここまで本当によく頑張られたと思います。それだけでも素晴らしい記録だと思います」と三浦氏の挑戦を讃えた。
豪太氏は父・三浦雄一郎の意思を引き継ぎ、アコンカグアの5500~5000m地点でスキー滑降。
90歳でエベレストを目指す!
アコンカグアの挑戦を終えて、いま三浦氏は早くも次のチャレンジに向かって動き始めている。「夢のまた夢ですけれど、今度は90歳でエベレストに登りたい。今回6000mまで登れたのは大きな自信になりました。まだまだ行ける! 90kgある体重をトレーニングで10kg落とさなければ」と、その意気込みを述べた。
「何故、挑戦を続けるのでしょうか?」という記者団からの質問に対し、「かつて、ジョージ・マロリーというイギリスの登山家が同じ質問をされました。そのときの答えは『そこに山があるから』でした。私にとっての答えは『そこに歳(老い)があるから』でしょうか」と三浦氏。
人は誰しも老いていくもの。であるならばむしろ、避けられない”老い”という山に向かって、人間の秘めた可能性を信じて登っていこう。そして生きる喜びに感謝しようではないか。そう、三浦氏の伝えたいメッセージは、極めてシンプルなのだ。
「86歳の超高所でのスキー滑走は若き日のようにいかなくとも、年齢を言い訳にせず、出来ない理由より出来る理由を考えた方が人は元気に輝く」(三浦雄一郎)
(写真提供:ミウラ・ドルフィンズ、取材協力:TALEX)