クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく

連載最終更新日:2023.06.14 公開日:2019.12.03

吉田 匠の『スポーツ&クラシックカー研究所』Vol.01 ポルシェ911のご先祖様、「356」の話。

モータージャーナリストの吉田 匠が、古今東西のスポーツカーとクラシックカーについて解説する新連載。第1回は、ポルシェ最初のスポーツカー、ポルシェ356について。

文・吉田 匠

記事の画像ギャラリーを見る

最初のポルシェである356ナンバーワンロードスターは1948年、オーストリアのグミュントという山間の小さな街の外れの小屋から生み出された。中央がそのナンバーワンロードスター、後方の人物は、向かって右がフェルディナント・ポルシェ博士、中央がその長男フェリー・ポルシェ、左がボディ設計主任兼チーフデザイナーのエルヴィン・コメンダ。

最初のポルシェである356ナンバーワンロードスターは1948年、オーストリアのグミュントという山間の小さな街の外れの小屋から生み出された。中央がそのナンバーワンロードスター、後方の人物は、向かって右がフェルディナント・ポルシェ博士、中央がその長男フェリー・ポルシェ、左がボディ設計主任兼チーフデザイナーのエルヴィン・コメンダ。

ポルシェ最初のスポーツカー

皆さん、はじめまして! モータージャーナリストの吉田 匠(よしだ たくみ)です。幼少の頃からクルマ好きで、お盆をステアリングに見立てて回していた当方、1971年に新卒で自動車専門誌『CAR GRAPHIC』の編集記者になって、この業界の人間に。つまり今から2年後には業界入り50年を迎えるわけで、トシがバレるけど、ま、いいか。(笑)

自動車は軽四輪から大型車まで、種類を問わず好きだけれど、なかでも特にスポーツカーが子どもの頃から大好きで、その傾向は今も変わらず。もちろん現代のスポーツカーも素晴らしいけれど、自分が青春時代を過ごした1950~70年代の旧いクルマ、いわゆるヒストリックカー、もしくはクラシックカーがとりわけ気になる、今日この頃。そこで今回は、今やスポーツカーの定番とされるポルシェの歴史について、ちょっと書いてみたい。

ナンバーワンロードスターはミドエンジンの2座オープンで、今日のポルシェでいうとボクスターに相当する。

ナンバーワンロードスターはミドエンジンの2座オープンで、今日のポルシェでいうとボクスターに相当する。

 会社の創始者の名前がブランド名になった自動車メーカーは少なくないが、ポルシェもそのひとつ。最初にポルシェ設計事務所なる会社を設立したのは、20世紀の自動車設計者のなかでも最高の天才の一人といわれる、オーストリア生まれのフェルディナント・ポルシェ博士だった。この人はメルセデスや、アウディの前身たるアウトウニオンの大型車やレーシングカーなどを設計した他、後に世界のベストセラーになる小型車、あのフォルクスワーゲン=VWビートルを、第二次世界大戦勃発直前に設計したことで知られる。

一方、今日まで続くあの911で有名なスポーツカーのポルシェを生み出したのは、その天才フェルディナント・ポルシェの長男、フェリー・ポルシェだった。フェリーが最初のポルシェを誕生させたのは第二次大戦終結から3年後の1948年のこと、ポルシェ設計事務所の第二次大戦中の疎開先だったオーストリア山間のグミュントという小さな街の外れの木造の小屋で、2台のスポーツカーを造り上げた。ポルシェ356ナンバーワンロードスターと、ポルシェ356/2クーペである。

後にポルシェ最初のスポーツカーの名前として世界中に知られることになるこの「356」という数字は、ポルシェ設計事務所の作品ナンバー、つまり356番目の作品、という意味。僕はそのグミュントの小屋を二度訪れたけれど、いかにもポルシェの誕生の場に相応しい、心が洗われるような清らかな場所だった。

ロードスターと同じく1948年に製作された356/2クーペ。最初は2座、後に2+2座になるクーペボディの後端に水平対向エンジンを搭載するレイアウトは、今もそのまま911に受け継がれている。

ロードスターと同じく1948年に製作された356/2クーペ。最初は2座、後に2+2座になるクーペボディの後端に水平対向エンジンを搭載するレイアウトとスタイリングの基本は、今もそのまま911に受け継がれている。

1950年代後半のポルシェの代表的モデル、356A。右が標準スタイルのクーペで、左はボディを装備の簡潔なオープンにした軽量モデル、スピードスター。

1950年代後半のポルシェの代表的モデル、356A。右が標準スタイルのクーペで、左はボディを装備の簡潔なオープンにした軽量モデル、スピードスター。

ビートルから356、そして911へ

実はポルシェ356には、ベースになったクルマがあった。父フェルディナントが設計したVWビートルである。ビートルは軽量コンパクトで効率のいい空冷水平対向4気筒エンジンをボディの後端に搭載して後輪を駆動する、4人乗りの小型車だったが、356も強固な鋼板製プラットフォームの後端に空冷水平対向4気筒エンジンを搭載して後輪を回すという基本構造を、そのまま採用していた。

ただし、4人乗りのファミリーカーだったビートルと違って356はスポーツカーだから、ホイールベースはビートルより短縮され、低くて空力的なボディがデザインされて、エンジンもビートルよりもハイパワーを発生した。

1960年代前半の、356としてはほぼ最終モデルに近い1962年356B。実はこれは筆者のクルマで、2017年の秋、中部山岳地帯を走って京都から東京まで3泊4日で走破するラリーニッポンに出場したとき、フィニッシュ直前の横浜で撮ったカット。

1960年代前半の、356としてはほぼ最終モデルに近い1962年356B。実はこれは筆者のクルマで、2017年の秋、中部山岳地帯を走って京都から東京まで3泊4日で走破するラリーニッポンに出場したとき、フィニッシュ直前の横浜で撮ったカット。

ボディの後端に空冷エンジンを搭載したクルマであることがよくわかる356Bのリアスタイル。これも2017年ラリーニッポンで、雨の木曽、奈良井宿におけるシーン。

ボディの後端に空冷エンジンを搭載したクルマであることがよくわかる356Bのリアスタイル。これも2017年ラリーニッポンで、雨の木曽、奈良井宿におけるシーン。

 こうして生み出されたポルシェ356は、空気抵抗の少ない流線形を採り入れた2+2座のボディ、その後端に搭載された水平対向エンジン、といった後の911と同じ特徴を最初からすべて備えた高性能スポーツGTで、1951年のルマン24時間でクラス優勝したのを皮切りに、世界中のレースやラリーで大活躍した。

356はその後マイナーチェンジを繰り返して進化しながら1964年まで17年間現役であり続けたが、実は僕はその後期モデル、1962年型356B 1600スーパーというモデルに今も乗っていて、旧いクルマのラリーやヒルクライムに出たり、週末に都内や郊外を走ったりして、愉しんでいる。

空冷水平対向エンジンの排気量はたった1.6リッターで、パワーも75psしかないが、車重が900kgと軽いので意外なほど軽快な加速が手に入るのだ。

で、この356の後継車として1963年に世に出たのがあのポルシェ911なのだが、次回はその911について書いてみたい。

吉田 匠(よしだ たくみ)PROFILE 吉田 匠(よしだ たくみ)
1947年、埼玉県生まれ。1971年、青山学院大学卒業直後、㈱二玄社に自動車専門誌『CAR GRAPHIC』編集記者として入社。同誌ではスポーツカーのロードインプレッションなどを主に担当し、レースにも出場、優勝経験も数回あり。1985年、同社を退社し、フリーランスのモータージャーナリストに。『男は黙ってスポーツカー』、『僕の恋人がカニ目になってから』、『ポルシェ911全仕事』など、単行本多数。2018年以来、クラシックカー専門誌『CG classic』編集長を務める。

記事の画像ギャラリーを見る

この記事をシェア

  

応募する

応募はこちら!(3月31日まで)
応募はこちら!(3月31日まで)