【JAF会員優待あり!】心洗われる相田みつを美術館レポ
老若男女問わず、誰にでもわかりやすい独自の言葉とやわらかな筆による書体、そして優しい視点でもって、「いのち」を見つめ続け、そして表し続けた書家・詩人の故・相田(あいだ)みつを。
1980年に記された「にんげんだもの」は、誰もが一度は作品を目にしたり、その話を耳にしたりしたことがあるのではないだろうか?
そんな相田みつをの作品の数々を味わうことができるのが、JR有楽町駅および同東京駅の京葉線改札からほど近い東京国際フォーラムの地下1階にある「相田みつを美術館」だ。
JAF優待施設となっており、例えば一般・大学生が800円のところを600円という具合で、JAF会員証を提示すれば、いつでも会員本人を含めて最大5人までが優待料金で入館可能だ。
10月23日はJAF会員は無料で入館可能!
ところが、この10月23日(日)は、なんと春に続いて「JAFデー」として、同じくJAF会員証を提示すれば本人を含む5人までが無料で入館できるという、特別な日として設定されたのである!
ぜひ一度は足を運んでみたかったという方、春に訪ねそびれたという方は、チャンスである。
2回目のJAFデーに先立ち、その魅力を伝えるべく同美術館を取材したので、ぜひレポートをご覧いただきたい!
美術館は、東京国際フォーラムの東京駅寄りにある。東京駅の京葉線の改札だけでなく、丸の内口の地下改札からも地下通路でつながっている。
書家であり詩人であり書体の創作者であり
相田みつを。画像は、相田みつを美術館提供。
相田みつを(本名は光男)は1924(大正13)年に栃木県足利市で誕生し、書家であり、また詩人でもあり、さらにいえば、独自の書体の創作者でもあった、複数の分野を横断した芸術家である。
太平洋戦争中の1942年、18歳で旧制栃木県立足利中学校を卒業し、歌人・山下陸奥に師事、芸術家としての経歴をスタートさせた。
1954年、30歳の時に、地元の足利市で第1回個展を開催したのを皮切りに、各地で展覧会を開催するようになり、その年から1960年まで毎日書道展で7回連続の入選を果たすなど、その名が知られ、評価されていくようになる。
その後、30代で今日の相田みつをとしてイメージされる、独自の書体による詩を記した書画を書き始め、1980年に書画「にんげんだもの」を記す。そして同じタイトルの書籍を1984年に出版し、これが後にミリオンセラーとなり、その後も数々の書籍を出版している。
しかし1991年、67歳の若さで、まだまだこれからも活躍が期待される中、脳内出血が原因で永眠したのである。
ちなみに、決して生前から今のような人気があったわけではなかった。現在の高い評価は、時代が彼にやっと追いつき、ものの豊かさのみを追い求めた時代が終わり、精神性・心といったものが重要視される時代になったからこそだろうと、取材に応じてくれた長男の相田一人館長は語ってくれた。
長男で同美術館館長の相田一人氏。今回、貴重なお話をうかがった。
自らを表現するために独自の書体が編み出された!
相田みつをだとわかる独特の書体は、自分を表現するために編み出された。
相田みつをというと、あの独特のやわらかな書体を見て、まるで「天才がさらさらっとその場で気軽に」記したかのようなイメージをお持ちの方も多いことだろう。
中には、書家としてまったく何の経歴もなく、いきなり最初からあのような書体で書き記していたのだろう、と誤解している方もいるのではないだろうか?
しかし、そうではない。23歳の頃には「鄭文公碑」という、1本の掛け軸に35文字×6行=210文字を6本分、ほぼびっしりと漢文(漢字のみ)を筆で記した臨書でもって、全国コンクールの第一席に輝いている。
その臨書は、まるで印刷したのかというぐらい水平・垂直が完全に整っており、もちろん1文字ずつすべて等間隔ですべて同じサイズで、これを人の手で記したのかと思うと、信じられないほどである。
そのほか、楷書体や草書体なども非常に達筆であり、書の基礎や伝統的な技巧を完全に身につけた、正統派の超一流の書家であったことがわかる。
30歳になって自らの言葉と書を求めるように
そして、30歳の頃からは、「自分の言葉・自分の書」をテーマに掲げて、新たな方向へ進んでいったという。
要は、自分で詩を作り、自分で書にするという、ミュージシャンでいえばシンガー・ソングライターに当たるスタイルを求めていったのである。
自分の作品であることをアピールすると同時に、自分の詩を人々の心に届けるには独自の書体が必要ということで、編み出されていったのがあの書体というわけだ。あの独特の優しい書体は、ミュージシャンでいえば、オリジナルの歌声であり歌い方であるともいえる。
相田みつをが愛用した道具類も美術館には展示されている。
1作品を生み出すのに3桁、4桁の半紙を!
相田みつをの作品をみて、「さらさらっと書いていたのでは?」と感じる方も少なくないだろうが、真実はまったく異なる。美術館の中には、アトリエを再現したコーナーがあるのだが、納得できなくてボツとした半紙が文字通り山積みとなっていて、1作品だけで3桁は確実、下手したら4桁の枚数は書いていたのではないかというほどだったそうである。
昭和30年代当時、大卒の初任給が1万5000円だったそうだが、なんと多いときは一晩で3万円分の半紙(中国から取り寄せていた高級なもの)を使っていたそうで、相田館長は少年時代、山となった失敗作を燃やすのが日課のひとつで、半紙を燃やしてお風呂を毎日に沸かしていたそうだ。
アトリエの再現コーナーは第2ホール。アトリエは実際には30畳ほどだったそうだ。
しかも、決してその枚数は練習で使っていたわけではないそうで、全部本番。そのため、相田みつをの創作活動時は、常にものすごい殺気や気迫が漂っていたという。
相田館長によれば、怒鳴ったり物や人に当たったりといったことはまったくなかったそうだが、遠目に見てもアトリエの中はとてつもなく空気が張り詰めていたそうである。
非常に筆運びが速かったそうで、半紙をこする「シュッ」という音が、まるで斬りつけられるような音にも聞こえるのもあって、怖くて近づけなかったと語ってくれた。
生涯、どれだけ書いてもどの作品も納得しなかった!
自身の代名詞でもある「にんげんだもの」はいくつものバージョンが所蔵されている。
しかし、それだけ書いても、個展などに出展した作品は、「納得した出来映え」のものではなく、締め切りに間に合わせるために「今まで書いた中では、うーん、これが一番マシかなぁ…」だったそうだ。
イメージした通りに描けたことはなかったといい、締め切りを設定しない限り、年単位で同じ作品を書き続け、それでも納得しなかったそうで、「『妥協』という字は父の辞書には載っていなかったと思います」と相田館長は語ってくれた。
さらに、時間が経つと納得いかない部分が見えてくるので、個展で自分の作品を購入してくれた人の家を訪ねて、買い戻そうとしたり、もっとよく書けたら交換してほしいといったりした交渉をしたそうである。
この程度では、相田みつをの芸術家としてのすごさはまったく語り尽くせないのだが、詳しくは書籍が何冊も出ており、それらは美術館のミュージアムショップ(ここは無料で入ることが可能)にもそろえられているので、興味がある方は手に入れてみるといいだろう。
美術館はふたつのホールと複数の展示室などで構成
それでは、美術館について紹介しよう。フロア構成として大きくふたつに分けられており、第1ホールと第2ホールからなる。そして展示室が7つ(第1~5までが第1ホール、残りが第2ホール)だ。
(左上)第1ホールの入り口。(右上)第2ホールの入り口。(左下)ミュージアムショップ。入館料なしでもここは入れる。(右下)第1ホール入り口手前などにある、ガシャポン。かなり人気が高いらしい。
展示内容は、全作品が展示されているわけではなく、テーマを設定し、1シーズンごとに展示内容を保管倉庫のものと入れ替えている。現在は、「相田みつを美術館 開館20周辺記念 特別企画展 にんげんだもの・原点」を12月11日(日)まで開催中だ。
そのほか、アトリエを再現したコーナーの他、年譜、ビデオ、音声解説、対訳などのコーナーもある。さらには2分ほどの動画で同美術館を紹介する「井戸」(井戸の底に大型の円形モニターがある)、そしてカフェ、前述したミュージアムショップなども用意されている。
同美術館は基本的に家族や友人同士といった、数人単位での鑑賞が想定されていることから、所々に数人ずつが腰掛けられるような休憩スペースが設けられているところも特徴だ。
さらに、床にも気が配られており、すべてではないのだが、少しでも柔らかい雰囲気が出るようにと、珪藻土が敷き詰められている通路などもある。
(左上)底がモニターになっている「井戸」。(右上)カフェ。一息もつきやすい。(左下)珪藻土を貼り付けて柔らかい雰囲気を出した通路。(右下)その通路の各所には、休憩用のベンチも用意。
それぞれの人の心にきっと響く詩がある
第1ホールの展示室では最後に位置し、そして最も広い第5展示室。
今回は、各展示室の全景を極力撮影するようにし、作品はほんの数点だけを紹介する形にとどめた。当たり前だが、ぜひ読者の皆さんに、ご自分の目で見て、心で感じてほしいからである。
個人的なことをいわせてもらうと、なぜか気がついたら目が吸い寄せられ、読み始めてしまった作品がいくつかあった。しかも、それがどういうわけか猛烈に心に響き、同美術館の責任者の方が案内してくれている最中だというのに、涙ぐんでしまって会話ができなくなってしまう場面もあったほどである。
相田みつをの作品は、自分の至っていないところをわからせてくれる一方で、「そんなに無理する必要ないんだよ」と、力が入りすぎの肩をぽんと優しく叩いてくれるような作品も多く、とても深いものがある。
自分の何かが変わったと思えるほどのインパクトを受け、同美術館を取材する機会を与えてもらえたことを本当に感謝したい気持ちになったほどだった(恥ずかしながら、それまでは詳しくは知らなかった)。
第2ホールの第6展示室。第2ホールにはアトリエを再現したコーナーもある。
JAFデーではポストカードをもらえる!
ちなみにJAFデーでは、アンケートを回答した方にはポストカードもプレゼントされる。お忘れなきように。
JAFデーの詳細は、JAF公式サイトのご当地情報の中に「JAFデー in 相田みつを美術館」のページがあるので、そちらもご覧いただきたい。
見る前と後では、記者のように、自分が変わってしまうほどのインパクトを得られる可能性がある相田みつをの作品群である。以前から興味を持っていた人も、名前ぐらいしか知らなかったという人も、非常にいい機会だと思うので、ぜひこの機会に美術館を訪ねてほしい。
2016年10月17日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)
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