2023年03月01日 19:00 掲載

ライフスタイル 『イタリア発 大矢アキオの今日もクルマでアンディアーモ!』第36回
47年前の「旧ソビエト車」が暗示すること

イタリア・シエナ在住の人気コラムニスト、大矢アキオがヨーロッパのクルマ事情についてアレコレ語る人気連載。第36回は”今のクルマに不足しているもの”について。

文と写真=大矢アキオ(Akio Lorenzo OYA)

シエナのバリスタ、マッシモさんが十数年にわたり愛用するロシア製4WD車「ラーダ・ニーヴァ」。

シエナのバリスタ、マッシモさんが十数年にわたり愛用するロシア製4WD車「ラーダ・ニーヴァ」。

「何かに似ている」が増える予感

 2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻から、早くも1年が経過した。その間に、同年5月にルノー、10月にフォードとメルセデス・ベンツがロシア事業から撤退。日本企業もトヨタが9月、日産が10月、マツダも11月に同様に撤退を決めた。

 そうした状況下で、筆者は「これから数年後、どこかで見たようなデザイン、もしくはパワートレインを備えたロシア製国産車が続々登場するのではないか」と予想している。つまり、欧州や日系企業の生産設備を手に入れたロシアの現地企業が、その技術を流用して自動車を造るだろうということである。

 そう考える理由は、過去の歴史だ。ひとつは、旧ソビエト時代の高級車である1946年の「ZIS-110」である。この車両は、米国パッカード社製「スーパーエイト」に酷似していることから、同社が生産設備を供与したのではないか、との説があるが、真偽は明らかにされていない。それはともかく、米ソが冷戦時代に入り、"本家"パッカード版がカタログから消えてからもZIS-110は生産が続けられ、中国や北朝鮮の首脳にも寄贈された。

 旧東ドイツにもそうした例がみられる。1989年の「ベルリンの壁」崩壊時、同国民が大量に運転して西側に流入したことで有名になった「トラバント」や、一段高級な「ヴァルトブルク」だ。両者とも前輪駆動車であったのは、「アウディ」の祖先である旧アウトウニオンの、東独側に残ってしまった工場や技術を用いたからであった。

 もちろん、当時と今日では国際的な知財管理の厳しさが異なる。とはいえ、「やった者勝ち」の論理がまかり通り、かつ一定の国内市場が見込めるとなれば、少し前の西欧車や日本車に似ている不思議なクルマがロシア国内を走り回るだろう。

「トラバント601」。2013年ポーランドのワルシャワにて撮影。「トラバント601」。2013年ポーランドのワルシャワにて撮影。

「ヴァルトブルク353」。2015年ポーランドのトゥルンにて撮影。「ヴァルトブルク353」。2015年ポーランドのトゥルンにて撮影。

世界最長寿の民生オフロード4駆

 ところで、ほぼ四半世紀前の1996年にイタリアに住み始めた筆者が驚いたのは、"東側ブランド"をたびたび見ることだった。旧ソ連-ロシアの「UAZ」、ルーマニアの「アロ」といったクルマたちだ。また、当時すでにフォルクスワーゲン傘下となっていて、今日では同グループの一翼を担っているチェコの「シュコダ」も筆者の目には珍しかった。

「シュコダ・フェイヴォリート」。2005年イタリアにて撮影。

「シュコダ・フェイヴォリート」。2005年イタリアにて撮影。

 イタリアは隣国フランスとともに、西側諸国にありながら、東西冷戦下から旧ソ連や東欧諸国との経済・通商的関係をしたたかに築いていた。代表例が1964年に旧ソビエト連邦政府が伊フィアットと締結した合弁事業だ。その成果として「フィアット124」をベースにした1970年の「ラーダ2101」が誕生した。同車の派生型は今日でも、旧ソビエト連邦諸国の映像などで、たびたび見ることができる。

 イタリアでロシア・東欧車が数々みられたのは、そうした密な関係が完成車輸入にも反映されていたからに他ならない。最たる例が今回紹介する旧ソビエト/ロシアのラーダ「ニーヴァ」だ。

 ラーダとは前述のフィアットとの提携で誕生した乗用車製造大手「アフトワズ」の自動車ブランドだ。1976年に発表されたニーヴァはフルタイム4WD車で、アフトワズによる初の独自開発モデルであった。当初エンジンはフィアット1500用を基にした1.6リッターガソリン仕様のみだったが、1990年代初頭にプジョー製1.9リッターディーゼル仕様も加えられた。

 ただしそうした古いエンジンは、段階的に強化される欧州連合(EU)の排気ガス基準への適合が極めて難しかった。そこで当初はLPG併用仕様の追加で凌いだ。続いて、基準に準拠したユニットに換装されたが、西側ではそれを待たずにラーダ・ニーヴァを販売終了してしまう輸入業者が相次いだ。イタリアでも、2010年前後にはインポーターが消滅した。

 かくも一旦忘れられたラーダが、ふたたびヨーロッパで脚光を浴びたのは2012年のことだった。ルノー・日産アライアンス(現ルノー・日産・三菱アライアンス)がアフトワズに資本参加したのである。そして2021年1月、ルノーは新世代のラーダとして「ニーヴァ・コンセプト」と題したティーザー映像をオンライン経営戦略説明会で公開した。CセグメントのフルEVとして2024年に投入するという計画だった。

 ところが冒頭に記したように、ルノーはロシア情勢を受けて2022年5月、アフトワズの株式の半数以上をロシアの国営企業に売却して撤退した。

 今後ラーダ・ブランドがどうなるのか、また初代「ランドローバー・ディフェンダー」無きあと、世界最長寿の民生用オフロード4WDとして生き延びてきたニーヴァの未来はどうなるのか、今はわからない。

ライターお勧めの関連記事はこちら