『イタリア発 大矢アキオ ロレンツォの今日もクルマでアンディアーモ!』第55回 ぷっしゅーん!路線バスを愛する若者【Movie】
フェラーリのエンジン音より興奮しちゃう!? イタリア・シエナ在住のコラムニスト、大矢アキオ ロレンツォの連載コラム第55回は、路線バスをこよなく愛するフランスの若者たちに注目!
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結成のきっかけは「子ども時代の思い出」
少年時代、「格好いいもの」として憧れていた音がある。「大型車のエアブレーキ」だ。あの「ぷっしゅーん!」という音にしびれていた。
名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンはフェラーリのV型12気筒エンジンの音に心酔していたという逸話が残されている。しかし当時の筆者にとっては「フェラーリよりもエアブレーキ」であった。普通のクルマにも付いていれば、どんなにいいだろうとさえ思っていた。東京モーターショーの商用車館でトラックの運転席に座ったときは、あまりにぷっしゅーん音を楽しんでいたため、空気圧低下を恐れたスタッフに「あんまり踏まないでね」と、たしなめられたことさえあった。
閑話休題。2024年10月の週末、フランス・パリから南東約90キロメートルの町モントローを訪れたときのことである。市内最大の公園「パルク・デ・ヌー」では、ヒストリックカー・イベントが催されていた。主催の地元自動車クラブによると、参加台数は毎年400台以上にのぼり、今回で第10回という。
その一角に、バスを発見した。内部も見学させている。声をかけてみると、「アスプロ」という名のクラブだった。ASPROとはrestauration d’ Autobus anciens et Sauvegarde du Patrimoine ROulant、すなわち「旧型バスの修復および動態保存」の頭文字を繋げたものだ。
会長のクリストファー・ジョリーさん(冒頭写真左から2番目)は1988年生まれ。彼は振り返る。「子ども時代、毎日通学に乗っていたバスに愛着を覚えていたのがきっかけでした」。副会長のミシェル・ローさん(右から2番目)と、2019年にクラブを設立した。

クラブのロゴ。描かれているのは、パリ交通公団の塗色が施されたルノー・トラックとなってからのSC10型である。
その日彼らが持ち込んだのは2台。1台は1980年「サヴィエムSC10」である。パリ交通営団(RATP)などの要請を受けたサヴィエム社によって開発され、1960年から製造されたモデルだ。エンジンはドイツに本拠を置くMAN(マン)社製の直列6気筒7リッターである。
従来型バスと比べて低床で、乗降部が広く、かつ安い維持コストという発注者の諸条件を達成していたため、パリでは1960-70年代を通じ、路線バスとして広く使われた。
サヴィエムは1978年に「ルノー・トラック」社に吸収されて1980年には名称も消滅したが、モデルとしてのSC10は改良が加えられながら1989年まで約24年にわたって生産された。そのためパリの古い写真には、たびたび写り込んでいる。

クラブのお宝その1。サヴィエム社による1980年「SC10」。

ボディサイズは全長11.045×全幅2.5×全高2.96メートルである。最高速度は60km/h。

ギアボックスは、フランスを代表する変速機メーカーだった「ポンタ=ムッソン」製の半自動4段。利用者が乗車券に時刻を刻印するための機械もそのままだ。

車両は、実際にパリ交通営団(RATP)で路線バスとして使用されていたものである。

頭上には現役当時の路線図が。パリにおける北の玄関サン=ラザール駅と、南の玄関であるリヨン駅を結んでいた20番バスのものである。
もう1台は1986年「ユリエーズGX107」である。車体製造元の「ユリエーズ・ビュス」社は、1920年に歴史をさかのぼる車体メーカーで、ユリエーズのバス部門として1979年に設立された会社である。
GX107は1984年に発売されたモデルで、ルノー・トラック社製直列6気筒9840ccエンジンが組み合わされていた。前述のサヴィエムSC10の後継車としてフランス各地で広く使われていたが、欧州排出ガス基準の初期のものであることから、近年次々と姿を消している。

1986年ユリエーズ社製GX107。ボディサイズは全長11.59×全幅2.5×全高2.915メートル。年齢に関係なく、また開催期間中に動かないと知っていても、思わず乗り込みたくなるのがバスの展示である。

ホイールの中央には、ユリエーズ社のエンブレムが。

こちらの車内は、一部の席だけ残し、ミニ展示室に改装されている。
若いメンバーがいる理由
ミシェルさんは、パリ交通営団の現役運転手である。「他にも、ほとんどのメンバーは大型免許を持っています」と彼らは説明する。
ただし、彼らのクラブには、本当に大型免許を持っているの? と聞きたくなるような若いメンバーもみられる。ヨーロッパの大半の国では、総重量3.5トン以上の車両が運転可能な「C免許」の受験資格は21歳である。いっぽうフランスでは、リセ・プロフェッショネルと呼ばれる職業高校の学生は、18歳から受験できる制度が整備されている。
ただしC免許では、たとえ営業運転でなくてもバスは操縦できない。そこで、客席を外して定員を9人以下とし、トラックとして登録し直すことで若いメンバーも運転できるようにしている。
若手メンバーのひとり、テオさんは20歳。路線バス愛好会のメンバーとしての喜びは?との質問に、「子どものうれしい顔を見ることです」と開口一番に答えてくれた。そして、こう続けた。「大人やお年寄りから『ああこのバス、昔乗った、乗った』という声が聞こえたときも嬉しいですね」。喜びの共有という点からすると、バス愛好家は乗用車ファンよりも数倍満足度が高いとみた。
夕方、彼らは展示車に乗り込み、エンジンをかけた。テオさんも1986年ユリエーズ社製GX107の運転席に腰掛ける。ドアの開閉を確認するたび、切り返しにブレーキをかけるたび、あのぷっしゅーん音が何度も公園の森に響いた。きっとその日も、心動かされた子どもたちがいたに違いない。遠い昔の筆者と同様に。

路線バスの歴史を紹介した写真パネルと、会員のテオさん(20歳)。

パネルの反対側には、さまざまな地方における歴代の乗車券が。チケットレス化が推進されている昨今、近い将来子どもたちが「これ何?」と問いかける日が来るかもしれない。

1986年「ユリエーズGX107」の運転席に座るテオさん。メンバーにはプロのトラック/バスドライバーがいて、彼もそのひとりである。

カラーリングは、現役時代末期に路線バス乗車マナー啓蒙のため、教育機関を巡回したときのものである。