なぜ京都に阪神高速があったのか? 消えた阪神高速8号京都線と京都高速道路の謎。【いま気になる道路計画】
かつて京都市内に存在した「阪神高速8号京都線」。2008年から2011年までの間に順次開通したものの、わずか11年後の2019年に都市高速としての役目を終えた。なぜ、8号京都線は阪神高速の“飛び地”として存在し、短期間で消滅する運命を辿ったのか。その背景には「幻の京都高速道路計画」が存在していた。
阪神高速8号京都線の短い歴史
「阪神高速8号京都線」は、2008年から2011年までの間に順次開通した、山科出入口~(稲荷山トンネル)~巨椋池ICまでの都市高速道路だ。東西に横断する山科出入口から鴨川東出入口までは新十条通と十条通に、南北に縦断する上鳥羽出入口から第二京阪道路の巨椋池ICまでは油小路通と並行する。
大阪と神戸に都市高速の道路網を拡充してきた阪神高速だが、京都市内にある8号京都線はいずれの路線とも直接せず、阪神高速の“飛び地”の様相を呈していた。
しかし、この不自然な状況は長く続かなかった。2019年4月1日、山科出入口~鴨川東出入口間は京都市へ移管され無料開放。鴨川東出入口以西の区間も、NEXCO西日本に移管され、第二京阪道路に編入。8号京都線としての存続はわずか11年で終わることになった。
NEXCO西日本の管轄の高速道路なのに「阪神高速感」が否めない。
第二京阪道路の巨椋池IC~鴨川東IC間は、片側1車線の対面通行やループの連続、看板の表記など、都市高速道路だった時代の面影を残している。
ではなぜ、阪神高速8号京都線としての存続は短命に終わってしまったのか。この背景にあるのが、結果的には幻となった「京都高速道路計画」だ。
幻の京都高速道路計画とは?
阪神高速8号京都線は、1987年と1991年に都市計画決定された「京都高速道路」5路線のうち、「油小路線」と「新十条通」の2路線を阪神高速と京都市で事業を進めたものだ。この他、計画されていたのが、南北軸の「堀川線」と「西大路線」、東西軸の「久世橋線」であった。
【久世橋線】
「久世橋線」は、久世橋通に沿う新十条通の鴨川付近から久世橋付近までの路線で、久世橋通を拡幅して全線を高架にする想定だった。延長は約3.1km。
【西大路線】
「西大路線」は、西大路五条から久世橋通新千本(西高瀬川)までの路線で、西大路通に沿う五条通から十条通までの区間は地下、西高瀬川に沿う十条通から久世橋通までの区間は高架を想定。延長は約4.0km。
【堀川線】
「堀川線」は、堀川通に沿う堀川五条の北付近から久世橋通までの区間で、五条通から十条通までは地下、十条通から久世橋通までは高架を想定。久世橋JCTで油小路線と接続する計画。延長は約3.7km。
さらに、久世橋線の西側には「京阪連絡道路」として大阪方面の阪神高速と接続する構想も存在していた。
京都市内に阪神高速の“飛び地”となっていた状況も、将来的に阪神高速と接続する可能性があったことがわかれば納得できる。市部の道路整備を先行するのも当然といえば当然だ。
京都から消えた阪神高速と幻となった道路計画
京都高速道路の「久世橋線」「堀川線」「西大路線」について、「京都市高速道路検証専門委員会」で議論されたのは、都市計画決定(1993年)から20年近くが経過した2012年のことだった。
京都高速道路は、社会福祉関連経費の増加や防災・減災対策を優先する京都市の政策方針、厳しい財政状況も影響し、事業着手の見込みが立たない状態が続いていた。
同委員会では、高速道路へのアクセス性向上と所要時間短縮の効果、災害時の代替性としての機能、渋滞損失時間の削減や交通事故の軽減効果などの観点から必要性を検証。
その結果、既存の油小路線や新十条通(稲荷山トンネル区間)の整備により一定の効果は達成しており、これ以上の高速道路整備が市内全体のネットワークに大きく寄与するとはいえないと判断された。
一方、阪神高速の“飛び地”だった8号京都線も、国土交通省が発表した「近畿圏の新たな高速道路料金に関する具体方針(案)」に基づき、圏内高速道路の料金体系の整理・統一とネットワーク整備の観点から、2019年4月1日をもって、NEXCO西日本と京都市に移管されることになった。
確かに、8号京都線はNEXCO西日本の第二京阪道路と接続しているのにも関わらず、接続していない阪神高速道路の料金体系が取り入れられていて、利用者にとって非常にわかりにくいものだった。
幻となった京都高速道路計画だが、阪神高速8号京都線から第二京阪道路の一部となった「油小路線」と京都市道となった「新十条通」は、市内の渋滞緩和に貢献しており、計画当初の役割を果たしている。
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