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最終更新日:2024.08.14 公開日:2024.03.15

バブルよもう一度! 景気が良いとクルマもカッコよくなる? 80年代「デートカー」をデザイン視点で紐解く。

日経平均株価が34年ぶりにバブル期を超え、史上最高値を更新! 景気が良いとクルマのデザインもカッコよくなるって本当? 80年代の若者たちは、なぜ「デートカー」に夢中になったのか。元カーデザイナーの渕野健太郎氏がその魅力を紐解く。

文=渕野健太郎

写真=日産自動車、ホンダ、Ferrari N.V.

バブル真っ只中の1989年に開催された第28回東京モーターショー。晴海から幕張メッセへと会場を移した最初の回でした。

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皆さんは、どのようなクルマに憧れますか?

私は、若い頃はイタリア車に憧れてましたが、初めて所有したクルマは、親からお下がりの2代目「ホンダ・トゥデイ」でした(笑)。マニュアルで走りも良かったのですが、それ以上に「自由を手に入れた!」と感じたものです。

いつでも、どこでも行ける、という行動範囲が無限に広がったと思いましたね。どんなクルマでも楽しいもんだな、と学びました。さて今回は、私より10歳以上先輩の方々の話、80年代の若者がこぞって買った「デートカー」をデザイン視点で紐解きます。

景気とカーデザインの関連性

1987年の第27回東京モーターショーで発表された日産のコンセプトカー「MID4(ミッド・フォー)」。エンジンをミドに搭載した4輪駆動のスーパースポーツカーとして発表されました。技術の多くは4代目フェアレディZ(Z32型)やスカイランGT-R(32型)へ活かされました。

カーデザインにおいては、景気が良いほど創造性あるコンセプト、デザインのレベルも高い名車が生まれやすくなると感じてます。これは世間の景気だけでなく、メーカー個々の業績にも関係しますが、要は「チャレンジできる」土壌があるからだと思うのですね。

カーメーカーに限らず、会社の業績が悪くなると、失敗できないのでさまざまな人が口を出し、結果つまらないデザインになるというのが一般的ではないでしょうか。ですのでバブル好景気だった80年代は、カーデザインにおいて日本メーカーのレベルが飛躍的に上がった印象があります。

80年代日本人の「カッコいい」基準が「デートカー」を流行らせた?

これぞフェラーリともいうべき、アイコン的存在のテスタロッサ。真紅のボディカラーをまとい、大胆なスリットが入ったテスタロッサのデザインは、ピニンファリーナが担当。世界中の自動車ファンを魅了しました。1984年に登場。

80年代は実用より「見栄え重視」の価値観ではなかったでしょうか。一目で「かっこいい」と思えるクルマを欲していたと思います。それは、70年代のスーパーカーブームが起点かもしれません。

その時熱狂した少年が、大人になった80年代でも「カッコいいクルマ」の頂点が「フェラーリ・テスタロッサ」などのスーパーカーではなかったか、と思います。みんな「低く」「スポーティ」なクルマを欲していたように感じますね。

そのような社会背景の中、「デートカー」と言うジャンルが確立されました。言うならば、エクステリアデザインは「スポーツカーのような特別感」、でも乗り心地や取り回しは「サルーンのように快適」のようなコンセプトでしょうか。

「スポーツカーのような特別感」は、上記の様にスーパーカーを頂点とした「カッコよさ」を重視したからでしょう。一方、「サルーンのように快適」は、「見栄え」と同時に「実利」も考える、隣に座る女性からのリクエストが強かったのではないでしょうか?

「デートカー」の元祖、2代目ホンダ・プレリュード

2代目ホンダ・プレリュード。スポーツカーのような見た目でありながら快適性も重視した「デートカー」の先駆けとして誕生。日本がバブル景気へと向かう最中の、1982年に販売が開始されました。

そのような価値観の中で生まれたクルマが、1982年発売の2代目プレリュードです。
82年なので、だいぶ早いですよね? このプレリュードが「デートカー」のジャンルを作ったといっても過言ではないでしょう。

初代と見比べてください。モデルチェンジでこんなに印象が変わるクルマも珍しいのではないでしょうか? 当時のホンダはデザインだけでなく、コンセプト作りにも長けていたと感じます。

プレリュードと同じく、一気に垢抜けた「ワンダーシビック」や、トールボーイと言われた初代「シティ」が印象的ですね。「シティ」も大成功していたので、当時からさまざまな価値観があったと言うことです。ホンダはこの時代、一番「イケてた」メーカーではないでしょうか。

デザインのキモとしては、やはり極限まで低いボンネットです。これとリトラクタブルヘッドランプで「スポーツカーのような特別感」をうまく出していると思います。また、キープコンセプトの3代目のイメージカラーは「赤」でした。実際赤いプレリュードが多かったように思います。この「赤が似合う」、と言うのも「スーパーカー」からの価値観を継承していたと感じるところです。

ホンダ・プレリュード(初代)

3代目ホンダ・プレリュード

1983年に登場した3代目ホンダ・シビック(通称:ワンダーシビック)。人間のためのスペースを最大限広くするという、ホンダならではの「MM思想(マン・マキシマム、メカ・ミニマム)」を取り入れた最初のモデル。自動車としてはじめてグッドデザイン賞大賞を84年に受賞。またホンダとしてはじめて日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝きました。

1981年に登場した初代ホンダ・シティ 。超小型バイク「モトコンポ」も同時に発売され、4輪のトランクに2輪を搭載してアウトドアを楽しむという、これまでにない新しいライフスタイルの提案にも注目が集まりました。

日本のカーデザインを引き上げた、S13シルビア

S13型シルビアQ's。日産が1988年に発売し、同年のグッドデザイン賞大賞に輝きました。当時のキャッチコピーは「アートフォース・シルビア」。

S13シルビアのインテリア。グローブボックスの蓋はファブリックを巻いていました。

S13シルビアは、カーデザインにおいても80年代の日本車を代表するクルマだと思います。低いヘッドランプが起点になっているシルエットは、とても明快でスポーティですね。

専門的になってしまいますが、特にフロント周りはオーバーハング部が絞り込まれて、
ノーズが軽く、またタイヤを意識した造形になっています。これは同時期のR32スカイラインでも同じで、R31の箱っぽさが無くなってクルマに一体感が出ました。この辺りからカーデザインのトレンドも変化したように思います。

また、インテリアもシンプルかつクリーンな造形で、開放感があり秀逸でした。グローブボックスの蓋にファブリックを巻いているのは、今でも良いアイデアですよね。S13シルビアは、当時グッドデザインの「大賞」をとっています。大賞がクルマというのも珍しいのですが、それくらい当時から評価されていたんですね。

1985年に7代目として登場したR31型スカイライン。

R32型スカイラインは1989年にデビュー。

「今の価値観」をもっと追求して欲しい

2002年に登場した2代目日産キューブ。アール(曲線)の効いた立方体をモチーフにしたデザインは、まるでコンセプトカーのよう。左右非対称のリアデザインも大きな注目を集めました。

90年代に入ると、急速に不景気になってしまいました。日本車のデザインも、暗黒の時代が長かったのではないでしょうか?

各メーカーは日本だけでは商売にならず、必然と「グローバルカー」が増えました。その結果、サイズやデザインがそれまでの日本人と好みが合わなくなり、それがクルマ離れの原因の一端かもしれません。

今はクルマらしいカタチよりも「空間、機能第一」の方も多いですよね。限られた寸法で、出来るだけ室内を広くとるミニバンやハイトワゴンのようなクルマが一般的です。これは、実は世界的にも珍しいですね。

欧米では、いまだに「クルマらしさ」を追求しがちです。ただ価値観の変化の過程の中で、日本では2代目「日産キューブ」など、ジャパンオリジナルと言ってよい、優れたデザインも出てきました。

私としては、ガラパゴス上等!的な、魅力ある日本専用車が“今後も”出てきて欲しいと思っています。それが、Z世代向け「デートカー」でもいいのではないでしょうか。

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