【再掲記事】震災当日、大洗港を緊急出港した 「さんふらわあ ふらの」|東日本大震災、震災後の記事を振り返る
東日本大震災から11年。次の大震災に備えて、この経験をしっかり覚えておくために、「くるくら」では震災3年後の被災地の状況を伝えた記事を再掲することにしました。3回目は「震災当日、大洗港を緊急出港した 「さんふらわあ ふらの」」です。
本記事は2014年2月に「メイトパーク」(「くるくら」の元サイト)に掲載した内容の再掲です。現状を伝える記事ではありませんのでご注意ください。
フェリーターミナルも、市街地も、平常が戻る
茨城県中部の大洗港フェリー埠頭では、震災当日、前日北海道を発った商船三井フェリーの「さんふらわあ ふらの」が午後1時55分に到着し、午後6時30分の出港に向けて荷揚げ作業や船内の清掃などを行っていた。
同船の坂上幹郎船長は、運動不足の解消にと、いったん下船して周囲をジョギングしていた。
「そうしたら、今まで体験したこともないような、大きな揺れに見舞われました」
午後2時46分、東日本大震災の発生だった。
坂上船長は、急いで船内に戻った。同社の大洗支店からは、大津波警報が発令されたという連絡が入った。船は、津波が起きた場合、津波が港へ到達する前に沖へ避難するのが原則とされる。震源地から推測すると、大洗港へ津波の第一波が到達するのは地震発生から約30分後。通常は出港までには30分の時間が必要だが、急げば避難する時間はある。すぐに緊急出港することが決まった。
「それまでも地震が多かったものですから、会社でもマニュアルを用意していて、日ごろ目に付くところに置いておいたのが、功を奏しました。もしそのまま港に停泊していたら、転覆していたかも知れません」
地震発生から約20分で港を離れた。漁船や作業船も次々に津波を逃れようと沖を目指して進んでいくなか、「さんふらわあ ふらの」は周囲への注意を促す汽笛を鳴らし続けながら、沖へと急いだ。この汽笛を聞いて津波の襲来を察し、高台へ避難した大洗の住民もいたという。
様子を見て大洗へ戻ろうと、いったん沖合で待機した。テレビには大洗フェリーターミナルが津波にさらされ、港内に大きな渦が巻いているのが映っていた。大洗港は大きな被害を受けていることが考えられる。坂上船長は大洗に戻るのは困難として、苫小牧に向かう判断を下した。
大洗町は津波による犠牲者こそいなかったものの、海岸沿いの地区を中心に家屋が浸水するなどの被害を受けた。大洗港は、ターミナルビルの1階部分が浸水しただけでなく、岸壁が損傷し、津波がもたらした堆積物によってフェリーバース(発着場)の水深が浅くなってしまったため使用不能となった。大洗港にフェリーが帰ってくるのは6月6日。それまでは発着港を東京港に変更して運航が続けられた。
「航海中は、大きなコンテナなどの浮遊物が多かったですね。監視しながら航行していましたが、レーダーに映りにくいこともあって、夜は認識しづらかった」
それから3年。大洗港に近く、1階部分が浸水した大洗リゾートアウトレットや、大洗の市街地は買い物客や観光客が行きかい、日常を取り戻したように見える。フェリーターミナルや埠頭には、津波を受けて傾いたと思われるフェンスが一部にある以外は、当時を思い起こすようなものは見当たらない。
そんな大洗の復興を見て、坂上船長は話した。
「復興に向かう人間の力はすごいですね」。
●震災から11年、取材当時を振り返って
海に面した大洗は、4mの津波が海に面したエリアに押し寄せたものの、幸いにも死者は出ませんでした。取材当時は、大洗を舞台にしたアニメの効果も手伝ってか、商店街では観光客が散策を楽しみ、当時存在したアウトレットモールにも親子連れの姿も多く見かけました。3年前に津波被害を受けたとは思えないほど、日常が戻っていたことが印象に残っています。
坂上幹郎船長らクルーが、大洗港の津波被害から守ったフェリー「さんふらわあ ふらの」は大洗-苫小牧航路から2017年に引退。船隻の所在位置がわかるウェブサイト「VesselFinder」(https://www.vesselfinder.com/)によると、その後は外国で活躍しているようです。