日産はサファリラリーで強かった! 240Z、バイオレットPA10を激写。トヨタ博物館「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! WRC」
愛知県長久手市のトヨタ博物館で、2022年4月17日まで開催中の企画展「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! - WRC 日本車挑戦の軌跡」に展示されている日産車の240ZとバイオレットPA10を激写。日産の1970~80年代のラリー活動も紹介。
満身創痍でのゴール。その姿がそのまま保存されていた
愛知県長久手市にあるトヨタ博物館は、2021年10月30日から2022年4月17日まで、企画展「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! – WRC 日本車挑戦の軌跡」を開催している。同展は、公道で競技が行われるFIA世界ラリー選手権(WRC)で活躍した、日本のラリーカーを展示するものだ。同展で展示中の日産車を紹介する。
日産は1962年から海外ラリーに参戦しており、1960年代後半にはフォードやランチア、ポルシェ、オペル、アルピーヌ、サーブなどの欧州メーカーと肩を並べる強豪までに成長していた。そして1973年から始まったWRCで初めて優勝した日本車は240Zだった。日産はWRC制定以前の1971、1972年の東アフリカ・サファリラリーで連勝していたが、欧州車との攻防は年々と増していた。
特に1972年はフォードが、3機のプロペラ機でラリーコースを監視し、100名以上のスタッフで数十台のサービスカーを運用するという大攻勢に出た。それにより例年以上にハイスピード化が進み、フォードが日産から優勝を奪い取った。
そしてWRCが制定された1973年のサファリラリーでは、再び日産とフォードが死闘を繰り広げた。その時の優勝車がこの240Zで、当時ゴールした時の姿のままで現在まで保存されている。その姿は前後フェンダー、ドアなどの外装パネルが激しく損傷し、まさに満身創痍の状態。1973年のサファリラリーが、いかに険しかったかを物語っている。
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1982年サファリラリー優勝車
バイオレットPA10を紹介
サファリラリー4連覇の偉業を達成したバイオレット
240ZでWRCにおける地位を確立した日産だが、排ガス対策のため1972年から海外ラリーでのワークス活動が控えられた。日産は表立ったワークス活動を1979年まで休止していたが、その間も現地法人や輸入代理店などを通じてラリーカーの開発を続けていた。
そして排ガス対策に目途がつくと、1979年サファリラリーから本格的なワークス活動をバイオレットPA10で再開した。このバイオレットPA10は、ワークス活動が休止中だった1978年シーズンから開発をしていた車両で、1979年のサファリラリーでの戦闘力は、すでに高いレベルで仕上がっていた。さらにドライバーは1972年東アフリカ・サファリラリーで優勝したS・メタという布陣。これで1979年サファリラリーを優勝した。以後のバイオレットとメタのコンビネーションは、サファリラリーで絶対的な力を発揮し1982年までの4連覇を果たす。
バイオレットPA10は多くの好成績を残したが、1982年からWRCの車両レギュレーションが従来のグループ4から、プロタイプ車両のようなマシンでも参戦できるグループBへと移行したため、日産は車両を240RS(シルビア)へ変更してWRCへの参戦を継続した。
240Z、バイオレットPA10の詳細な写真は
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