フィアット・X1/9
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。ぼくの人生初ミッドシップ体験「フィアット・X1/9」。
イラスト=waruta
世界初の量産ミドシップスポーツカーが、1972 年に登場したフィアットX1/9(エックスワンナイン)である。
FF小型車、フィアット128用の横置き1.3ℓ4気筒エンジンをギアボックスもろとも後方に移植して、後輪を駆動する。FFがいいか、FRがいいか、というのは昔から自動車専門誌的テーマの王道だが、こうすると手軽にミドシップカーがつくれるというのが、FF車のメリットでもあるわけだ。
タルガトップの2座ボディは、同時代にランチア・ストラトスも手がけたベルトーネの作。全長はいまのトヨタヴィッツより5cm短く、全高はホンダS660より1cm低い。1570mmの全幅は、軽以外の現代車ではあり得ない細身である。車重は880kg。そのコンパクトボディにミドシップの運動性を与えたのだから、ファン・トゥ・ドライブは運命づけられていたようなものだった。
フロントエンジンではとても実現不可能な低いボンネットの中は、意外や深さのたっぷりした広いトランクルームで、一枚ものの樹脂製ルーフがすっぽり収まるなど、実用性も考えられていた。
アメリカへも輸出されたX1/9は、フィアットが82年まで生産したあと、製造権を買い取ったベルトーネが自社で最終組み立てをして”ベルトーネX1/9″として販売した。最後は89年までの18年間にトータル約20万台のX1/9が送り出されたといわれる。
その1台を初めて運転したのは、自動車専門誌の新人編集記者だった79年である。78年のマイナーチェンジでフィアット・リトモ用の1.5ℓに換装された後期型だ。自転車を除くと、それが人生初のミドシップ体験でもあった(前輪と後輪のあいだにエンジン=人間を搭載する自転車は、まぎれもないミドシップである)。
細かいことは覚えていないが、首都高の直線路でハンドルを左右に細かく振ってみたら、なるほどいかにも重量マスがボディの中心にあるような独特の動き方をした。おお、これがミドシップか! と感動すると、俄然、ほしくなった。
当時の新車価格は240万円ほど。VWゴルフが200万円以下で買えた時代だから、新米サラリーマンには高嶺の花だったが、アメリカからの並行輸入ものだと少し安かった。知り合いの業者に頼んで、商談を進めた。
だがそのころ、「水没X1/9」という噂があった。アメリカ国内のどこかで洪水があり、保税倉庫に止めてあったたくさんのX1/9が水に浸かってしまった。そのクルマが密かに日本にも輸入され、販売されているというのである。
試乗できるクルマが関西方面から届くという日、連絡を待っていると、業者から電話が入った。なんと、途中でキャリアカーから落下してキズものになってしまったという。なんだそりゃ。水没疑惑問題もあり、これは縁がないとあきらめた。そんなホロ苦い思い出もあるX1/9なのだった。
文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)。