クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく

Cars

最終更新日:2018.06.25 公開日:2018.06.25

戦後のBMWの危機を救った「イセッタ300」(1960年式)

戦後のドイツを中心に、欧州で流行したバブルカー。 キャビンスクーター、マイクロカーなどと呼ばれたそれらの中でも人気を博し、BMWの救世主となったのが「イセッタ」シリーズだ。 「イセッタ300」を取り上げる。

タマゴ型のデザインがキュートなBMW「イセッタ300」1960(昭和35)年式。一見すると3輪に見えてしまうが、後輪のトレッドが狭いためで、れっきとした4輪車(イギリス向けに3輪仕様も製造された)。ただし、この狭さのためディファレンシャル・ギアを備えていない。「イセッタ300」は1955(昭和30)年に登場し、画像のMEGA WEBヒストリーガレージで所蔵する1台は1960年式。2018年6月16日・17日に開催されたヒストリックカー同乗試乗会で撮影。

 今でこそ、高級車メーカーとして成功しているBMWだが、創業当初から順風満帆というわけではなかった。経営危機に陥るほどかつては厳しい状況が続いたのだが、その救世主となったクルマをご存じだろうか? 「バブルカー」といわれる2人乗りの超小型車の代表的な1台である「イセッタ」。そのキュートさで今でも人気の1台だ。

 第1次大戦のさなか、1916(大正5)年にドイツ・バイエルン州ミュンヘンで誕生した、バイエルン発動機製造株式会社ことBMW。ドイツ語でBayerische Motoren Werke(英語ならBavarian Motor Work)の略が、BMWである。当初は航空機エンジンメーカーとしてスタートし、第1次大戦後には2輪車用エンジン、さらには2輪車そのものを製造するようになる(記事はこちら)。そして1928(昭和3)年から4輪車製造に乗り出した(記事はこちら)。

 しかし第2次大戦で母国ドイツが敗退したことで、BMWは大きな経営危機に瀕することになった。ドイツは戦後、戦勝国によって東西に二分され、旧・ソビエト連邦が管轄する東ドイツ領内にBMWの重要な工場のひとつが入ってしまったためである。

 西側に残った本社は企業として存続することを許されたものの、航空機、2輪車、4輪車、そしてそれらに搭載するエンジンなど、兵器につながる機器の開発や製造は、戦勝国によって一定期間禁止されてしまう。戦前に設計開発した2輪車や4輪車の設計図面や工作機械まですべてが没収されたそうで、一時は鍋や釜などの製造で糊口を凌いだという。

「イセッタ300」を側面から。シティコミューターとしてなら今でも十分活躍できると思われ、「イセッタ」のコンセプトを引き継いだ「マイクロリーノ」というEVを、スイスのマイクロ・モビリティ・システム社が手がけている(記事はこちら)。

→ 次ページ:
「イセッタ」がなかったらBMWは今ではなかった!?

窮地のBMWを救ったのはイタリア製バブルカー!

「イセッタ300」を前から。ナンバープレートは、MEGA WEBヒストリーガレージ所蔵の1台として、製造年や製造国などが記されている。「D35」はドイツの”D”、昭和35(1960)年の”35″。「5560」は1955年に発表され、この「イセッタ300」は1960年式であることを意味している。

 苦しい状況の中でもあきらめず、2輪・4輪メーカーとして返り咲いたBMW。そして、1950年代に入って取ったのが高級車路線だった。しかし、それが失敗してしまう。西ドイツはまだ敗戦国の混乱した状況を抜け出しておらず、高級車はまだ早すぎたのである。

 厳しい状況が続く中で迎えた1954年。BMWの4輪車開発部門のチーフを務めていたエベルハルト・ヴォルフは、スイスのジュネーブ・モーターショーで運命的な出会いを果たす。それが、イタリアのイソ社が展示していた、従来の4輪車の概念に当てはまらない斬新な「イセッタ」だったのである。

 2人乗りで、トランクもボンネットもなく、サイズは小型車のさらに半分程度しかなかったが、ヴォルフはこれこそが今の自分たちに必要なクルマであると直感。当時の社長であるクルト・ドナートにその考えを伝えると、ドナートもそれに同意し、早速イソにライセンス生産の話を持ち込む。

 すると、即座にライセンス生産を許可する返事をもらえたのである。というのも、イソはイソで「イセッタ」がその時点で販売が下降気味だったからだ。イソはイタリア国内で1953年から「イセッタ」を販売開始したのだが、最初こそ売れ行きは好調だったものの、すぐにフィアットから完全な4人乗り小型車である初代「500」(トポリーノ)が販売されたため、太刀打ちできなくなってしまっていたのである。そうした経緯もあり、イソは工作機械まで譲渡するという、BMW側にとっては願ってもない状態でライセンス生産を始められることになったのである。

「イセッタ300」を後方から。ナンバープレートの上に、荷物をくくりつけられるキャリアーを搭載したタイプもある。

→ 次ページ:
BMWは単にイソの「イセッタ」を生産したわけではなかった!

オリジナル要素を追加してBMW版「イセッタ」が誕生!

後輪の前、ボディ右側にあるエンジンカバーを外すと、排気量298cc、13馬力の4ストロークOHV単気筒エンジンが顔を見せる。エンジンカバーはカギを使って外す仕組みだ。

 ライセンス生産とはいっても、BMWはまったくそのままの生産はせず、BMW仕様のいくつかの改造を行った。まずはエンジン。後車軸の前に配置されていたイソ製の排気量240cc・2ストローク単気筒エンジン(最高出力9.5馬力)を、BMWは自社製に換装。2輪車に搭載していた排気量256ccの4ストローク単気筒OHVエンジン(最高出力12馬力)を強制空冷式に改造し、それを4段ギアボックスごと後車軸に平行な形でボディ右側に搭載した。

 車重が360kgしかなかったことから、12馬力でも十分に速度を出せ、最高速度は時速85kmに達した。燃費は100kmを走るのに5.5Lだったそうで、1L当たりに換算すると18.2km弱となる。思ったほど低燃費というわけではないのは、リアタイヤをチェーン駆動するという、フリクションロスの大きい機構なども影響していたに違いない。

 このほか、BMWが修正を施した部分としては、ウインカーの新設や、ヘッドランプの取り付け位置の変更がある。こうして、BMW「イセッタ250」は誕生した。あまりにもコンパクトで2人しか乗れないため、バブル”カー”ですらなく、居室のあるスクーターという意味で”キャビンスクーター”とも呼ばれた。

「イセッタ250」1955年(昭和30)式。ヘッドランプが固定型になっている。2016年7月に開催された、拠点「BMW GROUP Tokyo Bay」のオープニングイベントにて撮影。堺市ヒストリックカー・コレクションの1台で、オープニングイベントのために展示された。

「イセッタ」は、フロントドアを開けて乗り込む。ステアリングはフロントドアに固定されているため、ドアを開けると一緒に前に出てくる機構だ。シートはベンチシートで大人2人が座れる。男女で密着して乗れることから、「イセッタ」につけられたニックネームは「恋人たちの部屋」だったという。

→ 次ページ:
BMWの改良は実るのか? 「イセッタ250」の売れ行きは!?

BMWに久しぶりに明るいニュースが!

ステアリング周り。メーターはスピードメーターのみ。左に見えるのが4速マニュアルシフト。ステアリング中央部から下に伸びているように見えるバーは、サイドブレーキ。

 「イセッタ250」は1955(昭和30)年4月から生産が始まり、その年末までに1万台が世に送り出されたという。1台2580マルク(約17万6000円)だったそうだ。敗戦国として混乱の極みにあった西ドイツ(当時)国民にとって、2人乗りとはいえ「イセッタ」は手が届く価格の貴重な乗り物として、重宝されたのである。

 また、1956年にスエズ危機と、それに続くガソリン配給制などもあり、燃費最優先となったことから、欧州ではバブルカーやスモールカーが大いにもてはやされることになったという時代背景もあった(1950年代は、雨後の竹の子的にバブルカーが誕生した)。何はともあれ、この「イセッタ250」がヒットしたことで、BMWは息を継ぐことができたのである。

 さらにBMWはバブルカーで攻勢をかける作戦に出る。同年12月に、排気量を298cc(最高出力13馬力)にアップした「イセッタ300」を追加したのだ。

 さらにBMWは、1956(昭和31)年10月に「イセッタ250」と「イセッタ300」のマイナーチェンジを実施。リア・ウインドーやテール部分のデザインを変更し、それによって前後に長くなったサイド・ウインドーをスライド式に変更。車内の換気能力をアップさせた。ヘッドランプも独立型に改められている。今回撮影した「イセッタ300」は1960年式のため、このマイナーチェンジを受けたモデルである。

 また、別記事『【動画あり】2大バブルカーが激突!? BMW「イセッタ300」vsメッサー「KR175」。同乗試乗してみた結果は?』では、「KR175」と「イセッタ300」に同乗試乗した動画も用意。ぜひご覧いただきたい。

「イセッタ250」と「イセッタ300」は、1956年10月にマイナーチェンジを受け、サイド・ウインドーはスライド式となって、換気能力がアップ。ウインカーは、BMW版にしかないパーツ。

→ 次ページ:
そしてバブルカーの時代は終わりを告げる

バブルカー人気の終焉

「イセッタ300」の走行シーン。イソのライセンス生産であるが故、BMWのトレードマークがないのも「イセッタ」の特徴。そう、フロント中央部分にふたつ並ぶ”キドニー・グリル”がないのだ。

 発売と同時に人気を博した「イセッタ」だったが、バブルカーブームはそう長くは続かなかった。ドイツでは1950年代後半になると、敗戦国としての困窮から徐々に脱却していき、バブルカーではなく、最低4人が乗れるような”普通の”クルマが求められるようになっていく。欧州全体でもその流れとなり、各社のバブルカーたちは「イセッタ」ほどメジャーになれないうちに姿を消していった。

 「イセッタ」の2台も1957年をピークに徐々に販売数が落ちていき、1962年で販売を終了。最終的な販売台数は16万1728台だった。この後、BMWは念願の高級車路線で成功して現在に至る。

シフトノブとサイドブレーキ。シフトはHパターンで、画像の手前左がリバース。中央左が1速で右が2速、奥の左が3速で右が4速。

【イセッタ300・スペック】
全長×全幅×全高:2280(2355という資料あり)×1380×1300(1340という資料あり)mm
ホイールベース:1500mm
トレッド(前/後):1200/520mm
サスペンション
 前:独立懸架式デュボネ式/コイル
 後:固定式/4分の1だ円リーフ
ブレーキ:前後共にドラム
車両重量:340kg
乗車定員:2人(3人乗りもあったという)
ボディ構造:フレーム

【エンジン】
種類:空冷単気筒OHV
レイアウト:ミッドシップ
燃料噴射装置:キャブレター×1
排気量:298cc(資料によって、295、297ccなどまちまち)
最高出力:13ps/5200rpm
最大トルク:1.9kg-m/4600rpm
燃料タンク容量:13L
ミッション:4速MT

この記事をシェア

  

Campaign

応募はこちら!(10月31日まで)
応募はこちら!(10月31日まで)