クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく

クルマ最終更新日:2018.06.25 公開日:2018.06.25

3代目怪盗の愛車! フィアット「ヌォーヴァ 500D」(1962年式)

sn180621-01-01b.jpg

フィアット「ヌォーヴァ 500D」1962(昭和37)年式。「ヌォーヴァ 500」シリーズの中の1車種で、1960(昭和35)年に登場。イタリア語で500は「チンクエチェント」(5が”チンクエ”、100が”チェント”)といい、日本でもフィアット「500」シリーズを「チンクエチェント」と呼ぶことが多い。撮影した「ヌォーヴァ 500D」は、MEGA WEBヒストリーガレージ所蔵の1台。2018年6月16日・17日に開催されたヒストリックカー同乗試乗会で走った1台で、同イベントにて撮影した。

 洋の東西を問わず、小型車人気は普遍で、歴史に名を残す大ヒットをした名車は多い。フィアット「ヌォーヴァ 500」シリーズもそのひとつだろう。「ヌォーヴァ 500」シリーズは「500」としては2代目で、「新しい」を意味する「ヌォーヴァ」がつけられている。1957(昭和32)年から販売が始まり、マイナーチェンジを繰り返しつつ1975(昭和50)年まで18年間生産され続け、世界的な人気も博し、シリーズ累計で367万8000台という大ヒットとなった。

 スクーターのオーナーが乗り換えたくなる低価格でいて、実用的な4人乗りのコンパクトカー(当時は、マイクロカー、スモールカーという呼び方をした)として、本国イタリアではクルマを手にすることを考えていなかった大衆にも大いにアピール。あまりにもヒットしたため、同国では「ヌォーヴァ 500」しか走っていない、といわれたほどの時期もあったという。「ヌォーヴァ 500」シリーズは、現在では同国の戦後復興の象徴ともいわれているのである。

日本での人気も高い「チンクエチェント」!

 日本でも当時から人気が高く、フィアット「500」といったら、この2代目の「ヌォーヴァ 500」を指すことが一般的だ。また、そのコンパクトで丸みを持ったデザインがかわいいとして、女性からの支持も根強い。

 そして、国民的な知名度を誇るアニメ「ルパン三世」でも活躍しており、「ルパンの愛車」として知られる。「ルパン三世」は「ヌォーヴァ 500」の活躍などもあってイタリアでの人気がとても高く、日本国内では2015年に放送されたTVシリーズの通称「パートIV」は、イタリアで先行して放送されたほどである(もちろん、「パートIV」でも「ヌォーヴァ 500」が活躍) 。

sn180621-01-04.jpg

「ヌォーヴァ 500D」を側面から。ドアはヒンジが後ろにあることからわかるように、前開きだ。

sn180621-01-06.jpg

「ヌォーヴァ 500D」を後方から。どの角度から見ても、角の取れた丸みのあるデザインをしており、見る者を和ませる。

→ 次ページ:
そもそもフィアットってどんな自動車メーカー?

「ヌォーヴァ 500」シリーズを作った巨大企業フィアットとは?

sn180621-01-02.jpg

「ヌォーヴァ 500D」を正面から。フロントエンジンのように見えるが、ボンネットを開けると、中にはガソリンタンクやバッテリーがあるのみ。ボンネットの中は次ページで紹介。

 「ヌォーヴァ 500」シリーズは世界屈指のコンパクトカーだが、それを開発したフィアットは本国イタリアはもちろん、ヨーロッパを代表する巨大企業として知られる。その歴史は、1899(明治32)年7月にまで遡り、元々は「トリノ自動車製造会社」という車名だったが、その「Fabbrica Italiana Automobili Torino」を略して「FIAT」と名乗るようになった。

 フィアットはクルマの製造から始まり、現在では鉄道、船舶、航空機の製造、さらには建設、製鉄、通信、金融など、多方面に進出。日本では自動車メーカーのイメージが一般的だが、イタリアではしばしば産業界全体がフィアットに掌握されているといわれるほどである。

 自動車メーカーとしては、アルファロメオ、マセラティ、ランチアなど、イタリアの名だたる自動車メーカーを傘下に収めている(一時はフェラーリも傘下に収めており、独立した現在でもフィアットは大株主)。2014年には米クライスラーも完全子会社化(フィアット・クライスラー・オートモービルズが新設され、その傘下にフィアットとクライスラーが存在する)。現在では、世界で10本の指に入る大手自動車メーカーとなっているのである。

sn180621-01-03.jpg

フロントとリアのタイヤハウスの空間に差があるのは、リアエンジンのため、リアが沈んでいるから。

sn180621-01-05.jpg

「ヌォーヴァ 500D」を後方から。MEGA WEBヒストリーガレージ所蔵のヒストリックカーや旧車は、ナンバープレートを見ると、何年製かわかる仕組み(例外もある)。「ヌォーヴァ 500D」のように外国産の車種はちょっと変わったデザインのナンバープレートを採用しているものもある。「ヌォーヴァ 500D」の場合は、上列の「IF37」の”IF”はイタリア・フィアットを意味し、”37″は昭和37(1962)年を意味し、「5762」とは1957年に登場し、このクルマ自体は1962年式という意味。

→ 次ページ:
「ヌォーヴァ 500」の誕生の経緯

「ヌォーヴァ 500」は当初FFが予定されていた

sn180621-01-13.jpg

リアに縦置きで搭載された空冷の直列2気筒OHVエンジン。特にエンジンの名称はないようだ。「ヌォーヴァ 500D」は、18馬力とする資料もあるが、MEGA WEBの解説パネルなどでは22(21.5)馬力とされている。

 企業は巨大だが、クルマ作りに関しては大衆車を一貫して手がけており(スーパーカーも作ってはいる)、コンパクトカーも数多く手がけてきたフィアット。そんな当時のフィアットを支えたのが、歴史に名を残すデザイナー兼エンジニアの故・ダンテ・ジアコーザ(1905~1996)だ。”トポリーノ(ハツカネズミ)”という愛称で親しまれ、戦前に発表された初代「500」も彼の手によるものである。

 しかし、ジアコーザは第2次大戦が終わって新型車開発プロジェクトがスタートすると、「トポリーノ」で採用したFR駆動方式では、これからのコンパクトカーには相応しくないと考察。そこでFFを目指したのだが、当時の技術力では実現できず、「ヌォーヴァ 500」ではRRを採用することになる。

 この時、ジアコーザは同時に2つの新型車プロジェクトを進めており、先に完成したのが「600」で、1955年から販売を開始する。「600」も、全長3285×全幅1380×全高1345mmというコンパクトなサルーンで、これまたベストセラーとなったのだが、当時のイタリアの大衆はさらにコンパクトな車種を求めていることが判明。そこで、フィアットは「ヌォーヴァ 500」ではさらにコンパクトさを求めることを決断するのであった。

sn180621-01-14.jpg

ボンネットオープンの図。黒いパーツはガソリンタンク。ガソリンタンクがセンターではなく助手席側にオフセットされて配置されているのは、ドライバーがひとりで乗る場合の重量バランスを考慮したためと思われる。このほか、この角度では死角となる前端部にバッテリーがある。

→ 次ページ:
歴史に名を残す超コンパクトな名車が誕生!

全長3mを切る4人乗り超コンパクトカー誕生!

sn180621-01-15.jpg

3mを切るという非常に短い全長ながら、4人の大人が乗れるスペースがある。前列をフロントの車軸近くまで寄せることで、室内空間を確保している。

 フィアットは、「ヌォーヴァ 500」のボディサイズを、「600」よりもさらに小型化するという決断を下して開発をジアコーザに進めさせる。それで問題となったのが、当初検討していた4気筒エンジンでは重量とサイズの点から搭載できないということだった。そこで直列2気筒に計画を変更し、それもフィアット初の空冷とすることとなった。

 こうして、「ヌォーヴァ 500」は全長2970×全幅1320×全高1325mmというサイズのボディで誕生したのである。そこに、初代「トポリーノ」のエンジンよりも小さい排気量479ccの直列2気筒OHVエンジンを採用。ボディにはモノコック構造で作られており、ドアも2枚で軽量化を図った。その結果、車重はわずか470kgとなったのである。

 エンジンの最高出力は13馬力しかなかったが、それでも車重が軽いために最高速度は時速85kmを出せ、燃費も当時としては驚異的な22.2km/Lをマーク。街中を移動する普段の足とするには十分なスペックとなったのである。こうして、1957(昭和32)年夏に「ヌォーヴァ 500」は販売を開始した。

発売当初「ヌォーヴァ 500」は不人気だった!?

 「ヌォーヴァ 500」は、先に発売された「600」よりも10万リラ以上安価な価格で発売されたという。古い資料によれば46万5000リラだったそうで、当時の為替レートでおおよそ80万円だった。

 2人乗りバブルカー(キャビン・スクーター)も多い時代、大人4人が乗れて、日常的に利用するには最高速度や燃費も申し分なく、価格も手頃であったことから、発売と同時に大ヒットかと思われるかもしれない。しかし実際にはその逆で、発売当初は不人気だったそうである。そこでフィアットが打った手が、新グレードの設定だった。既存モデルを「エコノミー」グレードとし、わずか2万5000リラ高いだけの「スタンダード」グレードを追加設定したのである。

 スタンダードには、クローム・メッキのヘッドランプ・リム、サイド・モール、ハブ・キャップ、革張りシートを設定。そして、わずか2馬力ではあるが最高出力もアップされた。これにより「ヌォーヴァ 500」の人気に火がつき、クルマに縁のなかった多くの大衆も購入し、イタリア国内は同車であふれかえったほどだったという。イタリアのモータリゼーションが一気に加速し、同国の人々は「クルマに乗って遠出する」という新たなライフスタイルを手に入れたとまでいわれている。

sn180621-01-09.jpg

ステアリング周りとダッシュボード。スピードメーターのみでタコメーターはなく、ダッシュボードも金属製のシンプルな構造。助手席前にはグローブボックスもある。

→ 次ページ:
足かけ18年生産された

マイナーチェンジを繰り返して75年まで生産され続けた

sn180621-01-12.jpg

いくらコンパクトな空冷の直列2気筒とはいえ、エンジンは「ヌォーヴァ 500D」の中では重量のあるパーツである。リアに重心が寄っており、走り出すとさらにテール・スクワットし、フロントが浮き上がっているのがわかる。

 翌1958(昭和33)年には、高性能グレード「スポルト」が追加される。排気量はわずか20ccほど増えて499.5ccになり、吸排気系もチューニングが施された結果、最高出力はさらにアップし22馬力となった。これにより、最高速度は時速105kmまでアップしたのである。

 そして1960(昭和35)年のマイナーチェンジで登場したのが、今回撮影した「ヌォーヴァ 500D」だ。「スポルト」をベースとしているが、最高出力は18馬力まで落とされたという(この場合の最高速度は時速95kmだったとされる)。ただし、デチューンしていないとする資料もあり、MEGA WEBでも22馬力とパネルに記載していた。また、リア・シートのバックレストが折りたたみ式になったのも「ヌォーヴァ 500D」からだった。車重は若干増えて486kgとなっている。

 その後、「ヌォーヴァ 500」はマイナーチェンジを繰り返しながら生産を続け、販路もヨーロッパ全体に、さらに人気も世界的となっていった。1965(昭和40)年のマイナーチェンジでは、駆動系を強化し、フロント・ドアのヒンジを前に移して後ろ開きとした「ヌォーヴァ 500F」が登場。1968(昭和43)年(資料によっては1969年とも)には、「ヌォーヴァ 500F」の内外装デラックス版の「ヌォーヴァ500L」が登場。そして1972(昭和47)年に最終モデル「ヌォーヴァ 500R」が登場し、1975(昭和50)年まで生産され、「ヌォーヴァ 500」シリーズの生産は終了したのである。

 ちなみに2007年になって、32年ぶりに3代目「500」が登場し、現行車種として2018年現在もフィアットから販売されている。3代目は、「ヌォーヴァ 500」をモチーフにしているという。

sn180621-01-211.jpg

運転席を別角度から。キーが現代の日本車の感覚からすると、かなり助手席寄りの位置に差し込まれているのがわかる。助手席の前はグローブボックスになっている。ちなみに当時は日本仕様の右ハンドル車はなかったとされ、ヒストリーガレージ所属のベテランメカニックの方の話では、おそらくイギリス仕様だろうと推測している。

→ 次ページ:
諸元表から迫る「ヌォーヴァ 500D」

「ヌォーヴァ 500D」のスペック

sn180621-01-08.jpg

「ヌォーヴァ 500D」は折りたたみ式ルーフとなっており、「ルパン三世」の劇中でも、ここから登場人物たちが身体を出しているシーンをが幾度となく描かれた。

【スペック】
全長×全幅×全高:2970×1320×1325(資料によっては1298とも)mm
ホイールベース:1840mm
トレッド(前/後):1121/1135mm
サスペンション
 前:独立懸架式ウィッシュボーン/横置きリーフ
 後:独立懸架式セミ・トレーリングアーム/コイル
ブレーキ:前後共にドラム
車両重量:486kg
乗車定員:4人
ボディ構造:モノコック

【エンジン】
種類:空冷直列2気筒OHV
レイアウト:リア縦置き
燃料噴射装置:ウェーバー製キャブレター×1
排気量:499.5cc
最高出力:21.5ps/4400rpm(4800rpmという資料もある)
最大トルク:3.6kg-m/3500rpm
燃料タンク容量:21L
ミッション:4速MT

この記事をシェア

  

応募する

応募はこちら!(6月2日まで)
応募はこちら!(6月2日まで)