2017年11月25日に開催された、「2017 トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑」。トヨタ博物館所蔵のレアなクラシックカーが展示されたほか、一般オーナーも参加し、1925年から1987年までの100台強が集結。
クラシックカーは展示されただけでなく、神宮外苑から銀座までを往復するパレード走行に参加したり、聖徳記念絵画館前に設けられた「クラシック・カー・サーキット」でデモ走行を行ったりした。
戦前編に続いては、1950年代の外車を紹介する。最初は、世界的な人気を誇る「ミニ」の最初期のモデルと、バブルカーのBMW「600」だ。かわいい2台をピックアップ!
モーリス「ミニ・マイナー」(1959年式)。モーリスとは以前は独立したメーカーだったが、1952年以降はBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)のブランドのひとつとなる。同車を設計したのは、名匠として知られるアレック・イシゴニス。イシゴニスが天才だったのは、横置きエンジン、FF、2ボックススタイルといった現在でも採用されている小型車の要素を組み合わせたことである。
BMW「600」(1959年式)。同車のようなとてもコンパクトなクルマは”バブルカー”や”マイクロカー”などと呼ばれる(同車をバブルカーに含まないとする考え方もある)。BMWのバブルカーとしてはイセッタが有名だが、イセッタが2人乗りなのに対して、「BMW600」は4人乗りと実用性が高められている。
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モーリス「ミニ・マイナー」とBMW「600」の走行シーン。パレードに出発するときと、デモ走行用特設コース「クラシック・カー・サーキット」での走行を収録した。
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1950~53年のクルマたち
この後は、1950年から1959年まで、今回参加したクルマの年式順に紹介していく。まずは、1950年式オースチン「A90 アトランティック コンバーチブル」から、1953年式ビュイック「スーパー」までの4台だ。
国内ではレアなオースチン「A90 アトランティック コンバーチブル」(1950年式)。コンバーチブルとは、クローズドとオープンの2種類のスタイルに切り替えられる車種を指す。なお、オースチン・モーター・カンパニーは1905年に英国で設立され、1952年にナッシュフィールド・オーガニゼーションと合併して1ページ目で紹介したミニで知られるBMCとなる。
MG「ミジェット TD」(1951年式)。「Tタイプ」と呼ばれるシリーズの1台。英MGは大手モーリスのオーナーの個人的なスポーツ部門として1910年頃からスタート。そのため、MGは「モーリスガレージ」の略称とされる。なおMGは1935年にはモーリスに統合され、そのモーリスも最終的にはライバルのオースチンと合併してBMCとなった。
オースチン「A40 サマーセット クーペ」(1952年式)。「A90 アトランティック コンバーチブル」と同様に、丸みを帯びた優雅な曲線で高級感が漂う。なお、この時点でのオースチンは合併してBMCとなっているため、メーカー名ではなくブランド名。なお「A40サマーセット」は、BMCと技術提携を結んだ日産自動車が製造したオースチンブランドの1台でもある。
ビュイック「スーパー」(1953年式)。ビュイックは1903年の設立。米国の自動車メーカーの吸収合併では、ビュイックが中心となって、1908年にゼネラルモーターズ(GM)が立ち上げられた。ビュイックはGMの中でキャディラックに次ぐ高級車ブランドとして現代まで続いており、ブランドとして世界的にも古参の部類に入る。
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オースチン「A90 アトランティック コンバーチブル」(1950年式)、MG「TD」(1951年式)、オースチン「A40 サマーセット クーペ」(1952年式)、ビュイック「スーパー」(1953年式)の4台の走行の様子。
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1953~54年のクルマたち
続いては、1953年のメルセデス・ベンツ「170S」から、1954年のナッシュ「メトロポリタン」まで4台。ナッシュ「メトロポリタン」は一般オーナーの所有ではなく、トヨタ博物館の所蔵だ。
フロントグリル上端の”スリー・ポインテッド・スター”はメルセデス・ベンツの証。同社の戦後最初の主力モデルがこの「170S」(1953年式)だ。厳密にいうとメルセデス・ベンツとは自動車メーカーの社名ではなく、1800年代に創業した世界最古の自動車メーカーとされる2社が、1926年に合併して誕生したダイムラー・ベンツ(現ダイムラー)のブランドである。
MG「TF-1500」(1954年式)。前ページで紹介したMG「TD」と似たデザインなのは、同じ「Tタイプ」と呼ばれるシリーズの1台であるため。TタイプにはA~D、Fの5種類がある。さらに「TF」にはエンジンの排気量で2種類あり、「TF-1500」は排気量が1.5Lであることを意味する(通常のTFは1.2L)。
「ビートル」の愛称でお馴染みの、フォルクスワーゲン(VW)「タイプI コンバーチブル」(1954年式)。コンバーチブルとは、クローズドとオープンを切り替えられるモデルのことだ。「ビートル」は年式を選ばなければ中古車市場に数多く出回っているが、1950年代のものになると一般的なクローズドモデルでも少数となるため高額となる。さらに、このコンバーチブルモデルになると、まず見かけない。
トヨタ博物館が、乗車しての記念撮影ができる車両として展示した、ナッシュ「メトロポリタン」(1954年式)。同車は、米国初の小型車とされており、デザイン的には現代でも通じるものがある。この時点でナッシュは合併でアメリカン・モーターズとなっており、ナッシュはブランド名。残念なことに、現在はブランド名としても残っていない。
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メルセデス・ベンツ「170S」(1953年式)、MG「TF-1500」(1954年式)、フォルクスワーゲン「タイプI コンバーチブル」(1954年式)の3台が走行する様子。
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1956~58年のクルマたち
1950年代後半は、1956年式のシトロエン「トラクシオン アバン ライト 15」から、1958年のシボレー「コルベット」までの4台をまずは取り上げる。
シトロエン「トラクシオン・アバン ライト 15」(1956年式)。先進的な機構の開発、もしくは早期にそれらを採り入れてきた先鋭的なことで知られるシトロエン。「トラクシオン・アバン」シリーズもそうした先進性が評価されている1台。全輪駆動やモノコック構造などを早い時期に採用したことが特徴だ。
オースチン・ヒーレー「100-6」(1957年式)。オースチン・ヒーレーは、BMCのオースチン部門と自動車エンジニア兼デザイナーのドナルド・ヒーリーとの間で1952年に始まった合弁事業のスポーツカー・ブランドだ(オースチン・ヒーリーともいわれる)。「100」シリーズは最初に同ブランドでリリースされたスポーツカーで、「100-6」はその改良型の最終版。
MG「MGA」(1958年式)。ブランド名と車名が被っていてわかりくいが、車名は「MGA」である。同車は、1962年に登場する「MGB」と共に人気が高く、同ブランドを代表するスポーツカーとなっている。
GMのスポーツカーブランドとして、そしてモータースポーツ部門としても知られたシボレー。1954年から販売が始まった「コルベット」は同ブランドを代表する1台で、現代でも最新モデルの7代目が販売されている。今回のクルマは、初代「C1型」の1958年式。クロームパーツの輝きと迫力あるデザインがインパクトのある50’sアメリカン・スポーツカーだ。
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シトロエン「トラクシオン・アバン ライト 15」(1956年式)、オースチン・ヒーレー「100-6」(1957年式)、MG「MGA」(1958年式)、シボレー「コルベット」(1958年式)の走行する様子。
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1959年のクルマたち
1950年代編の最後は、1959年式の3台をお見せしよう。
オースチン・ヒーレー「100-6」(1959年式)。「100-6」の中にもいくつかの種類があり、1959年式なので、エンジンが強化されたモデルと推測される。一般オーナーだけでなく、クラシックカー専門店が参加することもあり、同車はクラシック・ガレージが出展した。
こちらはのシボレー「コルベット」初代C1型は1959年式。C1型は1954年から1962年まで生産された。前ページで紹介した1958年式もセパレート型のフロントバンパーやグリルなどのクロームパーツがまぶしいが、こちらはボディが黒なのでなおさらシルバーが引き立つ。
メルセデス・ベンツ「190SL」(1959年式)。当時、世界的に大変人気が高かった高級車「300SL」の廉価版的な位置づけで開発された。そのため、「300SL」を手に入れられない人たちが飛びついたという。現在、国内の中古車市場でも見かけるには見かけるが、価格がうなぎ上りということで、2000万円オーバー。
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オースチン・ヒーレー「100-6」(1959年式)、シボレー「コルベット」(1959年式)、メルセデス・ベンツ「190SL」(1959年式)の3台が走行する様子。
2017年12月12日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)