第12回 小さく白いお餅に思いを込めて ●湯もち
よく知られた観光地の中でも、温泉のあるところは誰もが好きで、のんびりリラックスしに行くには一番の場所です。温泉さえあれば季節は問わず、それに、いつも慌ただしく働き食事を作り、と暮らしている人にとっては、日常から解放されるゆったりした時間が何より。日本人だけでなく、日本を旅する外国の人たちも、慣れた人はローカルな温泉巡りをするそうですから、気楽に行きやすい箱根周辺は大人気です。
実は、私個人はそれほどの温泉好きではなく、昔修学旅行で東北に行ったとき、興味があるのは温泉よりも旅館の窓から見下ろす夕暮れ時の雰囲気でした。温泉の独特な匂いが風に乗り、浴衣に下駄の音、おしゃべりや笑い声に土産物屋の客引きの声。川の音。子供ながらに、訪れる人は皆ポカポカと顔を上気させてご機嫌な、独特な雰囲気の不思議なところだと思っていました。
今でも温泉を目指して旅行をすることはあまりないですが、久しぶりの箱根湯本は、なぜだか懐かしいような雰囲気に満ちています。目抜通りにはかまぼこにわさび漬け、梅干し、干物に温泉饅頭などのお土産を売る店が立ち並び、老若男女問わず、日帰りや温泉宿に泊まってゆっくりするために目指してきています。
この通りは東海道。小田原方面から来ると、早川に沿いながら箱根の山を越えて三島へ抜けていきます。賑やかな通りから狭い路地を抜けて一歩裏手に入ると、東海道と同じくくねくねと流れる早川に出ますが、このあたりは意外な散歩道という感じです。
ちょうど表通りに玄関がある旅館やホテルの裏手にあたり、川の景色を見ながら食事をするような作りになっているところも。川岸の階段を少し下り、お弁当を広げている家族もいます。
途中、小道を曲がって歩いていると、「これより東海道五十三次」とありました。日本橋を起点に品川宿が1番目とすると、箱根宿はちょうど10番目の宿場町です。”天下の難所”と呼ばれた旧東海道は、早川の少し南側。厳しい道中、休憩するのにうってつけの宿場町だったことでしょう。
箱根七湯とは箱根にある七か所の温泉のことを言い、湯本もその一つで、かつて温泉街の中心は、早川にかかる湯本橋を渡ったあたりだったとか。カーブする東海道を右に見ながら、小さな橋を渡った奥の一帯が、箱根湯本の湯場。源泉の湧くところです。吉池旅館の前庭で源泉に触れてみてはどうでしょう。宿それぞれにタイプが違うと言いますが、こちらは柔らかでシンプルなお湯でした。
「湯もち本舗 ちもと」
さて、源泉に触ってみた後は橋を渡って少し戻ります。もし、箱根が初めてという人がこの道を来たら、途中で気になる建物が目に入ったはず。橋の手前、左手にある少し古風な建物。そこが「湯もち本舗 ちもと」の国道店です。お菓子を買い求める人たちが、途切れることなく訪れています。
右手にあるもう一つの入口は、「茶のちもと」という、ちもとのお菓子にお茶を組み合わせて提供する茶房です。湯もちをはじめ、ちもとのお菓子をあれこれと試すには、とてもいい場所だと思います。
一口食べたらわかることって、お菓子にはたくさんあるのです。
この建物は、60周年を迎えた年に昔の形を変えずに建て替えたそう。暖簾をくぐって店内に入ると、白い制服を着た女性たちがテキパキと歯切れのいい対応をしながら次々と注文を受けていました。
長いことお菓子屋さんを観察していると、お店に入ったとき、どうしても気になってしまうことがあります。作っているお菓子を、作り手でなくてもどのくらい理解しているか、把握しているか。売り手が迷いのないプロだと、買おうという気が起きます。ほどよい勧め方であればなおさらのこと、お店を出るときの荷物にも差が出るというものです。いいお店かどうかは、人にかかっているのです。 そういう意味では、若い人もベテランも、自信(=確信)を持って対応しているに違いない販売員の人たちがいるちもとの居心地は心地よく、ほかにあまりない気がします。
「ちもと」のストーリー
実は、「ちもと」と名乗るお菓子屋さんはほかにも何軒かあります。暖簾分けやら親族で別に店を構えたりということなのかと思いきや、おそらくほとんど例のない「ちもと」のストーリーがあると知ったのは、当代の主人である、杉山隆寛さんにお話を伺って初めて知ったことです。
ここ箱根湯本のちもとで、一番知られたお菓子といえば 「湯もち」。柔らかな白い求肥の中に、小さな短冊に切り分けた羊羹が入っています。初めてこの湯もちを食べたとき、ほかの「ちもと」の求肥とまるで姉妹商品であるように思いました。
日暮里、銀座などを経て、現在は軽井沢に店を構える「ちもと総本店」の創業者、松本三冬は、優れた経営者、プロデューサーであったようです。職人に暖簾分けさせるのではなく、才覚のある小僧さんたちに職人をつけて独立させたというのですから、技術だけでない商売の感覚あってこそという、よく考えれば当たり前のような、でも気づきにくい方法を取って独立させていったわけです。
箱根湯本のちもともその中の一軒で、ちもと名物とも言える「ちもと餅」を古くからの温泉地、別荘地である箱根にふさわしい「湯もち」として考え出し作り続け、愛され続けて、あと数年で創業70年を迎えようとしています。杉山さんによれば、湯もちを考案したお祖父さんはとても洒落た感覚を持った方だったそうです。拍子木形の羊羹は、真っ白な求肥の中に見え隠れし、一つずつ違う景色がなんとも自然。その柔らかさと控えめさが、歴史ある温泉町を表すのに何ともふさわしいのです。
湯もちに入れる羊羹は、さいころ状だったり均等にしたりしても、あまり美味しくないと言います。求肥に小豆の風味を加える羊羹は、アクセントのように時々姿を現わすのがいい、ということでしょう。
もう一つ、特筆すべきは包装されたときの姿形。中のモノトーンとは対照的な艶やかさは、形容しがたいほど美しい。ちもとを訪ねた後、タイミングよく友人にお土産として手渡したところ、この意匠を初めて見たその人は、なかなか開けられなかったと言います。個々の包装、箱への詰め方、しおり、紙紐と紐のかけ方結び方、包装紙などなど、細かく見ていくと、良いお菓子屋さんには意匠の美しさという共通点があります。もちろん、上菓子から餅菓子に至るまで同様に。
「ちもと」というお菓子屋さんのさらに特筆すべきことは、同じ名前を持つ「ちもと同士」の繋がりです。創業者の、何事も行き過ぎないようにという考えが、どのちもとにも家訓のように根付いています。
秋になると、細身の栗蒸し羊羹の販売が始まるのですが、これは始めてまだ5年程度だそうで、そのときは、都立大のちもとのご主人が手ほどきしてくれたと言います。兄弟店と言ったらいいのでしょうか。お菓子作りの確固たるポリシーが、緩やかでそして独自の繋がりを作っているように思えました。
ちもとのラインナップ
ここで、ちもとのお菓子のラインナップをご紹介しましょう。湯もち以外のお菓子も初代の考案だそうで、大きさや食べ心地、味の構築まで、まさに「やり過ぎない」お菓子の数々。どれもシンプルで個性的です。
こしあんにたっぷりのきな粉のわらび餅、よもぎの入ったお餅をこしあんで包んだ草だんごは二粒、小さなドーナツのような黒糖風味の黒助、与五郎「忍」は刀の鍔(つば)を模(かたど)った、落花生と白ごまの生地でつぶしあんを挟んだという手の込んだもの。四角い結び文初花は、中は白あん、皮に刻んだくるみが入っている焼き菓子。小さな鈴を三つ紐で結んだ八里は、この可愛らしい最中も、初代の頃から作り続けているお菓子だそうです。
このほかに秋の栗蒸し羊かん、週末のちもとまんじゅうや上生菓子など、どれも味よく姿よく、のお菓子ばかり。
「仲のいい湯本の町の人たちに育てられたようなもの」と言う杉山さんですが、ちもとのお菓子の存在が、今ではこの町に欠かせないものになっている気がします。橋を渡った温泉街にあったちもとの本店は、建て替えが終わる来年の秋に再オープンするそう。対面販売に重きを置くということです。
湯もちとその仲間のお菓子を買いに、箱根旅行はいかがでしょうか。温泉はもちろんのこと、お菓子を旅の目的にするのも良いものですよ。
●御菓子司ちもと
神奈川県箱根町湯本690 ℡0460-85-5632
【営】9:00~17:00【休】元日および年に数日程度
湯もち1個 216円(税込)
写真・文○長尾智子
料理家。雑誌連載や料理企画、単行本、食品や器の商品開発など、多方面に活動。和菓子のシンプルさに惹かれ、探訪を続けている。『食べ方帖』ほか著書多数。