皆の衆10(6月号) 出雲国のお話
全国各地の「ニッポンの皆の衆」の物語。第10回は、島根県の奥出雲が舞台だ。
山陰地方は、因幡国、伯耆国、出雲国の三国等にまたがる日本海沿いのエリアである。ここは古代日本の精神的支柱だ。松江に居を構えていたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、この地域に漂う「霊的魅力」に魅せられ、数々の著作を残した。
神様の集まる場所、神話の地、出雲大社周辺は、いまや国際的な観光エリアだ。その山陰の山深い土地、奥出雲には、ふらりと訪れる観光だけでは伝えきれない、ものづくりの底力がある。
「奥出雲、幻のたたら侍」
奥出雲に伝わる、名刀を生み出す天下無双の「鉄」。それを追い求め、若者が旅に出る。人はそれを「たたら侍」と呼んだ。 いま島根県が、某人気男性アイドルグループの主演映画を絡めた観光キャンペーンの真っ最中である。 当代きってのイケメン集団と出雲。そうきたか。それが実態に合うのか合わないのか。そんなことを考えながら、奥出雲に来た。 山間部へとクルマを走らせ、車窓から、出雲という名にふさわしい、ふわふわした雲海を眺める。
鉄をつくる。それは案外あいまいな知識だ。化学的に複雑な工程があり、大きな設備を必要とするというのは、なんとなくわかっている。また、日本は資源のない国で、鉄をつくる技術はあるが、鉄の原料は輸入に頼っていると学校で習った。だが、日本にも独自の方式で、「玉鋼」(たまはがね)と呼ばれる鉄をつくりだす技術が存在する。それが、奥出雲の「たたら製鉄」である。
大量の木炭、砂鉄を原料に、泥で組み上げた「炉」にふいごで空気を送り込みながら、灼熱の現場で、男たちは三日以上にわたって、鉄を作り続ける。
体力だけではない。手間や目配りや忍耐を必要とする過酷な作業だ。屈強というイメージばかりではない。玉鋼が作り出す日本刀のようなしなやかさと感性を持った男たちの姿。そんなイケメン「たたら男」のイメージを後押ししようとしているのが、前述のキャンペーンなのかもしれない。 奥出雲の田園地帯に降り立つと、なんとなくだが、そこがかつて製鉄に関連していた場所だということが伝わってくる。
製鉄は、土砂から砂鉄を採取するところから始まる。
山から縦横無尽に流れてくる河川。ときには猛威を振るう川の流れを平地に誘導しながら、砂鉄を採取するための自然の「装置」を作っていく。 川側の山肌を少しずつ削りながら、調整した緩やかな水の流れのなかで、川底に砂鉄だけを沈殿させていく。それは「工夫」と細かい「手入れ」を必要とする繊細な作業だ。 自然は容赦ない。ときに荒くれ、すべての人々の「工夫」を流し去ってしまう。そんな川の変化(へんげ)が、神話の世界の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を生んだと言われる。
「スサノオノミコトは、出雲国の川上へと降り立った。すると、老夫婦がきれいな少女を間にして泣いていた。理由を尋ねると、老夫婦にはもともと八人の娘がいたが、毎年一人ずつ八岐大蛇に食べられてしまい、この末娘・奇稲田姫(クシイナダヒメ)だけになってしまった。そして、残った奇稲田姫ももうじき食べられてしまうという。
スサノオノミコトは、『八岐大蛇を退治する代わりに奇稲田姫を嫁に欲しい』と申し出た。
やがて、八岐大蛇が現れた。頭と尾はそれぞれ八つずつあり、眼は赤い鬼灯(ほおずき)のようであった。大蛇はスサノオノミコトの用意した酒を飲み、酔って眠ってしまった。そこで、スサノオノミコトは剣を拔いて、八岐大蛇を斬った。尾を割り裂いて見ると、中にひとふりの剣があった。これが「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」だ。スサノオノミコトはこの剣を天神に献上した」。(『日本書紀』) これが、八岐大蛇に立ち向かったスサノオノミコトの神話である。
奥出雲の人々は、自然と闘い、そしてなだめすかすように鉄を作った。砂鉄を供給する「山」、それを運び、濾す「川」、木炭(還元剤)として鉄づくりに欠かせない「木」、器となる「泥」、そして、すべてを焚き付けるふいごからの「風」。そのすべての結晶が玉鋼なのである。 奥出雲で採れた玉鋼は、安来や松江などの鉄問屋に集められ、全国の鍛冶場へと運ばれる。
名工や名刀は日本全国に存在するが、日本古来の鉄づくりの達人は、やはり、ここ奥出雲にしかいないのだ。
「小泉八雲と錦織圭」
松江は島根半島、宍道湖(しんじこ)、中海(なかうみ)などに囲まれた美しい水の街だ。松江城を取り囲む「堀川めぐり」は観光客にも人気で、古くから文化人などの多くが集った。やや日本の中心地としての役割は減ったけれど、歴史や知性を感じる、なんとも雰囲気のあるエリアだ。
川魚やしじみなどの宍道湖の七珍味も繊細でおいしい。「鯉の糸切りの魚卵あえ」などは、おすすめの地元料理だ。
この地を愛したのが、前出のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)である。
ギリシャ系のイギリス人。アメリカで新聞記者として活躍していた彼は、以前より憧れを抱いていた日本に来ることを決意し、ここ松江に英語教師として赴任した。
筆まめの凝り性、几帳面な性格で、美しいもの、神秘的なもの、怪奇なものなど、自分の好きなものは徹底的に研究するという風変わりな男であった。
ものの本によれば、彼の背はあまり大きくなく、猫背で、不自由であった片眼をすり寄せるようにして本を読む、神経質な「やさ男」風であった、とある。
もちろん、彼はのちに「知の巨人」としての名声を確固たるものとする。だが、後年、山田太一脚本でドラマ化された『日本の面影』(岩波書店)に描かれた人物像や、街の記念館に掲げられた肖像写真などから、その思慮深く繊細で、合理に屈しない、強靭だけれど、また同時にしなやかさを兼ね備えた、そんな横顔を覗かせている。
一見「かたち」のない神秘の世界が、確固たる「かたち」を生み出す。
奥出雲で生み出したものは、硬くたくましい「鉄」であり、また、松江でハーンによって生み出されたのは、怪談(『耳なし芳一』など)をはじめとする名作の数々だった。
しかし、ハーンはどこまでも豪快じゃない。
山陰地方、そして松江を愛したハーンだが、その冬の寒さに耐えられず、思い入れには相反して、わずか数年でこの地を去っている。
「(日本に帰ってゆっくりできたら)のどぐろ(島根名産の魚)を食べたい」と言ったのは、世界的テニスプレイヤーの錦織圭だ。アスリートらしからぬ一見やさ男風の彼もまた、松江の出身だ。
堂々たる戦績の錦織だが、辛口の評論家たちに時折メンタルの弱さを指摘されることもある。
豪快ではない。ただ、それだけのこと。しなやかな感性と創意工夫に満ちた精神を持つ男は、八つの頭を持つ大蛇でさえ打ち倒す。これが、出雲の男であり、出雲の底力である。
「出雲国・島根の「皆の衆的」見どころ 1」
PHOTO BY KENICHIRO NAKAMARU
「出雲国・島根の「皆の衆的」見どころ 2」
PHOTO BY KENICHIRO NAKAMARU