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公開日:2026.04.03

首都高「羽田トンネル」更新事業がスタート! 3車線の「高架橋」誕生で混雑緩和も「珍風景」は消滅へ【いま気になる道路計画】

首都高1号羽田線の羽田トンネル

東京~横浜を結ぶ大動脈、首都高速 1号羽田線の「羽田トンネル」では、開通から約60年が経過し老朽化が進んだことを受け、更新事業が進められている。本事業では、通行ルートの変更など大きなトピックも予定されている。その概要やメリット、進捗を見ていこう。

首都高1号羽田線の羽田トンネル

文=鳥羽しめじ

資料=首都高速道路、国土交通省

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東京~横浜の大動脈に新たな大更新プロジェクト

首都高1号羽田線の羽田トンネル

首都高1号羽田線の羽田トンネル

首都高速 1号羽田線は、都心環状線から南へ分岐し、羽田空港西側へと向かう路線だ。そのまま横羽線として横浜市街へつながり、京浜間を結ぶ大動脈となっている。

湾岸線と異なり都心へ直結するルートであるため、現在も交通需要は大きい。特に湾岸線方面からの交通が流入する「昭和島JCT」は、激しい渋滞が発生するポイントのひとつだ。

この羽田線では、京浜運河区間において長期間にわたるリニューアル工事が進められており、現在は大詰めの段階に入っている。

一方で、新たに「羽田トンネル」付近の更新事業もスタートした。工事に伴い、通行ルートも大きく変化する計画となっている。

羽田トンネル更新事業の概要

羽田トンネル更新事業の概要

羽田トンネルは昭和島JCTの南側に位置し、陸側から海老取川をくぐって空港島へと至る。1964年に開通した、首都高速の黎明期を象徴する日本初の水底トンネルだ。

それから約60年が経過し、老朽化は深刻な状況となっている。主に海水に含まれる塩分による鉄筋腐食が進行し、特にひどいのが天井部分にあたる「中床版」と呼ばれる部材。ここでは、鉄筋の錆びによる膨張でコンクリートがはく離したり、鉄筋の一部が消失したりしている報告もある。

こうした状況を受け、今回のプロジェクトでは、中床版の全面的な作り替えをはじめ、抜本的に補修・再構築する方針がとられている。

現在、羽田トンネルは上下線が別に構成されており、工事中はどちらか一方を長期間の通行規制にする必要がある。ドライバーへの影響が懸念されるが、これに対応するために大胆な手法が採用されている。

羽田トンネルに並行して「新たな高架橋」建設へ

羽田トンネル更新事業の概要

羽田トンネル更新事業の概要

首都高速が決定した更新案は、上り線(東京方面)を「トンネルではなく高架橋で河川を越える」構造へ転換するというものだ。

工事に先立ち、新たな高架ルートを整備し、それを迂回路として活用。そのうえで下り線トンネル、上り線トンネルを順次通行止めとし、段階的に更新を進めていく。

更新事業の完了後は、上り線はそのまま高架線として運用され、既存の2本の羽田トンネルは再編される。一方は「下り本線」、もう一方を「下り羽田西出口ランプ+避難通路」として活用される計画だ。

この結果、東京方面は高架、横浜方面はトンネルという、上下線で構造の異なる変則的な河川横断が実現することになる。

この事業の最大のポイントは、「羽田トンネル区間の容量増加」にある。

上り線は3車線の高架線として新設、下り線は本線こそ2車線のままだが、これまでトンネルの先にあった「羽田西出口」をトンネル手前の分岐に移設。これにより1車線分の交通分散が可能となり、1日に約10万台が通行する区間において、混雑緩和効果が期待される。

羽田トンネル更新事業の進捗は、2022年に橋梁ルート化の方針が明らかになり、2025年12月に事業認可を取得。まさに正式スタートしたばかりの段階だ。完成は2038年度の予定。今後はまず、地上に新たな高架橋が姿を現わし、その完成後に交通切り替えが行われる見込みとなっている。

まだ時間はかかるものの、将来的には東京方面へ向かう車窓風景は、がらりと変わることになりそうだ。

たった8年だけ使われた「幻のルート」羽田可動橋

1990年から8年間使われた「羽田可動橋」。羽田西入口のランプを延伸するために作られた

1990年から8年間使われた「羽田可動橋」。羽田西入口のランプを延伸するために作られた

トンネル主体の構造から高架ルートへと転換する斬新な計画。その発想の背景にあるのが使用停止後も存置されていた「羽田可動橋」の存在だ。

羽田可動橋は1990年に開通。当時は並行する湾岸線が未完成で、京浜間の交通容量はひっ迫していた。なかでも深刻だったのが羽田トンネルで、トンネル出口付近の上り勾配による速度低下を起点に、慢性的な渋滞が発生していた。

その羽田トンネルの渋滞対策として、上り線の羽田西入口を川の対岸側で合流させるために整備されたのが羽田可動橋だった。

海老取川には大型船が航行するため、高速道路としては異例となる「可動橋」が採用された。船の通過時には橋桁を回転させて開放する構造で、2本の橋桁が回転し、最大約40mの航行スペースが確保される仕組みだったという。休日は朝から夕方まで開放状態とされ、さらに週2日程度の臨時稼働も行われていたという。

可動橋が採用された背景には「緊急の渋滞対策」として早期完成が求められていた事情に加え、空港周辺の高さ制限により大規模な高架橋を設けられなかった点がある。結果としてシンプルかつ最小限の設計となり、1989年4月に本格着工からわずか1年という早さで開通に至った。結果として、ピーク時の渋滞長は最大で約5割減少するなど、一定の効果を上げたとされる。

しかし、この可動橋は1998年に役目を終え、羽田西入口はトンネル手前で本線に合流する従来の形へ戻された。それでも現在も、回転したままの橋桁と橋脚は川面に残り、独特の景観を今に伝えている。

そんな「平成初期の遺構」も、今回の羽田トンネル更新による新たな高架橋の建設によって、いずれ姿を消す見通しだ。工事が本格化する前に、かつての首都高の記憶を目に焼き付けておきたい。

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