あだ名はテントウムシ! スバル360
スバル(当時は富士重工業)初4輪車にして初軽自動車で大ヒットした「スバル360(K-111型)」。「K-111型」とは、最初期の量産車60台を指す。
8月4~6日に幕張メッセで開催された、国内外のヒストリックカーや旧車の展示・即売会『AUTOMOBILE COUNCIL(オートモビルカウンシル)2017』。
国内外の自動車メーカーも複数出展し、スバルもその中のひとつだ。スバルが展示した往年の名車の「スバル360」と「スバル1000」の内、スバル360を紹介しよう。
初初ずくしのヒット作!
愛称がテントウムシであるのも納得できる、かわいらしいフロントビュー。このデザインで最新技術のEV車を出せば、ヒットしそうな気もするが復活はないものだろうか? 旧車として保存しておくのみなのは(現在も走っているクルマもあるが)何とももったいない優れたデザイン。
1955(昭和30)年、経済産業省(当時は通商産業省)が「国民車構想」を発表。スバルはそれに応じる形で、4輪車業界に本格参入することになる(1954年に開発した6人乗りの小型試作車「スバル1500」、試作時の呼称「P-1」が同社初の4輪車で、そこで培われた技術はこのスバル360に大いに活かされた)。そして1958(昭和33)年3月に発表され、同年5月から販売がスタートするのである。
スバル360は、市販した4輪乗用車として同社初のクルマでありながら大ヒット。クルマがまだ「金持ちのもの」という時代だった1950~60年代当時に一般市民が所有できる「大衆車」や「マイカー」という概念を大いに広めることにもなった。
また、当時の農作業用以外の3輪および4輪の軽自動車規格(全長3m以下・全幅1.3m以下・全高2.0m以下・排気量360cc以下※)を満たした初のヒット車でもある。まさに時代を変革させた1台である。
※現在の軽自動車規格は全長3.4m以下・全幅1.48m以下・全高2.0m以下・排気量660cc以下
コードネーム「K-10」として開発がスタート!
コードネーム「K-10」として開発が始まったスバル360。フロントバンパーが左右分割型なのは1959年式までで、それ以降は一体型となる。フロントエンジンのように見えるが、リアマウントのRR方式。
スバル360は、スバルの伊勢崎製作所(群馬県)において「4輪車計画懇談会」の開催をもって開発がスタートする。同懇談会で軽自動車の生産を公式テーマとして検討することになり、スバル360はコードネーム「K-10」として、伊勢崎製作所で開発が進められていく。
スバル360は、大人が4人乗車可能で、路線バスの通れる道はすべて走行可能(当時は未舗装路が非常に多かった)、というコンセプトの基に1955年12月に開発が始まった。さらに、車体の軽量化、生産の簡易さ、快適な乗り心地の実現、軽量で高出力のエンジンなども課題として掲げられた。
まず軽量でいて強度のあるボディを実現するために採用されたのが、前身が航空機メーカーならではの「モノコックボディ」。モノコック構造とはフレームを持たず、外板に強度や剛性を持たせる(応力を受け持たせる)構造のことで、応力外皮構造ともいう。今でこそ乗用車で当たり前の技術だが、スバルが最初にフレームレスのリアエンジン式バスで同技術を実現し、その技術を試作車「スバル1500」を経由して、スバル360に応用したことが最初である。ちなみに、「モノ」とは「単一の」という意味で、「コック」は殻を意味する。
また軽量化に関しては、当時としてはやはり画期的だった樹脂製ルーフを採用したことも一役買っている。その結果、車重は385kgを達成した。
斜め後ろから。後方から見ても愛嬌のあるデザイン。デザインは、インダストリアルデザイナーの佐々木達三氏を中心に、設計や生産のエンジニア、社内デザイナーが一緒になって伊勢崎工場の片隅で着々と進められていったという。
サスもエンジンも開発は困難を極めた
スバル360は車体がかなり浮き上がって見えるが、これは人が乗車すると沈んでちょうど車高が適正になるものと思われる。
乗り心地に関しては、当時の軽自動車を含む小型車ではあり得なかった4輪独立式のサスペンションを開発して目標を達成。また車内スペースを確保する目的もあって、トーションバーが採用された。軽規格の車両に4輪独立式のサスペンションを搭載するには当初、困難を極めたという。
そして軽量かつ高出力のエンジンも開発が難航。しかしテストの最大目標であった、「全長14km・平均勾配13度・グラベル(砂利の未舗装路)」という赤城山・新坂平(しんさかだいら)を全力登坂することに成功。空冷式の直列2気筒(2ストローク)356ccの「TB-50型」エンジン(量産に際して「EK31型」と改称)は国土交通省(当時は運輸省)の認定テストでは、当時としては高出力の16.7馬力を達成した。また、燃費もリッター26kmを実現している。最高速度は時速83kmをマークした。
360ccのエンジンでこれだけの性能を発揮したのは、フレームを廃したことで軽量化を実現でき、かつ強度・剛性も十分あったことが大きい。360ccながら1000ccに匹敵する走りだったという。
開発陣の奮闘によって、こうしてスバル360は、計画開始から1年3か月というスピードで試作1号車の完成までこぎつけたのであった(試作車は5台作られた)。
リアビュー。どこから見ても味わいのあるデザイン。スバル360のデザインは「時代を超越する」ことも目標だったそうで、それを達成したといえるだろう。ミニやフィアット500といった世界の名だたる小型車とも比肩しうるデザインではないだろうか。
スバル360は12年間で39万台以上を生産!
右からのサイドビュー。このデザインは、まず木型を芯にして粘土を盛りつけて1/5サイズのクレイモデルを作ってさまざまな検討が行われ、その後に実寸大のクレイモデルを作成し、検討。それらの作業は、伊勢崎工場の裸電球の下で繰り返された。
K-111型は「58年増加試作型」とも呼ばれ、60台が生産された。その内の10台が社内用として残され、50台が1958年5月から6月にかけて販売された。車体番号は1006~1065。なお、1001~1005は試作型。車体にK-111と打刻されているが、社内では開発コードネームのまま「K-10型」として呼ばれているという。
軽自動車でのシェアは一時期40%を超えた
スバル360はデビュー後、マイナーチェンジは何度も行われたが(年式は27種類ある)、モデルチェンジが行われることはなかった。1970(昭和45)年5月まで12年間にわたって生産され、累計生産総数は39万台を突破。また販売台数は、全年式累計で33万4500台強となっている。シェアは1966(昭和41)年には、5社が軽自動車を販売している中、40.6%に達したという。なお、車両価格は最終的に36.5万円となった。
後継モデルは、発表当初は姉妹車ともいわれた「R-2」(後の「R2」は別車種)。その後、スバル360の系譜の軽自動車は「レックス」、「ヴィヴィオ」、「プレオ」、そして「ステラ」まで続く。ただし、現在はスバルは軽自動車の開発を行っていないため、現行車種の2代目ステラはムーブ(ダイハツ)のOEM車となっており、スバルの技術が投入されたスバル360の正当な後継車種は、実際のところもう存在しない。
スバルとは、漢字で「昴」、冬の星座のおうし座の一角にある散開星団「プレアデス星団」のこと。エンブレムの6つの星は富士重工業が設立される際、財閥解体で分社化されていた中島飛行機系の企業が結集したことを表している。エンブレムのコンセプトは長年変わらないが、デザインは現代までに幾度も変更されている。
スバル360(K-111型)のスペック
全長×全幅×全高:2990×1300×1380mm
重量:385kg
エンジン型式:EK31型
エンジン種類:空冷直列2気筒2ストローク
排気量:356cc
最高出力:12.3kW(16.7ps)/4500rpm
最大トルク:29.4N・m(3.0kg-m)/3000rpm
サスペンション:
(フロント)トレーリングアーム式独立懸架
(リア)スイングアクスル式独立懸架
2017年8月29日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)