2022年03月31日 06:00 掲載
交通安全・防災 【再掲記事】飯館村ワンニャン給餌ボランティア|東日本大震災、震災後の記事を振り返る
本記事は2014年2月に「メイトパーク」(「くるくら」の元サイト)に掲載した内容の再掲です。現状を伝える記事ではありませんのでご注意ください。
犬は、人の姿を見ると飛び出してくることが多いが、このワンちゃんは怯えているのか竹藪に隠れた。
被災地に残された命をつなぐボランティア
東日本大震災に端を発した福島第一原発の事故後、原発から20余kmに位置する福島県飯館村は計画的避難区域に指定され、全村民が村外へ避難しなければならなくなった。そして、避難期限の1か月後、住民がいなくなった村に残されたのは飼い犬と飼い猫だった。もちろん、残したくて残したわけではない。同村の避難先は動物の飼育が禁止のため、やむなく残すしかなかったのである。飼い主にとって、それがどれくらい辛いことであったかは、想像に難くない。
最初の1年間で、命を落とした動物たちは少なくなかったようだ。日中の帰宅は許されているが、高齢化が進んでいることもあり、すべての飼い主が毎日食料をやりに帰村できるわけではない。せめて飢えないよう、飼い主は大量の食料を置いていくが、自然豊かな同村はたぬきや猿、野鳥など野生の動物も多く、食べられてしまうことも多い。住民がいなくなったことで、野生の動物たちもまた飢えて食べ物を探しているのだ。冬の寒さも厳しい。氷点下になると、水が氷って飲むことさえできなくなる。この地域の多くの犬は、番犬として外飼いに慣らされているとはいえ、それでも厳しい環境。まして体力で劣る飼い猫には、単独では生きていくのが難しい状況と言える。
食べ物を置いてしばらく隠れていたら子猫が顔をだした。犬と違って猫はなかなか姿を現さない。給餌作業中に出てくれば、美味しいウェットフードを食べることができるのだが......。
人なつっこいだけに、孤独な環境におかれた犬の寂しさは相当らしい。日比さんが顔を出すと、よろこぶ、よろこぶ。
それでも、動物たちの多くは、今も頑張って生き続けている。その命をつないでいるのが給餌ボランティアの人たちだ。「僕らが行くことで、助けられる命があるんです」と言うのは、福島県郡山市に住む給餌ボランティアの日比輝雄さん。日比さんは、食料や水、清掃道具などを車に満載し、ときには一人で、ときには奥さまの優子さんと一緒に、ほぼ毎日飯館村に通い続けている。往復の走行距離は200kmを越えるといい、この長距離の運転が何よりも大変だそうだ。
給餌ボランティアとして日比さんが行うのは、村内に残された飼い犬、飼い猫を訪れ食料と水を補給し、健康状態を確認し、時には散歩をさせて、必要であれば小屋周りの掃除を行うことだ。また、これ以上、不幸な動物たちを増やさないよう去勢・避妊処置も手伝う。猫の通り道などに捕獲用の網を置いておき、処置の終わっていない猫がかかると獣医師のもとへつれていき、翌日同じ場所に放す。さらに、帰村中の住民の人と会えば、ボランティア作業の承諾をもらったり、最近の犬や猫たちの様子を伝えて情報交換を行う。村の人たちとのコミュニケーションは、このボランティアに欠かせない仕事のひとつだ。ちなみに、住民の人に不在時の給餌活動の承諾を訪ねると、ほぼ全ての人が快く承諾してくれるという。
毎日は来られないので、ドライフードを大量においていく。野生のたぬきや猿、ねずみなどが狙うので、いろいろ工夫はしているものの、それでも食べられるという。
犬を、複数飼っている家もある。ひとりぼっちよりは良いかもしれない。
避妊/去勢手術につれて行くためには猫を捕まえる必要がある。そのための捕獲器。なかなか捕まらない猫もいるが、避妊/去勢は徹底しないと意味がない。
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交通安全・防災