2021年09月13日 15:40 掲載
交通安全・防災
道路標識は縦書だった!
明治から何度も改正された道路標識の歴史
最初のデザインは縦書きだった
1962~3年の兵庫県西宮市西宮神社付近の国道43号にあった最高速度の道路標識(写真右)。樹木で半分隠れているが、現在のような丸い形ではなく、長方形で小ぶりだ 写真=にしのみやオープンデータサイト/にしのみやデジタル・アーカイブ (https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=12685)
日本で自動車が公道を初走行したのは、1898年(明治31)1月の築地から上野だった。その翌年6月に警視庁が東京府の道路に関する制札の様式を統一する「制札制文例」を通達。これを道路標識のルーツと国土交通省はしている。制札とは、禁令・法規を箇条書きに記して道路などに立てていた札のことで、明治時代は様式(デザイン)が官公署や道府県ごとでまちまちだったが、1899年には、白地に縦書きの黒文字で表記することが定められ、通行止めなどの8種の制札が登場した。
1898年に制定された道路標識のルーツとされる縦書きの制札 出典=国土交通省資料
その後、自動車と道路に関する法整備が進められ、1919年(大正8)に「自動車取締法」と「道路法」などの法律が次々と制定。そして1922年(大正11)11月に「道路警戒標及道路方向標に関する件」が内務省から発令される。この省令で道路名や方面、方向、距離などが表示されている「道路方向標」の様式が定められた。これは現在の案内標識に当たる。その様式は四角い看板に、白地に横書きの黒文字で矢印と地名で案内するものとなっていた。
同時に現在の警戒標識に相当する「道路警戒標」も登場。こちらは赤い枠で縁取られた白い三角形の標識があり、その下に白地に黒文字で「学校あり」「右カーブあり」などを文字や記号で記した長方形の標識が配置されるもので、文字は横書きだが現在と逆の右から左へと読む表記だった。
1922年に定められた道路標識の一部 出典=キネティック「道路標識の歴史(変遷)」
両者が画期的だったのは、初めて様式を全国で統一したことだ。大正時代の後期になって、日本の道路標識は現在の様式の始祖と呼べるものが登場した。
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