2021年07月22日 15:30 掲載
交通安全・防災 前の東京オリンピックの頃、横断歩道はチェッカーだった!横断歩道の歴史
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道路横断歩道が法制化される前のデザインは?
1962、3年ころの第二阪神国道(国道43号)の兵庫県西宮市社家町付近にあったチェッカー型の横断歩道 写真=にしのみやオープンデータサイト/にしのみやデジタル・アーカイブ (https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=12686)
横断歩道の歴史を辿ると、1920年(大正9)の東京まで遡ることになる。大正時代に設置された横断歩道の始祖とも呼べる存在は「電車路線横断線」という名称だった。当時、道路を走る主役は自動車ではなく路面電車だったため、線路上を歩行者が横切る場所として設けられていた。そのデザインは側線のみのシンプルなものだった。電車路線横断線は、路面電車が走っていた1960年代まで残っていた地域もある。
現在のような自動車が走る車道を、歩行者が横断するための横断歩道が登場し始めたのは、1950~1960年代(昭和30~40)から。同年代は、日本の自動車保有台数が飛躍的に増加し、モータリゼーションが急伸した時代だった。しかし、同時に小学生を含む歩行者が犠牲となる交通事故が続出。
そこで1959年(昭和34)から小学生たちの通学路に、学童擁護員制(愛称/緑のおばさん)が始まった。同時に一部の地域では、小学生たちが道路を横断するための場所が設けられたが、その名称やデザインは全国で統一されたものではなかった。
1959年、兵庫県西宮市の浜脇小学校近くの道路を渡る小学生たち。側線に挟まれた「わたるみち」と表示されたところを横断している 写真=にしのみやオープンデータサイト/にしのみやデジタル・アーカイブ (https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=1996)
1960年に法制化された横断歩道
1965年、東京都杉並区高円寺南の環状7号線にある横断歩道。デザインはチェッカー型 写真=東京都
緑のおばさんが始まった翌年の1960年(昭和35)に横断歩道に関する法律が定められ、デザインも定められた。そのデザインはハシゴ型の中央をずらしたようなチェッカー型だった。現在のゼブラ型やはしご型よりも派手に見える。交通戦争の激化から、ドライバーに視認させることを優先させたデザインだったのではないだろうか。
1954年、東京都中央区の数寄屋橋交差点の電車線路横断線など
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