2020年08月19日 16:30 掲載
旧車
吉田 匠の
『スポーツ&クラシックカー研究所』
Vol.04
フェラーリを超えるスーパースポーツを目指した「ランボルギーニ」前編。
中央の黒っぽいスーツ姿が創始者、フェルッチョ・ランボルギーニ。写真にあるミウラの発表が1966年だから、1916年生まれのフェルッチョ、50歳の頃の姿と思われる。
<前編/1963-69年>
ランボルギーニ創立にまつわる"伝説"
現在はアウディ傘下、つまりフォルクスワーゲングループの一員ではあるが、イタリア製のスーパースポーツとして確固たるポジションを得ているランボルギーニ。その始まりは1963年、すでにトラクターの製造で成功を収めていた野心的な企業家にして、熱烈な自動車好きでもあったフェルッチョ・ランボルギーニが、北イタリアのモデナ郊外、サンタガタボロネーゼに自らの自動車会社、Automobili Ferruccio Lamborghiniを創立したことに始まる。
興味深いのは、ランボルギーニがその世界に進出しようとした理由だ。彼はすでに成功者だったのでフェラーリのGTを持っていたが、そのクルマに気になる部分があった。そこでそれについて話そうとエンツォ・フェラーリに会見を申し込んだが、エンツォはその申し出を無視、会見は叶わなかったという。そこでフェルッチョは「ならば自分で、フェラーリを超える理想的なスーパースポーツを造ってみせる」と一念発起、自動車メーカーを設立したというのが、ランボルギーニ創立にまつわる"伝説"となっている。
そのフェッルチョ・ランボルギーニが最初に世に出したクルマは350GTVで、1963年秋のトリノショーで発表、翌64年にはその生産型である350GTが発売される。それはその名のとおり排気量3.5リッターのエンジンを持つGT=グラントゥーリズモだが、そのスペックは多くの点で同時代のフェラーリGTを上回っていた。エンジンはフェラーリと同じV12気筒だが、フェラーリのヘッドがSOHCだったのに対して350GTはより高回転型に向いたDOHCを採用。しかもギアボックスはフェラーリGTの4段に対して5段。さらにシャシーの分野でも、フェラーリGTの後ろ脚がリーフスプリングで支えたリジッドアクスルという古典的な型式だったのに対して、350GTはコイルのダブルウィッシュボーン式独立懸架を採用という具合だ。
350GTのプロトタイプたる350GTV。カロッツェリア トゥーリングのデザインと製作になる。
GTVより角が丸くなった印象の市販型350GT。
350GTのリアを上から望むの図。
さらにボディスタイリングもフェラーリとはまるで違った。フェラーリがカロッツェリア ピニンファリーナがデザインした典型的なイタリアンGTスタイルだったのに対して、ランボルギーニは戦前からそのライバルだったカロッツェリア トゥーリングにデザインを依頼した。その結果、350GTのデザインは、同時代のフェラーリとはまったく異なる個性的なスタイリングで世に出た。
350GTはやがてエンジン排気量を4リッターに拡大した400GTに発展、室内にリアシートを備える2+2座の400GT 2+2も追加された。パワーは320psで、5段ギアボックスを介して250km/hに達するという最高速も、もちろん同時代のフェラーリの4座GTを確実に上回っていた。実は当方、10年以上前に日本でコンディションのいい400GTに試乗したことがあるが、それは想像以上に洗練された、とても上質なドライビング感覚を味わわせてくれる高性能GTだった。フェラーリを超えるクルマをつくる、というフェルッチョ・ランボルギーニの熱い思いは、見事に実現されていると感じたのだった。
400GTは、フロントではヘッドランプが4灯式になったのが350GTとの最大の違い。
350GTよりキャビンを後方まで伸ばしてリアシートを設け、2+2座とした400GT。
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