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クルマ最終更新日:2016.11.14 公開日:2016.11.14

プリンス自工「スカイライン スポーツ(60年)」&「スカイラインGT(64年)」

日産グローバル本社ギャラリーで2016年8月2日から2017年1月31日まで開催された特別展、「日産・プリンス合併50年」。そこで展示された、2台の「スカイライン」のコンセプトモデルと、レースに出場した「スカイラインGT」のレプリカ車を紹介する。

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コンセプトカーにもかかわらず、経緯不明で社外流出した「スカイライン スポーツ コンバーチブル」。

 2016年が「日産・プリンス合併50年」ということで、開催された特別展。かつて存在し、日産に吸収合併されたプリンス自動車工業によって開発された市販車やレーシングカー、その系譜に連なる日産車をおおよそ半月から3週間ごとに2台ずつ入れ替えながら展示中だ。

 プリンス自動車工業とは、太平洋戦争時代まで軍用機を製造していた立川飛行機と中島飛行機の技術者らによって1947年に立ち上げられたメーカー。当初はたま電気自動車という社名で、その名の通りに電気自動車の開発からスタートした。

 その後、ガソリン車にスイッチしてたま自動車と車名を変更し、52年にプリンス自動車工業となる。しかし、合併によってさらに富士精密工業と変更。そして、再び61年にプリンス自動車工業とし、66年に日産に合併・吸収された経緯となっている。

「スカイライン」と「クリッパー」が現在も続くプリンス系のクルマ

 現在、日産車種の中では、高級セダン「スカイライン」と、商業用の軽バン「(NV100)クリッパー」(生産されていなかった時期もある)が、プリンス時代から続く車名だ(「クリッパー」は現在、スズキ「エブリイ」のOEM車として供給を受けている)。なお、「GT-R」はR35型からはスカイラインに含まれていないが、R34型までは同車種の最上級モデルだったことから、プリンス系列といえる。

 そのほか、2004年に販売を終了した「グロリア」や「セドリック」もプリンスで開発され、販売されたクルマだった。

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(左)現在も13代目となる最新モデルが発売されているスカイライン。画像は、発売60周年を記念した期間限定の特別仕様車「60th Limited」。(右)軽ワンボックスカー「クリッパー」。プリンス時代から販売が連続しているわけではなく、途中で販売されなかった時期もある。

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イタリアン・デザインの2台!

2台のスカイラインのコンセプトカー

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もう1台の「スカイライン スポーツ」。こちらはクーペ。

 今回の展示でひとつの山場を迎えたのが、9月12日から30日まで展示された、1960年のトリノショーに出展された2台のコンセプトカー「スカイライン スポーツ クーペ」と「スカイライン スポーツ コンバーチブル」だ。この2台は後に少数ながら生産もされているが、展示車両はショーカーであり、世界に1台ずつしかない。

 スカイラインというと、1960年代以降のレースでの活躍による、モータースポーツのイメージが強い。しかし、この2台はスポーツカーではあるものの、まだモータースポーツ的なイメージではなく、どちらかというと優雅さのあるデザインといえるだろう。

国産車初のイタリア製デザイン

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モータスポーツ系の鋭いイメージが強いスカイラインだが、展示された2台は優雅な趣がある。

 今回の2台に優雅なイメージがあるのは、当時からデザイン先進国だったイタリアにおいて、著名なデザイナーとして活躍していた故ジョバンニ・ミケロッティ氏がスタイリングを手がけているからだ。この2台はグロリアのシャシーをベースにしてミケロッティ氏によってデザインされ、その関係で60年に本場のトリノショーに国産車として初めて出展することができたというわけだ。

 50~60年代の国産車は、一部の例外を除けばデザインの面ではあまり魅力的とはいえなかった。プリンス自動車は技術力に関して定評のあるメーカーだったが、そうした状況を打開するため、デザインに関しても先進性を求め、課長職のスタッフをイタリアへ留学させるなどの活動を50年代から行っていた。そのイタリア留学があったからこそ、ミケロッティ氏とのコンタクトに成功したというわけである。

 他の国産メーカーがデザインを重要視するようになるのは60年代に入ってからであり、プリンス自動車はデザインに関しても先見性があったといえよう。

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クーペを後方から。こちらも、60年の日本車とは思えない優雅なスタイリングを見て取れる。

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現存資料はどのぐらい?

資料はほぼ失われてしまって写真が1点のみ!

 貴重な2台だが、実は日産社内には、資料がほとんど残っていない。当時の資料としては、プリンスの広報誌である「月刊プリンス」に掲載された写真が1点ずつあるのみだそうだ。

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月刊「プリンス」1960年12月号に掲載された、トリノで撮影されたコンバーチブルの写真。内装の色が異なる。

 そしてコンバーチブルは非常に謎めいた経緯を持っており、コンセプトカーにもかかわらずなんと社外に流出してしまったという! 現在は、ナンバー付きの車両として個人が所有している。何人もの手を経てきたことから、現在のオーナーも誰がどのようにコンセプトカーをプリンスから手に入れたのかは知らないのだそうだ。

 おそらくは合併に際して大きな混乱があったことが推測されるため、そのときに何かがあったのではないかと、今回の展示を企画した日産グローバルマーケティングコミュニケーション部の中山竜二氏らは推測しているとした。

 ただし、中山氏らも調査は行っているが、確かめようにも残念なことに、現在では当時のプリンスのスタッフはもう他界された方も多く、存命の方でもかなり高齢。当然、存命でも連絡がつく方ばかりではないのもあって、調査を行うにしても非常に難しくなってしまっている。

 とはいえ、写真1点からでもわかることはあり、コンバーチブルはご覧の通り内装の色が異なる。もちろん詳細はわかっていないが、シートなどの皮革は金属パーツに比べて痛みやすいため、何代目かのオーナーが張り替える際に好みの色に変更したのではないかと、中山氏は述べていた。

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1960年当時から残る唯一の写真では、内装は茶系だったが、現在は黒に張り替えられている。

クーペは日産ヘリテージ・コレクションの1台として保管

 なお、クーペはプリンスから日産に渡って、社外流出することもなく、いわゆる「日産ヘリテージ・コレクション」の1台として保管されている。

 ただし、現状ではすでに走行できる状態にないため、レストアを検討しているそうだが、こちらも当時の資料は写真1点しかなく、なかなか難航しているとした。

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月刊プリンス1961年2月号に掲載された、トリノで撮影されたクーペ。現在まで伝わる唯一の写真。

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続いては伝説を作った1台!

スカイライン伝説はここから始まった!

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スカイライン伝説の始まりとされる、「スカイラインGT(S54A-1型)」。奥が「グロリア スーパー6(S41D型)」。

 そしてこの2台と入れ替わる形で、10月1日から16日まで展示されたのが、レースで大活躍した「スカイラインGT(S54A-1型)」だ。同じくレースで活躍した「グロリア スーパー6(S41D型)」と共に展示された。

 スカイラインGTは、1964(昭和39)年に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリの「GT-IIレース」に、勝つためにプリンスが送り込んだ特別な1台だという。

 「スカイライン1500(S50型)」のホイールベースを200mm延長し、国産としては初めて100馬力越えを達成したグロリア用直列6気筒SOHCエンジン「G7」(1988cc、105馬力)を搭載して100台が製作され、レース開催日5月3日の2日前に販売をして出場資格を得たそうだ。

 レース用車両にはスポーツオプションのウェーバー3連キャブ、5速クロスミッション、ノンスリップデフなどが装着され、急遽出場した、格上だったポルシェ「904」との激しいバトルを展開。優勝は叶わなかったが2~6位を独占し、このレースが「スカイライン伝説」の始まりとされている(生沢徹選手の「スカイラインGT」が、式場壮吉選手のポルシェ「904」を抜いてトップに立った瞬間もあった)。

 今回の展示車両は、当時の同型車両をベースに、2位に入った砂子義一(すなこ・よしかず)選手の39号車と同仕様にした1台だ。2012年の鈴鹿サーキット50周年に合わせて、「日産名車再生クラブ」によってフルレストアされた。

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第2回日本グランプリのGT-IIレースに出場した優勝候補のポルシェ904は、流線型で当時の空力の最先端ともいえるレーシングカーらしいスタイルだったのに対し、スカイラインGTはご覧の通りまさに「ハコ車」。空力的に劣るデザインではあったが、レースではポルシェ904を一時は抜き、トップにも立った。

 なお、今後のスカイライン系の展示は、まず日産との合併後に初となる「2ドアハードトップ1500」(71年)が現在展示中で、11月30日まで。相方はレーシングカー「ニッサンR380A-II」(67年)だ。年が変わって1月9~31日に、6代目に属する「2000ターボRS」(83年)と、8代目に属する「GTS25」(91年)が展示される予定だ。

2016年11月10日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)

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